2010年12月13日 (月)

2010・2月 フランス旅行・ルーヴルの日(8日目)〜その2

次は市立近代美術館。先日も行ったのだが、マティスの「ダンス」が時間切れで見られなかったので、再度行くことに。何度行っても、ここ落書きが酷くてその汚さに呆れる。今回は脇目もふらず、迷うことなく「ダンス」の部屋に。他の人もおらず、二人占め。何という贅沢なことだろう。

続いてオランジュリー美術館。勿論、ここにはモネの「睡蓮」があるわけで、最後に見に行くと、広い部屋の壁一面にある。中央の長い椅子に腰掛けて見たり、近くで見たり。ところで、ここの入り口にはちょっと面白いお兄さんがいて、入場するときには荷物検査に目を光らせていたのに、出るときには日本語で「またねー」なんて言ってくる。もしかしたら、日本人みんなに言っているかもしれない。

次は歩いてルーヴル美術館へ。外はずっと雪で歩くのもとても寒い。でも、雪の白いパリも良いものだ。冬は恐らく観光客も少ないので、日が暮れるのが早いのと、寒いのを除けば、旅に良い時期とも言えると思う。エッフェル塔のキラキラも早い時間に見ることができるし!

寒さに負けそうになり、ルーヴル宮の学校側から入ろうとするも、やはり無理であった。ちゃんとした入り口から入る。兎に角ルーヴルは広いので、計画的に回らなければならない。全て見ていたら何日掛かるか分からない。それを今回ほんの数時間で見ようというのだ。ピラミッドの下に美術館への入り口やクローク、案内所などがあるわけだが、とても近代的である。これが出来る前のルーヴル宮に行ってみたいものだ。どんなだったのだろう。家人がクロークに荷物を預けるのを待って、ミュージアムパスで入場。まずはギリシア美術。ミロのヴィーナスにはやはり人が多いな。これを目の前にするとは今まで思っても見なかった。広い空間にあるので、人が沢山いてもしっかり見ることができる。どんどん進んで、「ナポレオン一世の戴冠式」。あ、これがあの絵。思っていたより大きかった。そしてこの広間(廊下?)もそうだが、ルーヴル宮内はそれはそれは豪奢で絵以上に内装に目がいってしまう。よくぞここまで豪奢なものを作りました。壁、天井、階段、構造。全てに圧倒されてしまう。ここで人が暮らしていたのだなと想像すると、途方もない気持ちになる。そこに暮らしていた人々の気持ちや暮らしぶりが、自分と余りに違っていて、想像し難い感覚。宮中の衣服も窮屈そうだし、毎日のしきたりも大変そう。広くて豪奢なルーブル宮の中を毎日の日常として歩くなんて。美術館としてなら、何ともなく歩いてしまうが、当時を想像しながら歩くと気が遠くなりそうなのだ。

さて、そうする内に着いたのは「モナ・リザ」。ここも人が少なくて一番手前で見ることが出来る。昔日本に「モナ・リザ」が来た時、それは大変な人だったと聞くし、ルーヴル美術館でも人が一杯と聞いていた。が、この日は全然そんなことはなくて、いとも簡単に正面で見ることができた。「モナ・リザ」は絵がガラスに入っていて、更には柵が設けられていた。この絵にこれだけのことをするのなら、他にもする必要がある絵があるのではないかという気にもなってくる。それからも家人と共に色々と見て回っていたのだが、そろそろルーヴル内別行動ということに。ワタシはまずナポレオンの部屋に。おぉ、かなりの豪奢な部屋である。こんな部屋で暮らしていたのかなぁ。何故かここには人が少ない。時間がないので、さらりと見て、次の目的地へ。ルーヴルで一番のお楽しみ、地下の遺跡である。地下には中世の要塞の遺跡があり、それを目指して小走りした。きれいに整えられており、美しい中世の石垣を見ることができる。こんな所にルーヴルは建てられたのだな。ここにもそんなには人がいないので、割と一人気分で中世を堪能できる。家人との待ち合わせは地下の案内所付近であった。その前にルーヴルの売店で本を購入した。実はフランスで唯一買った本がこれである。もう物を増やしたくないので、本などは買っていないのだ。昔なら沢山購入したであろうに。その本は「パリの地下 paris souterrain」というちょっとした小冊子で地下の写真が沢山載っている。それはそれは美しいパリの地下の様子が見て取れる。石を切り出した跡は地下ドームの様に広い。パリの下にこんな大きな空洞があるなんて。そして、切り出された跡には岩の柱が残るのだが、それがゴシック調の柱風になっていて、美しい。また、地下水の様子が途方もなく美しい。本当にこの地下への観光ツアーでもあれば喜んで参加したい。流石にこれを自力で行くのは危険過ぎる。家人と落ち合う。家人はというと、ベラスケスなどのスペインの間に走ったらしい。パリでスペイン絵画。

もの凄いスピードでルーヴルを見た跡には、先日ロンシャンで出会ったdご夫妻と夕食の約束をしていた。北駅近くのあるホテルで待ち合わせしており、そのホテルは探すのに多少時間が掛かったが、何とか会うことができた。地下鉄に乗って18区にあるアフリカ料理店に。が、本で見つけたこの店はいくら探してもない。あるはずのところにない。近くのお店の人に聞いても分からない。あるはずのところには別のアフリカ料理店がある。そのお店に入って尋ねてみると、本で見つけたお店はそこだと言う。うむー、看板の名前が違うぞ。でも、マダムはそこだと言う。家人が英語で何か食べられるかと聞くが通じないので、ワタシがもう一度英語で言うと、英語は話さないとマダム。そこで、フランスに来る前ににわか勉強したフランス語で聞いてみる。「ココデ食ベテルコトデキマスカ?」マダムは笑顔で「oui」。あぁ、良かった。にわか勉強しておいて良かったー。ここではアフリカ餅「フトゥ」を楽しみにしていた。他にもクスクスなど。が、何のおかずと食べて良いか分からないので、これまたにわかフランス語で聞いてみる。マダムはいろいろ教えて下さった。注文も済み、お話しながら料理を待つ。が、後から入ってきたカップルに先に料理が行ってしまった。暫く待つと沢山料理が出てきた。お餅にクスクス、魚料理に鶏料理。お餅は暖かいと思っていたら、冷たい物であった。しかし、魚も鶏も大変おいしい。実は今回食べた料理の中では一番記憶に残るおいしいものであったかもしれない。日本でももっと気軽にアフリカ料理が食べられないものだろうか。そして、この店には暖房がなく、とても寒かった。後から来たカップルも何も言わないし、我々も寒いとは思いつつ、お話などでさほど気にならなかった。後から日本でd夫妻と再会出来たときに、あの店は寒かったと笑い話にもなった。料理にかなり満足して、お店を出た。18区は治安がそんなに良くないと書いてあったが、特にそう思うことはなかった。ただ、お店の名前が変わっていたことがとても不便であった。それもご愛嬌。

地下鉄に乗ってホテルに帰る。d夫妻とは乗換駅でお別れ。フランスで偶然お会いすることが出来てとても良かったな。嬉しかったな。あの時のフランスを共有できる人達。

ホテルの横にあるマクドナルドでシェイクを買ったような気がする。フランスのシェイクは基本がバニラしかなく、トッピングを選ぶものであった。ワタシは適当にカランバーなるものを選択。家人はトッピングのそれぞれを店員さんに見せて貰ってから選択。家人はよりおいしそうなものを探求できる人だな。さて、その結果は、家人が吟味して選んだものの方が当たりであった。そのカランバーとはフランスの昔からある駄菓子のようなものだが、これについてはまた後で。

今日も色々行ったな。お休みなさい。

by kasuke : 2010年12月13日 00:03
This Trackback No.
comment











  




▲PAGETOP