2007年01月28日 (日)

久々の韓国・四日目(その1)

今日はソウルに宿を移すことにしていた。家人も待ちに待っているコンサートもあり、帰りが遅くなると、やはり友達にも悪いと思う。また、竜仁市とソウル間の移動は2時間くらいは掛かってしまうので時間が勿体ないのだ。
いつものように友人宅にあるものを適当に冷蔵庫から出して朝食を食べる。出かけるその前に友人からの頼まれ事をした。友人は娘に韓国語以外に英語も日本語も学んで欲しいらしく、平仮名とカタカナのカードを作って欲しいという。泊めてくれたお礼も兼ねて家人と作っていった。

いつものバス停まで旦那さんが送ってくださる。友達と娘とはお家でお別れ。本当に感謝へ〜。また来るよ。その頃にはもう娘も話せるようになっていることだろう。ペンパルから始まった友人だが、手紙だから書けることもたくさん書いて来た。会う事はなかなか出来ない友達だけれど、かけがえのない友達の一人だ。次に会えるのはいつだろう。彼女と家族の幸せと健康をいつでも祈っている。。。

バスで一路ソウルへ。YMCA前で降りて、歩いて旅館「新進荘」へ。ここは家人が独身の時に利用したことのある旅館で、二人になってからも利用したことがある。ちょっとした定宿でもある。ワタシが独身のときは他の旅館に一人で泊まった事もあるが、大抵は友達の所にお世話になっていたので、韓国に行ってもソウルであるならば、余り旅館経験はないのかもしれない。

韓国の物価は思いのほか高くなっており、それは宿泊費もそうである。新進荘も以前は1万5千ウォンだったが、今回は2万5千ウォンにもなっていた。以前とは経営者も変わったようだけれど、今のアジュンマはとても愛嬌のある人で、鍵を貰って部屋に向かうとすると、呼び止めてミカンをくれたりする。それに、普段はあるはずの宿帳への旅券番号書き込みも何もない。良いのかな。

荷物を部屋に置いて出かける。まずはお昼ご飯。「チヤボル」というマンドゥのお店に行く。水マンドゥとククスを頼み、二人で半分ずつ食べてみた。水マンドゥが大変おいしい。ククスは普通。ククスは案外普通の粉食で食べた方がおいしいのかもしれない。この店は人気なのか、お昼過ぎにも関わらず、ひっきりなしにお客は入ってくるし、日本人客も多かった。

興礼門この日の第一目的地は「景福宮」。
守門将交代式があるというので、まずそれを見に行った。興礼門の前に行くともう既に終わりかけていた。式が終わり衛兵の格好をした人が門の所で警備に付くと、人々がその横で記念写真を撮ろうとする。その間も衛兵役の人は微動だにしない。さぞかし、うっとおしいのだろうかと考えながら、ちょっと離れたところから撮影。これでは同じだ。。

興礼門ところで、この交代式が行われるところは、以前旧朝鮮総督府庁舎があったところだ。初めてワタシが韓国に行った時にはまだあり、博物館であった。まぁ、その10年以上も前にすでに美術品の移動は始まっていた。日本帝国時代の建物であるから解体も普通のこととワタシは思っていたが、それを今回友達に話すと、彼女はそれも韓国の歴史の一つであるから、あっても良かったのではないかという意見であった。なるほど。しかし、庁舎がないとだだっ広いですな。

景福宮興礼門を抜けると勤政殿がすぐに見える。荘厳ですな。石畳に並ぶ石碑の様なものは官位を表すものでそこに整列したのだとか。以前行った時には知らなかったが、今回は「長今」の豆知識で分かっていた。分かってみると感慨深いものである。
その後も広い景福宮を歩く。どこにも人が多い。水原の宮殿とは大違いだ。。この日は他にも行くところがあったので、全部を見るのは無理と判断。が、今回絶対に見たいものがあった。それは景福宮の中の乾清宮である。そこは閔妃が日本公使らによって殺害されたところだ。閔妃については長くなるので割愛するが、その場所をちょっと見てみたかったのだ。だが、そこは残念ながら工事中であった。うむ、また次回に繰り越しか。。。
本当は他の宮殿も家人に見せたかったが、時間がない。今回はこれだけになってしまった。時間がないのが本当に残念である。

三清洞広い宮殿を抜け出て三清洞に向かう。この辺りは近年人気があるところだという。以前も韓国の伝統的家屋が多いところなので、ふらふらしたことはある。そこが、今、オサレなカフェやお店がある場所として若者に人気があるのだ。我々も行ってみた。が、残念なことに行き過ぎていた。日本でも町家などを改造してカフェなどにしているところが多いが、行き過ぎると悲壮感にも似た残念なことになるのだなと感じた。韓国の若者もこぞって集まっている。人でいっぱい。写真を撮る人も多い。しかし、これで良いのだろうかと疑問に思ってしまう。昔からの家屋は美しい。できたら、そのままであって欲しい。が、それも外側からの感傷でしかないのだろうか。

次の目的地に行く前に休憩しようということで、仁寺洞に行く。ここも人でいっぱいだ。伝統茶を飲もうとするが、人が多くて、入られるお店を探すのにも時間がかかった。「伝統茶院」に席を見つけ入る。伝統茶を人でいっぱいの、がやがやした中で飲むのは何だか寂しい。棗茶と五味子茶、そしてお菓子を頼む。一杯6000ウォンくらいだ。あぁ、高いなぁ。一杯700円以上の飲み物なんて。
時間がない。次の場所に急がなければ。

by kasuke : 23:38 | comment (0) | trackback (1)

2007年01月20日 (土)

久々の韓国・三日目

suwonこの日は割とゆっくり。前日も夜遅かったので、少しゆっくりして夕飯は友達と一緒にすることにした。
遅めの午前中に竜仁市のお隣、水原市に。水原市は世界遺産の華城があるところだ。友達の家の前のバス停からバスに乗り込み、水原駅に向かう。バス停辺りの風景を頑張って覚えようとするも、何だか覚えられない。バスで行くと割とすぐに城郭が見えて来た。水原駅まで行くつもりだったけれど、駅まで行くとまた引き返すことになるので途中で降りて歩くことにした。城郭に沿って歩く。すべて歩くと3時間は掛かるそうだ。城郭がずうっと続くのだけれど、それだけでも重厚な感がある。城郭の外には遥か遠くまで近代的なビルが立ち並び、水原市も郊外に大きくなっている都市なのだなぁと思う。また何年か後にか来たら、もっと遠くまでアパート群が建っているかもしれない。

suwon更に歩いていると、料金所の中から「水原市民の方ですか〜」と女性の声。写真撮影しながら歩いていた家人を待ってから料金所に行くと、1万ウォンとのこと。もしかして城郭の外を歩いていたら呼び止められないのであろうか。ここは市民の憩いの場所、散歩の場所でもあるので、多くの市民が散策・運動していた。市民は無料なのであろう。我々観光客は世界遺産を維持するためにも料金はちゃんと払わなければなりませぬな。ついでに、そこで華城行宮への近道を教えてもらう。

suwon華城行宮はこれまた「大長今」が撮影された場所でもある。ここにも例の撮影シーン説明文が各所にある。そこで知ったのだが、子チャングムが試験を受けたいから一晩中水桶を持って立っているシーンはここで撮影されたそうだ。うむー、結構、このことに感動。あのシーンが思い起こされる。ここにはドラマで使われた衣装も展示してあり、間近でみることができる。画面では良く分からなかったけれど、生地には同色の刺繍が施してあり、なかなか良い布が使われている。この発見もちょっとした収穫である。この場所には華城の古い写真も展示されていた。恐らく、朝鮮戦争後ぐらいの写真ではないだろうか。荒れ果てた華城の様子が見て取れる。現在はとてもきれいに整備されており、随分修復を重ねたのだなということが分かる。

suwonそろそろ城郭から出ようかと歩いて行くと、まだ城郭を出ていないのに民家やお店が現れて来た。城郭の中に生活があるとは何だか面白い。スリランカでも遺跡群の中に民家を発見した時は感動したものだが、それにも似ている。八達門はちょっとしたロータリーにもなっているし、世界遺産と同居しているみたいな。

銀行で両替を済ませて昼食へ。水原はカルビで有名だとあったのでガイドブックに載っていたお店に行こうとする。地図で見るとそんなに遠くもなさそうなので歩くことにしたのだが、すぐに迷ってしまった。この地図は噂通りに当てにならない。どうも距離感が違うのだ。途中で市民に聞いたのだが、二人目に聞いたお兄さんなどはお店に電話までして場所を確かめて下さった。本当に感謝ハムニダ〜。

やっと目的のお店「カボジョンカルビ」に着く。15時頃になっていまったのでお客さんはいない。我々の後に二組入って来たが、どちらとも日本人で店内は日本人ばかりになった。恐ろしやガイドブックの力。我々は一人分1万6千ウォンの定食を頼んでみた。韓国料理には様々なキムチや箸休めみたいなものがたくさん出てくるのだけれど、味は今ひとつ。キムチは家庭のキムチがおいしい。特に友達のお母さんのキムチは最高においしいので、お店のものとの差を強く感じてしまう。肝心のカルビ。うむ...。我々が年に2回くらい気合いを入れて行く近所の焼き肉屋さんの方が数倍おいしい。これは予想していたことではあるが、ちょっと哀しくもある。

昼食を終えて家路に。お店でバス停を教えてもらってからバスに乗り込む。帰る時にはもう降りる場所も何となく分かってきた。
バスを降りてから家の近くてホットック屋台を発見。一人一つ買って食べてみると大変おいしい。なかなかない味である。食感といい、味といい、申し分ない。こんなにおいしいホットックはない。特に家人は気に入った様子。残念なことにここ以上においしいホットックに出会うことはこの後なかったのだが...。

友達の家に着くとメモ書きが。「子供が熱を出したのでクリニックに行ってきます」。携帯電話に連絡しようとしたが、公衆電話が壊れていてどうにもならない。近所をうろうろしてから家の前で座って待っていたら、やっと帰って来た。子供も少し落ち着いたみたいだ。
家に入ると、家人は疲れたのか眠ってしまった。友達が夕飯を準備してくれる間、ワタシは子供のお相手。友達曰く人に懐かないらしいが、柿を一緒に食べていたら何だか懐いて来た。ワタシの韓国語でも理解してくれるのが大変嬉しい。絵本を読んでとも言ってくる。かわいいなぁ。
家人を起こして一緒に夕食。今日も疲れたな。

by kasuke : 16:39 | comment (0) | trackback (0)

2006年12月10日 (日)

久々の韓国・一日目

11月末、久々の韓国旅行。23日が祝日で25、26日はお休み。金曜日と月曜日にお休みを貰って海外旅行に行くことにした。が、短いので、家人と話し合い、今回は韓国ということになった。また、このごろ我が家は「大長今」で盛り上がっており、人気も下火になれば「大長今テーマパーク」は取り壊されるので行くなら今なのだ。

航空券は18900円。関空使用料2650円、仁川空港は3400円(!)、燃料費は4600円に保険料600円。航空券以外が高いな。が、希望の時間帯で取ることもできたのでまずまず。

さて、仕事を1時前に終えて急いで関空へ。電車で行くと途中岸和田城なども見えてくる。機内では「大長今ダイジェスト」をやっていたのでそれを楽しむうちに、あっと言う間に仁川空港。

仁川空港は何だかだだっ広いな。両替も済ませ、夕食を摂る。空港でキムチポックンパブやチャヂャンミョンなどを食べるけれど、高くておいしくない。。。空港で夕食を食べたのは友達の家に泊めてもらうので食事を済ませておこうという気持ちであった。
その友達は韓国人で20年来の友達である。20年も前、日本の音楽雑誌のペンパル募集コーナーに彼女の名前が載っていたのだ。それにワタシが手紙を出した。初めて会ったのは10年目くらいであっただろうか。手紙で互いのことはよく知っていたので、初めて会うのに初めての気がしなかったものだ。

友達の家は竜仁市にあり、そこまでは空港バス。友達は最近引っ越しをして初めて行くところでもあるのでバスの運転手さんに着いたら教えてと頼んでおく。が、着いてみたら運転手さんのアナウンスで実に簡単に降りることができた。
そしてバスを降りると友達の旦那さんが車で迎えに来てくれていた。旦那さんとは7年ぶりくらいに会う。お互いに「パンガウォヨ〜」と再会を喜ぶ。

韓国らしいベッドタウンみたいなアパート群のひとつにある家に着くと、友達と1歳になる娘が迎えてくれた。人見知りが激しい娘も交えながら、近況報告。友達の旦那さんと我が家人は初対面である。あぁ、久々に会えて本当に嬉しいな。友達も旦那さんも変わっていない。娘も大変に可愛らしい。あぁ、本当に嬉しいな。
明日に備えてこの日はこれでお休みなさい。

by kasuke : 00:53 | comment (0) | trackback (0)

2006年10月16日 (月)

秋、行かねば、行かねば。

余所の日記にも書いたのだが、この秋はお出掛けだ。あぁ、近畿にも素晴らしいところが多いなぁ。
まず。
1・難波の宮・遺跡ツアー
   これは9月末に参加。大阪歴史博物館の地下には難波の宮遺構が一部残され、 公開されている。日に何度か学芸員さんがガイドしてくださるツアーがあり、 そのうちの一度は40分の長いもので、それに参加。 難波の宮の様子がよく分かる。学芸員さんが案内してくださるので、一人で見ても分からないことを教えてくださり。途中で質問も出来る。大阪に住んでいても難波の宮のことは府民にもなかなか知られていないのではないだろうか。 ワタシも玉造神社に行く途中遭遇し、「はて、これは」と全く知らなかった。大阪も一時首都であったわけで、その遺構は大変興味深い。このツアーは無料で、博物館に行かずとも参加可。みなさんも是非どうぞ。

2・「太閤背割下水」と「大阪城地下石垣」
 こちらはつい先日参加。公開の日が決まっていたためだ。下水道は豊臣時代に建設されたもので、現在も下水道として使用されている。南中江小学校のところで見せてもらった。 当時からなかなか立派な都市整備がされていたのですな。 下水が下に染みこまないような現代的加工がしてある以外はそのまま。これが今も残り、ちゃんと使用されているなんて なんと素晴らしいことでありましょうか。

もう一つは大阪城の地下石垣。 昭和30年頃に本丸でボーリング調査を2箇所したところ、 たまたま石垣のようなものが出て来たので 調査したところ7m下に石垣が出て来たのだとか。 その翌年には大工頭の家から豊臣の大阪城図が出て 照らし合わせると、豊臣の大阪城の石垣であることが判明。 井戸状に掘られた下に石垣の一部があり、上から覗いて来た。 普段、そこはトタンの蓋で閉められており、 以前から何だろうと思っていた井戸のようなものの下は 石垣だったのだ。おぉ〜。 一気に、豊臣の大阪城の上に立っておるのだ〜、 おぉ、時代を超えている〜と一人盛り上がってしまった。 これは一度は見ておくべきものではないだろうか。現在の徳川大阪城の地盤と石垣。そして、昭和の鉄筋大阪城(平成の修復あり)。時は流れるですなぁ。
あぁ、城が近所にあるというのはいいものですなぁ。

by kasuke : 17:10 | comment (0) | trackback (0)

2006年04月30日 (日)

大阪城・千貫櫓

大阪城:千貫櫓4月は初旬の土曜日。大阪城の千貫櫓と焔硝蔵を見に行った。
ある日、大阪城の外堀を一周しようと思い行ったところ、「千貫櫓公開」と書いてある看板を発見。しかも、期間はその翌日までとあった。どうしよう・・と思い、その日はもう時間がなかったので帰宅した。家で調べてみると、千貫櫓は23年ぶりの公開だという。休日に二日とも外出するのは好きではないが、普段は見ることの出来ない櫓である。翌日は雨ということだったが、概ね行く方向で気持ちを固めた。

翌日は予報通りの雨であった。が、自転車を走らせた。千貫櫓が公開されたのは、丁度、「花彩祭」というのが大阪城内で催されており、その一環のようであった。その祭りがこれまた税金の無駄遣いでしかない、どうしようもないものなのだが、それは今回は置いておこう。

大阪城:焔硝蔵祭りの入場料を払い、西の丸へ。西の丸は普段入ることのできない所なので、入れることは嬉しい(^^;)。まずは焔硝蔵へ。こちらは3年振りの公開だそうだ。2mの花崗岩でできた壁が凄い。通気口もちゃんとあり火薬を湿気から守る工夫もされている。

そして、千貫櫓へ。こちらは総二階建て。二階にも上がることができた。ボランティアガイドの方から色々なお話を伺うこともできた。大坂は橋は幕府ではなく町の管理に置かれたそうで、橋の建設・維持費などは商人などから集めていたそうだ。一方、江戸は幕府の管理下にあったので、人々はそんなお金の心配をしなくてもよい。が、大坂はそのお金を出さなければ、商売ができなくされる。江戸のように宵越しのお金は持たないなんてことは到底できない話しなのだそう。ふむふむ。そんなことがあるのだなー(ほかにも大坂と江戸の金銭感覚の違いは色々な原因があるが)。

大阪城に残る櫓で、見ていないのはあと二つになった。公開が待たれるなぁ。
GW以降はボランティアガイドさんによるツアーもあるので、是非参加したい。
現在、最も近くにある城、大阪城研究をもっと深めたいものだ。

by kasuke : 23:05 | comment (0) | trackback (0)
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