2016年11月19日 (土)

2016・4月 松山(2日目・その1)

05:45 PM

松山城へは徒歩で。ロープウエイ・リフトもあるが、そんなに高いところにあるわけではないので、ここは出来るだけ歩いて行くのがオススメ。高いところにあるもの、遠いところにあるもの、理由がない場合は歩いて行った方がそこに行く実感を覚えられる。思えば、ロンシャンの礼拝堂に行った時も最寄駅から歩いて行ったので、巡礼にも似た気持ちが味わえたし。反対に会津の飯盛山で割引券があるからとエスカレーターに乗ったのは大失敗であった。歩かれる場合は歩いて行った方が絶対に良い。
松山城の歩いて登るコースに人は少ない。その分、道や景色がゆっくり楽しめる。一旦登ると、視界が開けて、美しい松山の風景を見ることができる。場内には多くの人が。みんなロープウェイで上がるんだな。四国にはそのまま残る天守が多く、松山城もその一つ。石垣が見事で連立式の城が美しい。
その後、売店でみかんソフトクリームを食べて、球場へ向かった。
松山市駅まで市電で行き、坊ちゃんスタジアム直行のバスに乗る。試合開始時間が迫っていたので急いで球場に向かう。入り口でプレゼントのスワローズユニフォームを受け取る。この日の席は1塁側ネット裏1列目! 1列目で観るのは初めてなので感激。対横浜DeNA戦。先発投手は石川投手。終盤は外国人投手リレーでスワローズの勝利。ヒロインも近い!天気も良く、スワローズも勝って気分良し。この日の昼食は球場の売店で購入した軽食。
試合後に選手をちょっぴりお見送りして、家人はJRで、ワタシはバスで松山市内に戻り市電で松山駅まで。この時、市電で偶然乗り合わせた女性と会話。その方の同僚さんも試合に行きたかったが都合がつかず行かれなかった。家族にユニフォームだけでも入手しに行って欲しいと懇願したが断られたとのこと。今思えば、この方に翌日も行くからユニフォームを譲ってあげられるかもと提案すれば良かったと後悔。ホテルにチェックイン。
この日のお風呂は道後温泉でと決めていたので、家人と道後温泉本館へ。商店街をぶらぶらしてから行ってみた。霊の湯三階個室にしようと思ったが、空いていなかったので、霊の湯二階席へ。貴重品とか脱いだものはどうするのかと思っていたが、スタッフの皆さんが常に気を配られているし、貴重品はお風呂のロッカーに入れられるようになっている。浴衣を持って霊の湯へ。ちょっと小さな湯船ではあるが、人も多くなく、お湯もきれいで大変気持ちが良い。道後に来たらやはり温泉には入らなければいけないなという気持ちになるようなお湯。湯船に入る前に体を洗うだけで、お肌がつるつるして気持ち良いのが分かる。
その後、神の湯にも入られるというので、スタッフの案内に従って、一階の神の湯へ。こちらは気軽に銭湯感覚で入られるので人も多い。中央に大きな湯船があり面白い造り。が…、先ほどの霊の湯で感じたお肌つるつるの気持ち良さがこのお湯に入ることで残念ながら失われてしまった。欲張らずに霊の湯だけにしておけば良かったと後悔。次回は霊の湯だけをゆっくり楽しむぞと即座に決意。
お風呂の後におせんべいとお茶で休憩。最後には又新殿や坊ちゃんの間を見学。その時に本日の試合で貰えるスワローズのユニフォームが上着の下にチラ見させている男性がいたので声を掛けてみると、大阪から来たとのこと。せっかくなのでその後の食事に誘った。本館でお土産にみかん石鹸を購入し、道後温泉の上にいるサギや手すりなどに刻まれた湯の玉を外から観察。本館に入る前には何故屋根に取りの飾りがあるのかと思っていたが、館内見学の際に道後温泉を見つけたのがサギだったと知り、大変勉強になった。
3人で市電に乗り、郷土料理お「五志喜」へ。媛会食を奮発。量が多いから食べられるかなと思いつつ、とてもおいしかったので結局みんな食べてしまった。次回もここに来てしまいそう。
食事を共にした男性H氏も松山駅近くのホテルということだったので一緒に帰ることに。気がつけば、もう市電がなくなっていたので、徒歩で帰ることにした。十分歩ける距離であるし、城内を通ることで、これまた松山の土地を堪能することができた。途中でデザートなども購入。H氏とも別れてそれぞれのお宿へ。
今日も楽しかったな。

2016年11月14日 (月)

2016・4月 松山(1日目から翌朝)

11:09 PM

記念すべき2015年5月22日(金)からファンになったヤクルトスワローズの試合を観に松山に遠征。
行きは大阪南港からフェリーで。一度、瀬戸内海を行くフェリーに乗ってみたかったのだ。特に明石大橋の下をくぐってみたかった。夜行なので景色は良く見えないが、明石大橋をくぐるのはそれはそれは面白かった。橋をくぐる時、ちょっと遠近感がなくなったような、ちょっと乗り物酔いしたような感覚になった。フェリーは一番安いものを取ったので大部屋。若い時、下関ー釜山をフェリーで行ったこともある。その時は良く眠れたので問題ないと思っていたが、このフェリーは小さいのかエンジン音が大きく、ほぼ眠ることが出来なかった。もう、このフェリーに乗ることはないかもしれない。。
フェリーは朝方、今治に到着。前もって松山へのバスを予約しておいたので、フェリー料金はちょっとお安め。バスで松山に向かう途中で「マルフク」の看板が多数出てきた。家人にとっては写真の撮りがいがあるだろうな。
我々が取ったホテルは松山駅付近。その近くに「マルフク」の大看板を屋上に掲げたビルを発見。こんな大きい「マルフク」は見たことがなかった。ホテルに荷物を置かせてもらって、お隣の喫茶店でモーニング。我々がちょうど喫茶店に入ろうとした時に救急車で運ばれるお客さんに遭遇しちょっとびっくり。ワタシは駅で伊予鉄乗り放題パス二日分を購入し、まずは松山城へ。(家人はワタシより1日長く愛媛に滞在するので、別のパス)

2013年07月07日 (日)

2013・6月 タイ訪問(1日目)

我が家から関空までは電車1本で行ける。ほぼ座れるのでとても便利だ。今回、海外旅行保険はクレジットカードに付いているサービスを利用。だが、その条件として旅の費用をカードで支払うというものがあった。そこで、関空までの JR の交通費をカードで購入。電車がやって来たが、ホームで急停止してしまった。先にある信号が何らかの理由で赤になった情報が入ったというのだ。一瞬焦るも、電車は数分止まっただけで問題なく乗ることができた。
チェックインを済ませ、お土産を少し買い足す。関空での出国審査後はお店などが楽しくない。スワンナプームなど出国後もとても楽しいのに。
機内食など食べ、ちょうど観たかった映画「最強の二人」を観たり、ゲームをしたりして5時間半。JAL は座席が比較的狭いと思っていたが、やはり LCC に比べると広い。サバーイだな。 タイの上空に着くと、そこは雷雨だった。稲光もしている。上空で待機命令が出たようで着陸が遅くなった。
荷物も受け取り、電車で市内に向かう。暫く行かなかった間にエアポートリンクなる電車が出来ていて、15〜25分間程度で安価で市内に出られるようになっている。便利だなー。タクシー会社はあがったりだなー。今回はお母さんの次男がマッカサン駅まで迎えに来てくれることになっていた。空港の標識に沿って電車の乗り口に向かう。駅案内のお兄さんがどこに行くのか聞かれたので、マッカサン駅というと、こちらだと教えてくれる。チケットを購入し、お母さんの家に空港についた電話をする。が、掛けようとした公衆電話が繋がらない。知らない間に電話の掛け方が変わったのかしらと、先ほどの駅案内のお兄さんに尋ねてみると、代わって掛けてみてくれた。やはり、繋がらない。お兄さん曰く、雨が降ったから繋がらないかもと。うむ...、お兄さんにお礼を言って、そこは諦め別の場所の電話で掛けてみると普通に繋がった。あの電話機が調子悪かっただけなのね。それにしても、ワタシも48歳になり、分からないことがあれば、すぐ訊いてみるという行動に出られるようになりましたなぁ。昔はなかなか出来なかったけれど。歳を取るということは楽しいね。
電車に乗ろうとホームに行く。急行に乗ろうとしたが、どうやらそこは各駅停車しか来ないみたいだった。間違えたかなと思いつつ、仕方ないのでそのまま乗車。各駅停車でも市内まで20分くらいで、信じられないサバーイさだ。ドーンムアンからバスで市内に行っていた頃が懐かしいなぁ。マッカサン駅で降りると、とても広い駅で、どこで待って良いか分からない。適当に歩いていると、駅のおじさんがどこに行くのと話しかけてきた。迎えに来てくれる人がいるのと答えると、それなら3階の××出口付近にいると電話で伝えなさいと教えてくれる。あぁ、親切だなぁ。3階に行くと、タクシーのお兄さんが同様に訊いてくる。同様に答えると、それならこの辺の椅子に座って待ってると良いよと言ってくれる。あぁ、親切だなぁ。友達の携帯に3階の××出口にいると電話する。数分後、友達がお母さんとやって来てくれた。6年振りの再開。久し振りだけれど、そうではないような。そうでないけれど、久し振りのような。兎に角会えてとても嬉しい。
お母さんの家近くに出来たホテルに向かう。今回はスイートなる部屋を取った。けれど、1泊1300バーツで、近年のバンコクの物価からすればとてもお得に思える。リビングもキッチンもある。持て余しそうな広さ。お母さん達と軽く部屋でお話。お母さんは6年振りだなんて今までで一番久し振りじゃない。今度からは2年に1回ね。私も72歳だから6年も開くと、次いるかどうか分からないなんて自分で言う。そうなのだ。バンコクはお母さん達に会いに帰省する感覚なのだ。タイにはもはや旅行の感覚はなくて、帰省のような「訪問」なのだ。
お母さん達が帰った後、ちょっとお腹が空いたので、近くのセブンにお買い物に行った。明日は早朝からメークローンに行くために早起きしなければならない。タイに来ましたな。お休みなさい。

2013年06月15日 (土)

2013・6月 タイ訪問(行く前に)

後で考えてみると、前回タイに行ったのは6年も前のことだった。タイのお母さん達も70歳は過ぎているので、たまには会いに行かなければ心配である。今年は久々にタイに行くぞ!とずっと決めていたのだった。飛行機を調べてみると、JAL の2・3・2という座席並びが我々には適していた。値段もまあまあ。出発時間等も良い感じ。金曜日〜火曜日朝帰りという日程で4月中旬出発で予約した。が、行く数日前に家人の仕事が終わりそうになく、そのストレスのために逆流性食道炎になってしまい、予定を延期することにした。チケットの取消料金は一人2万円だったが、燃料費が安くなっていたので、そこまでしないで済んだ。
新たに予約したのは5月末。タイの友人から頼まれたものやお土産など買い揃えてタイに向かった。

2011・12月 台湾旅行(反省会)

2013年のタイ訪問を備忘録(ブログ)に書こうとしたら、台湾旅行の反省会が出てきたので、置いておく。それにしても、「備忘録」と「ブログ」は語感が似ているな。これは「備忘録」だけれど。
そしてこの反省会後、ワタシの台湾への興味は増すばかりで、台湾に関する本、台湾原住民についての本、映画などずっと触れている。映画「悲情城市」は家人が DVD を購入し観た。中国語も割と真面目に取り組んでいる。1年以上経った今思うに、総統府にて遭遇した団体客の後ろに付いて入っていたら、どうなっていたかなと想像したりする。台湾原住民の考えに思いもよらず触れたりできたかもしれない。たった2泊の台湾旅行はとても大きいものを与えてくれた旅であった。

 * * * * *

今回、二日とも万歩計を装着して歩いていた。次がその結果。

一日目;13,787 歩
二日目;23,477 歩

二日目は随分歩いたが、それでも少ない様に感じる。毎日、万歩も歩くのはなかなか難しいことですな。

1)台湾の歴史をもっともっと知るべきであった
ざっとは知っているつもりであったけれど、ちゃんと詳しく知らないことが分かった。二二八事件さえも知らなかったという恥ずかしい限りである。帰ってからまずはネットでいろいろ読んでみたが、様々な疑問が次々に出てきた。もっと台湾のことを知りたくなった。これからもっとちゃんと勉強しようと思う。

2)チベットへの募金をもっとしたかった
よく考えたら日本円でも問題なかったはずなので、もっと募金をすれば良かったと後悔している。日本ではチベットに対する中国政府への抗議活動は北京五輪以降余り聞いていない。あったとしても日本のマスコミは報道しない。何とか中国からチベット(チベット以外にもモンゴルや東トルキスタンも)を守りたい気持ちは多くの人が持っていると思う。どうしていくべきか分からないが、台湾ではちゃんと行動されている。日本よりもずっとずっと意識が高い。この好機にもっと募金すれば良かったと後悔が大きい。

3)「悲情城市」を行く前に見なかった
後で見たのだけれど、行く前に見ていたら、歴史の面でも見る目が違ったであろうし、九份での感慨も違ったと思う。後から見た映画で出てきた九份の町のシーンは様子が随分違っている。昔ながらの炭坑の町の様相があった。

4)余り食べられなかった
これは歳のせいか余り食べることが出来なかった。歳を取ると、お腹が空いた!と思っていても案外量が食べられないことが分かってきた。台湾でも同様の症状に気がついた。九份で良く見た肉圓。中にはお肉が入っていて透明のデンプンで包まれている。一見クラゲの様にも見え、興味はあったものの結局食べなかった。残念。臭豆腐。人が臭いというものも結構おいしいと思う我々なので食べてみたかったが、思う以上に量が多い。万が一食べられなかったら悪いので、手が出なかったが、やはり食べてみれば良かった。残念。今では日本のものは殆ど見なくなったヌガー。台湾もヌガー天国なのでもっと沢山買っておけば良かった。
食べ物だけでなく、購買意欲も年齢と共に少なくなる。以前は訪れた国の雑誌や本、CD など色々買ったものだが、年齢も多くなると少なくなってきた。


反省会ではあるが、台湾に初めて行ってみて大きく感銘を受けた。台湾の人々はとても親切なのだ。マナーも良い。トイレにはちゃんと並ぶし、エスカレーターも我先にということなくゆったりと乗り込む。電車内では携帯電話は可だが、ちゃんと小声で話して他の乗客が不快に思うことは決してない。呼び込みもあるけれど、しつこくなく、和やかに終わる。チベットの為の募金活動にも出会ったが、他にも様々な集会を見た。助け合う感覚がごく普通にあることを感じた。親切にしましょうというのではなく、普通に基本に意識しないところにあるような感じ。東日本大震災で台湾からの義援金が一番大きかったのも本当に良く理解出来た。台湾に行って、もっと良い人にならなければならないと反省さえした。心が洗われた3日間だった。

2012年03月11日 (日)

2011・12月 台湾旅行(三日目)

今日は早くも台湾最終日。当たり前だけれど、あっと言う間でしたな。この日も朝食は前日と同じ「世界豆漿大王」へ。今日はちゃんと黒糖の饅頭が出てきた。これもぷにぷにでたまらなくおいしい。日本に持って帰りたくなる。豆乳に油條。やはりこの組み合わせはおいしいなぁ。他にも家人が所望した大根餅。家人は大根餅も大好きだ。ワタシは大根餅はこれがもしかすると初めてだったかもしれない。今日もにっこり「謝謝」でお店を出る。帰りにまたしても「新東陽」に立ち寄ってお菓子など購入。今回、時間がなくてスーパーマーケットに行くことができなかったので、新東陽は大いに役立った。その後ホテルでもちょっぴり朝食を食べる。昨日とはおかずが違って嬉しくなる。
ホテルの近くに古い民家が一軒ある。木々に囲まれたこぢんまりした家だが、趣があって良い。他にも観察してみると、立派な木があるところは古い家があることに気がつく。木を目印に台北の町を歩いてみるのも面白いかもしれない。
もう空港に行かなければならない。ホテルでチェックアウトの際にバス乗り場を尋ねる。すぐ近くのザ・リージェントのすぐ前に空港行きのバスが来るそうだ。発車時間まで見てくださると、今出たところだった。が、我々はバス停までひとまず行ってみることにした。このホテルは空調もちょっと賑やかだったけれども、スタッフがみんな親切な人ばかりでとても気持ち良く過ごすことができた。バス停に行き暫くするとバスがやって来た。時刻はそんなに関係なかったような。高速を使わず一般道を行くので料金は確か92元くらいだっただろうか。これまたおつりはないので今回は二人でぴったりにして出す。時間は掛かるが一般道だけに景色を見ることができて楽しい。途中、空港で働いているらしき人も乗ってくる。空港までは案外長閑な町並みだ。第一ターミナルに着くと、運転手さんが指で「1」と教えて下さった。「謝謝」これまた気持ち良く降りる。
ジェットスター航空でチェックインする。我々の荷物が少ないからか、重さのチェックもない。ワタシはお菓子などいろいろ購入したので随分重くなったと感じていたのだが、閉まっているカウンターで勝手に重量チェックをしたら、2キロちょっとしか増えていなかった。若干がっかり。
入国審査を終えて搭乗時間までまずは台湾観光局で貰ったお土産クーポンを使う。場所が分からなかったので案内で尋ねる。ここで初めて「〜在な(口偏に那)里(どこですか)」を使ってみる。街中で数回耳にしたのでここぞとばかりに使う。うむ、ばっちり通じた♪ 言語はこの位の段階が一番楽しいかもしれない。我々が貰ったのはパイナップルケーキ(のつもりだった。帰って開けてみると、乾燥パイナップルだった)。そして、昼食。ワタシは勿論「牛肉麺」。家人は何かの麺類。台湾、三回目の牛肉麺。お味は空港で食べる食事の味ですな。九份で食べたものが一番おいしかった。
無事飛行機に搭乗して帰国。あっと言う間だったけれど、いろいろ行ったな。週末海外旅行もなかなか面白かった。台湾、韓国なら週末にちらっと行くのも今後ありですな。台湾の人々はとても親切でマナーは日本人よりずっと良いと思う。道徳心も同様。短かったけれど、いろいろ思う、いろいろ教えられる3日間だった。また、行きたいな。
あとは恒例の反省会。

2012年02月20日 (月)

2011・12月 台湾旅行(二日目・その3)

台北に着いてバスを降りる。家人が買ったお餅の箱を置きにまずはホテルに。トイレを済ませてすぐに外出。そういえば、台湾ではトイレに困らなかった。フランスではあんなに困って、常にトイレの有無、そのトイレは有料か無料かを見ていたし、多くの公共トイレは清潔とは言い難かった。が、台湾のトイレ事情はほぼ日本と同じで、とても清潔だ。列にも整然と並び気持ちが良い。
ホテル近くの「台北之家」に行く。ここは1979年まではアメリカ大使館だったそうだが、その後放置され荒れ放題だったところを、台北市と「悲情城市」で有名な映画監督、侯考賢が今の「台北之家」にしたのだとか。中にはカフェやシアター、ギャラリー、ショップなどがある。我々はギャラリーに寄り、ショップをうろうろ。家人はショップで楊仮擦離哀奪困鮹気靴燭蝓⇒仮擦亮命燭鮓つけては喜んでいた。台北之家を出てみると、その近所には幾つかカフェがあることに気づく。ちょっとオサレなカフェだ。台北も大通りを少し入ると、木々もあり、静かで落ち着いている。後から思うに、台北之家はバーなど遅くまでやっているので、普段そんなお酒を飲むところには縁のない我々だが、夕飯後に行っても良かったかなと思う。
その次は夕食。今回は何故か夜市に拘ってしまった。地下鉄で劍潭駅まで行き、台北最大という士林夜市の美食廣場へ。トイレに困るとイケナイので、駅で済ませておく。ここは他の駅より人が大分多かったが、勿論ここでもトイレは皆さん整然と待っている。
美食廣場は恐らく「マヨブラジオ」の全メンバーも行ったところだ。一通り見て歩いて、お互いに食べたいものがあったところに入る。お店の人も誘導が親切だ。オーダーも程良く取りに来てくれる。ワタシはお昼に続いて、本日二度目の牛肉麺。かなり気に入った。家人は魯肉飯に油そばのような素麺。本当は角煮の東披肉を食べたかったようなのだが、見つからず断念。似たような魯肉飯をオーダー。さて、お味は。牛肉麺はお昼に九份で食べたものの方がおいしかった。牛肉も硬く、麺も好みではなかった。家人はというと、魯肉飯は良かったようだが、油っぽい素麺はちょっと苦手であったようだ。食後のお会計もすぐにしてくれて、出るときも「謝謝」と丁寧だ。この辺は味が今一つでも気持ち良い。
その後、またしてもヌガーを発見して購入。このお店ではもう店じまいだからと余ったパパイヤを分けてくれた。
最後にデザートということで、家人は珍珠奶茶。ワタシは「マヨブラジオ」でも食べていたピーナッツ味のかき氷。このピーナッツかき氷が食べてみたかったのだ。甘くないけれど、ピーナッツのコクがあっておいしい。夜市でなければ、もっと濃い味のものが食べられるかもしれない。夜市の食べ物は味が控えめのように思う。家人の珍珠奶茶もコクが足りないというより、ない。家人はどうにも残念な様子。
士林夜市には雑貨や服などの沢山のお店があるようなのだが、そんなに興味がなかったので、帰ることに。ホテルに帰るまでに「新東陽」にてお土産など購入。台湾の豚の田麩もあり試食してみるが、これはタイやベトナムのものの方がおいしく、ちょっと癖があったので、お兄さんに「ごめんなさい」と中国語で謝る。この時、本来「不要」と言うべきところを「没有」と言ってしまったが分かって貰えた。その後、家人はあるものが買いたいという。それは珍珠奶茶であった。昨夜も行ったがタピオカが無くなって売り切れだったというジュース屋さんにもう一度挑戦。今回は購入できたので家人は嬉しそうである。味も夜市のものよりずっとコクがあり、確かにおいしい。ワタシは珍珠奶茶は日本でも簡単に飲めるなと、家人と別れ一人でコンビニに行って物色する。心引かれたのはパパイヤ牛乳。後で知ったのだが、台湾では人気の飲み物でジュース屋さんでも人気だという。ホテルに帰って飲んでみると、これまたおいしい。今度はジュース屋さんで飲んでみたいな。
この日も日本から持ってきた入浴剤でお風呂に入り、厚着をして就寝。今日はいろいろ行ったな。お休みなさい。

2012年02月05日 (日)

2011・12月 台湾旅行(二日目・その2)

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その後の予定は映画「悲情城市」や「千と千尋の神隠し」でも有名な九份へ。
こちらも「マヨブラジオ」で小杉班が訪れていてとても楽しそうであったので、我々も行こうと決めたのだ。

111203_1215_bus.jpgまずは地下鉄で忠孝復興駅まで行き、1番出口近くのバス停からバスに乗る。バス停には長蛇の列があり、タクシーを斡旋していると思われるお兄さんがバスに乗る人の整理もしている。台北の人にとっても九份は観光地なのだな。バスはすぐに来たが我々の少し前で座席が一杯になったので、次の便を待つことにする。その間にもバスを待つ列はどんどん長くなっていく。日本人も多い。中には余りの長蛇に驚いてタクシーに乗る人もいた。次のバスは20分くらいでやってきた。バス料金は乗車時に払うパターンで、102元。しかし、お金を払おうとするとおつりがないとのこと。我々は小銭がぴったりなかったので、少々多めにお支払い。座席はすぐに満員になりバスは出発。

111203_1331_bus.jpg台北の街を抜けて、高速に入った。高速を出るとすぐに長閑な山の風景が目に入ってくる。山の豊かな緑と湿った感じの空気で色がとても美しい。そのうちに街に出て、地元の人々がバス停で乗り込んできた。座席が一杯なので地元の人は立つしかない。土日は地元の人にとって座れない日でありそうだ。途中には「十分瀑布」という看板も見える。あぁ、ここも「マヨブラジオ」小杉班は行っていたな。ここにも行きたいけれど、時間がないなと思いつつ通り過ぎる。九份も近くなるとくねくねした道になってきた。山肌にはお墓がたくさん見える。

111203_1337_view.jpg台北から約1時間で九份に到着。一番便利の良いバス停で殆どの人が降りるので付いて降りると問題がない。バス停からすぐの所に展望台のようなものがある。そこで風景を撮ったり、家人はレンズ交換したりしている。それにしても寒い。台北より更に寒い。台湾は寒くないと思っていたのだが、反してとても寒く、家と空港間の防寒のために来ていた薄手のダウンコートでも寒いくらいであった。

111203_1341_taxi.jpg展望台から降りていよいよ基山街へ。ここは狭い屋根付きの商店街のようなものでいろいろなお土産物屋さんや食べ物屋さんなどが無数に並んでいる。狭い道に人が一杯だ。すぐに「マヨブラジオ」でも食べていた「雪菓禮盒」なるお餅を発見。マンゴーやベリー、黒糖など色々な味がある。一つ35元。ひとまずマンゴー味を購入して食べてみる。冷たくて中にはマンゴーを生クリームと合わせたようなクリームが入っていてとてもおいしい。どんどん歩いていく。石鹸屋さん「阿原」を発見。最近、良い石鹸に凝っている我々。気に入ったものを一つずつ購入。こちらはカードでも日本円でも支払いが可能だ。お店の女の子がゆっくりと計算してくれる様子が何とも可愛らしい。ワタシはハイビスカスを購入。一つ190元。後で調べてみると台北市内どころかアジアや日本でもこちらの石鹸は販売されている様子。勿論、台湾で買った方が半分くらいお安い。もう少し買っておいても良かったな。

111203_1404_okarina.jpg基三街には魅力的なお店が沢山並んでいる。時間があればゆっくり見てみたいが、この人の波ではそこでゆっくり歩くなんて出来そうにもない。「マヨブラジオ」でロッシーがオカリナを購入したお店も発見。あるお店で試飲した生姜のお茶を家人は購入。そして、草のお餅も家人は購入して食べてみる。家人はお餅が大好きだ。うろうろしながら昼食になるものも見ていたのだが、なかなか決められない。途中トイレにも立ち寄るが、駅のトイレなどどこでも台湾の人はちゃんと列を作ってマナー良く待つので気持ちが良い。トイレもきれいだ。

111203_1411_lunch.jpg一旦基三街が終わったところで見晴らしの良い所に出た。高いところから見る海の眺めも美しい。
本気で昼食を取ることにしたが、気になった所は基三街の中腹のちょっと階段を下ったところ。頑張ってそこまで戻ることにした。そのお店にはご飯ものや麺類などがあり、ワタシが「牛肉麺」を食べてみたかったのだ。家人は炒飯。やって来た牛肉麺は八角の香りがした。あぁ、昨夜、夜市で散々探した八角の香りはこの牛肉麺だったのだとようやく分かった。さて、味は、うむ、おいしい。ちょっと濃厚なスープに煮込んだ牛肉。ウコンも入っているような味だが、さてどうだろう。家人に炒飯も極めておいしいと言う。お店の人も感じが良くて、とてもおいしい昼食を取ることができた。

111203_1520_amei.jpg次は映画「悲情城市」でも有名な賢崎路の階段へ。
この階段にも人が一杯なのだが、後で人がいない写真を見たら、どうにも寂しい。ここは人が沢山いるから良いのだな。この階段の中腹にある「阿妹茶酒館」で台湾のお茶を頂くことに。「マヨブラジオ」では屋外テラスの眺望の良い席だったが、我々は残念ながら窓側の席にはならなかった。

お店の方にお茶の説明を頂き、「金萱茶」というミルクの香りのするお茶と「雪花糕」というココナッツゼリーみたいなものを注文した。お茶の入れ方はお店の方が教えて下さる。飲むよりも先に香りだけを楽しむ行程があり、その為だけの細長い茶器もある。この上ない良い香りがする。いつまででも嗅いでいたい。

111203_1525_tea.jpg台湾ではこんなに優雅にお茶を楽しむのだと知り心から感心。お茶もとてもおいしい。ココナッツゼリーも甘さがほのかでお茶にも良く合いおいしい。サービスの干し梅も甘くておしいい。が、それ以上にお茶が本当に香しい。飲むよりも香りを楽しむものなのかもしれない。その香りだけでふんわりと癒されて極上の気分になる、そんな贅沢な楽しみ方だ。それまで中国茶は特に良いと思ったことがなかったのだが、ここ台湾にて台湾茶の地位がぐんと一気に上がった。こちらのお店はカードはダメであったが、日本円は大丈夫。しかし、計算に戸惑われていて、結局は台湾ドルでお支払い。帰りにはお店の絵はがきもお土産に下さった。因みに余った茶葉はお持ち帰りにできる。

夕方になりそろそろ台北に帰るとする。途中、最初に食べた「雪菓禮盒」のお餅を家人が一箱買って帰るという。自分の好みでお餅を組み合わせることができる。これまた後で知ったのだが、台北にも同様のお店があるらしい。ワタシはヌガーを購入。日本では昨今ヌガーをすっかり見かけなくなった。台湾では人気のお菓子だ。フランスでもヌガーはおいしかったし、台湾でもおいしかった。日本でも独自にもっと作ってくれないかなぁ。バス停に向かうが、こちらでも長蛇の列。しかし、バスは数分おきに来るので心配しなくても座って帰ることが出来る。帰り道、振り返ると灯りが点った九份の町並みが叙情的で美しい。まるで夢の世界のような町だな。

2012年01月21日 (土)

2011・12月 台湾旅行(二日目・その1)

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111203_0824_breakfast.jpgまずは朝ご飯。ホテルには朝食も付いていたけれど、せっかく台湾にいるのだから外で食べたい。ホテルの近くにある「世界豆漿大王」なるお店に行ってみた。
ここでは中国らしい朝食を取ることができる。ワタシが食べたかったのは黒糖の饅頭に甘い豆乳、そして油條。実はこういうものはタイにも勿論あるのだけれど、タイでは豆乳くらいしか食べたことがなく、油條(タイ語でパートンコー)を朝食に食べたかったのだ。このお店の奥さんは簡単な日本語は分かるので注文も日本語でできる。饅頭は何故かカスタード入りが出てきたけれど、これもおいしそうなのでそのままいただく。
111203_0835_breakfast.jpg豆乳はタイのものの方が滑らかでおいしいかもしれない。が、油條とはやはり合う。饅頭は蒸しパンのような感じだが、中華まんの皮だけみたいな感じで、ぷにぷにした食感がまた良い。奥さんはとても気さくで気持ち良く店を出た。

泊まっているホテルのコーヒーはおいしいという噂なので、食後のコーヒーだけと思い、ホテルのレストランに行く。すると、ホテルのバイキング式朝食はお粥であった。そのおかずもおいしそうだし、少しだけお粥も食べることにした。うむ、おいしい。ホテルのバイキングには何一つ期待していなかったので、嬉しい誤算であった。コーヒーも評判通りおいしい。ホテルでの朝食も済ませレストランを出ようとすると、お店の男性がワタシが忘れた上着を何ともスマートに持ってきて下さった。そのさり気なさは溜息が出るほどで、朝から台湾人のスマートな親切さに感心してしまった。

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さて、今日は観光だ。まずは蒋介石を記念した中正記念堂(1980年完成・公式サイト)へ。記念堂は実際に歩いてみるととても大きなものであった。入り口には衛兵(儀仗隊)が二人微動だにせず立っている。もの凄く訓練されているのだなとこれまたとても感心する。暑い日など大変だろうなと思う。また、やはり中にはイタズラをやりたがる観光客もいるだろうから、その精神の強さは並大抵のものではないのだろうな。

記念堂の反対にある門(大忠門)の更に外では、最近増えているチベット僧の焼身自殺にあるような中国政府の弾圧に抗議する、台湾学生による募金運動が行われていた。僅かばかりの募金をした。チベットに対する中国政府の弾圧に対する抗議活動など日本では殆ど見ない。北京五輪前の聖火リレーでは見られたものの、その後、抗議のチベット僧焼身自殺のニュースもそんなに大きくは取り上げられない。日本は本当におかしい。が、台湾はこうしてちゃんと抗議している。意識が高い。台湾の方がずっとちゃんとしている。そう思った。

111203_1108_sotoku.jpgその後は歩いて総統府(1919年完成・公式サイト)へ。ここに行く途中にも集会が行われていた。はっきり内容は分からなかったが、何かに抗議するようなものだった。総統府はこの日特別公開日だったようで、予約なしでも入ることが出来たようだ。表で写真を撮っていると、係の青年が入り口はあちらだよと笑顔で教えて下さった。少しだけ中も見たかったので、入り口に行ってみると、長蛇の列が。お揃いのベストを着た団体さんだ。ベストには確か台湾原住民何とかみたいなことが書いてあったと思う。台湾国内からもここを見に訪れる、それも団体で大型バスで乗り付ける人々がいるのだなと、この建物が何であったかを考えると感慨深い。しかし、この団体さんはかなりの大人数で、入る際には恐らくパスポートも提示しなければならない。そして、我々には時間がない。折角の公開日であったが外観だけの見学にした。

111203_1128_redhouse.jpg続いて歩いて西門紅楼へ(公式サイト)。こちらも赤煉瓦の建築物(1908年完成)。思っていたよりも小さかった。かつては市場だったという。そして、ここでも盲導犬を支援する集会・活動が行われていた。

時間がないので市内はこの辺で切り上げて、市外へと向かうことにする。

2012年01月09日 (月)

2011・12月 台湾旅行(一日目)

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飛行機が出るのは17時過ぎ。午前中はしっかり仕事をして、午後から出発。お昼は家人がおいしいパン屋でパンを購入したということで、空港でチェックインしてから取ることにした。

111202_1505_pan.jpgチェックイン時には一応機内持ち込みのリュックの重さを量られた。1.5キロ。軽い。いつも以上に身軽。タイや韓国、フランスに行くと、お友達へのお土産が結構場所を取る。今回の台湾は台中市に住む友人には会えそうにないので、こんなに身軽になった。チェックインを済ませて、昼食。おいしいフランスパンだ。フランスでパンのおいしさを教えて貰って以来、フランスのパンらしい味を求めてみるが、なかなかに少ない。気候や、粉、水等、どうしても違うのだろうか。それでも最近はパンやケーキなど日本に合わせず、フランスそのものの味で売るお店が増えてきた。そんなお店はどこもお客さんが多い。みんな、フランスの味を望んでいるのだな。

出国審査ではブザーが鳴ると思い、主治医に書いてもらった書類がすぐ出せるようにしておいたのだが、これが鳴らない。若干がっかりしながら審査を済ませて、機内で飲むお茶も購入。搭乗すると思ったほど席も狭くない。大手の航空会社でも悲しいほど狭い座席があるので、十分な広さだ。スタッフにも親近感があり、全体的に好感が持てる。

111202_2210_station.jpg予定時間を過ぎて桃園国際空港に到着。まずは両替。家人と別々に両替しようとすると、銀行員さんが手数料が掛かるから一緒にした方が良いと教えて下さる。うむ、商売気がない。親切だなぁ。バスで市内に出る。バスの切符を買う時に、全ての人がきれいに列を作って買うのを待っている。我々の番になって前の人を先に通してあげたらお辞儀をしながら「謝謝」。111202_2115_metro.jpgとても礼儀正しいな。バスに乗るにも順番で整然と乗っていく。我々は台北駅行きに乗り込んだ。降りるのはアンバサダーホテル前。が、各バス停前で停まるのかなと思いきや、どうやらブザーを押さなければならなかったようで、終点の台北駅まで行ってしまった。でも、ホテルは台北駅からも近いので地下鉄で向かった。地下鉄の切符の買い方も簡単。トークンを使う。トークンでの電車は初めてだったので、台湾の人々を観察して乗り込む。そういえば、まだタイの地下鉄に未だ乗ったことがなかったなぁ。タイの地下鉄もトークンでありましたな。地下鉄の駅も分かりやすく、整備され清掃も行き届いている。歩いて5分のホテルにチェックイン。荷物を置いて、すぐに外に夕食に出た。

111202_2206_jindin.jpg夜ももう遅かったので、ホテルから歩いて数分の「京鼎樓」に行ってみた。日本人が多いお店とはあったが、フロアーにはすべて日本人。凄いですな。この後に夜市も行ってみようとしていたので、ここでは小籠包とウーロン茶小籠包のみ頼む。コラーゲンがたっぷりというような肉汁を含んだ小籠包である。変わり種のウーロン茶小籠包よりも、普通の小籠包の方がおいしかった。夜遅くまでやっているので便利である。店員さんは夜遅くまでご苦労様です。

111202_2307_market.jpgその後、歩いて寧夏路夜市に。この夜市はこぢんまりしていて見やすい。まず、一通り見て歩き、心惹かれた物を食べることにする。ワタシは八角の香りに誘われてうろうろしてみたものの、それが何か分からず、もしかしてこれかもというお店で頼んだ。内臓スープのようなもの。しかし、八角の香りはなく、澄んだスープであった。味は普通に内臓スープであった。うむ、残念ながら先ほどの小籠包でお腹が一杯になってしまい、食べ物はこれでお終い。一方、家人は湯葉のようなものを見つけたりして、家人の食事にお付き合い。その後、家人が食べたいというお餅の屋台に行く。そこではマンゴーかき氷もあったので、ワタシがそれを注文するが、お店の人曰く「夏はおいしいけど、今はおいしくない」。今は食べない方が良いと教えて下さる。仕方なく、家人が所望するお餅、二つで40元のみをを注文。すると、またお店の人が一つで20元もできるけど、どうする?と聞いてくる。うーむ、ここでも商売気がないなぁ。一つで良いことにして注文。家人はこのお餅が大変気に入った様子。お腹も一杯になったので、釈迦頭(ノーイナー)を一つ買って歩いてホテルに帰った。

111202_2318_noinar.jpgさて、台湾の釈迦頭は大変大きい。タイのものと比べると、ふたまわり位大きい。おいしいことはおいしいが、果物はタイの方がおいしいですな。
ホテルは窓のない部屋であった。日本から持ってきた入浴剤を入れたお風呂に入って就寝。むむ、この時期の台湾、ちょっと寒い。けれど、何と台湾のホテルには暖房というものがなかった。冷房を切って少し厚着をして眠った。明日は一日中、台湾。お休みなさい。

2011年12月23日 (金)

2011・12月 台湾旅行(行く前に)

ずっと今年はどの国に行こうかと思っていた。去年のフランスはとても良くて、今でもずっとフランスかぶれは治らないし、タイにも久しく行っていないのでタイのお母さんにも会いたい。韓国も行っていないので、友達の娘の成長も楽しみだ。スリランカの友人にもずっと誘われているし。

そんな風に思っていたら、あの震災があった。被災していない我々が元気に普通に生活・経済活動しなければと思いつつも、実際にはそんなに遊びに行こうという気が起こらなかったのも事実である。

が、次第に台湾という地が浮かんできた。今までは特に行きたいところに上がっていなかったところだ。震災でもの凄い膨大な義援金を下さった台湾。ある番組で金美鈴氏が海外旅行にはその台湾に是非行ってくださいとも仰っていた。そして、関西ローカル「マヨブラジオ」の慰安旅行に台湾が選ばれその様子を見たら、とても行ってみたくなった。更には、一度やってみたかった週末ショートトリップ。職場にお休みを貰わなくても良い旅行。感謝と興味、距離に時間。全てが合致して今年の旅は台湾に決まった。

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台湾観光局にも出向き、故宮博物館の無料入場券と空港の免税店でのお土産引換券を頂いた。そこにはブラックマヨネーズのお二人のサインも飾ってあった。番組もここでお世話になったのだなと思うと何だか嬉しくなった。

フランスの前の仏語勉強は熱心にやったのだが、今回は中国語の挨拶と数字だけ。行ったことのある人みんなから台湾では日本語が上手な人が多いと聞いたこともあってか、全然熱心ではなかった。
そして、ワタシの大腿骨頸部にはボルトが入っていて出国審査時にブザーが鳴るからと主治医に言われ、その証明書も貰っておいた。

今回の航空会社はジェットスター。当初予定していた日程では安い料金で取ることができそうになかったので、予定を少しずらして12月初旬とした。二泊三日。台湾滞在時間、正味一日ちょっと。荷物もリュックだけとかなりお手軽。久々の身軽海外旅行。初・週末ショートトリップ。初・台湾。行ってきます。

2011年01月19日 (水)

2010・2月 フランス旅行・反省会

初めての、脱・アジア、フランスはとても良かった。行く前はドキドキしていたのに、すぐに慣れたし、フランスの人々に大変親切にして頂いた。時間が経っても、すべての場所、すべての時間が甘美に思い出されて、夢の中にいる、いたような気がしてくる。
しかし、こんな短期間ではフランスのほんの僅かな部分しか見ていない。行っていないところも多い。恒例の旅行後の一人反省会をしたいと思う。

1: エッフェル塔に上れなかった
実はフツーの観光には興味がないと期待していなかったし、実際、初めて遠くに見たエッフェル塔はくすんでいて、あれ、こんなものかと思った。が、あの夜、実際にエッフェル塔の下まで行ってみると、自分の考えは間違っていたと分かった。その美しさ、力強さにとりつかれてしまった。今ではエッフェル塔のアクセサリーやグッズの幾つかが部屋などを飾る。東京タワーも良いと思っていたけれど、エッフェル塔を見てしまった今、ワタシには雲泥の差になってしまった。次は階段とエレベーターで上がるのは勿論、外の公園で一日中エッフェル塔を見て過ごしたい。

2 : サンマルタン運河を船で行けなかった
冬場のクルージングは予約制であることもあり、また、時間が掛かるので回避した。その時間を他に使おうとしたのだ。歩いて見る運河も良いが、地下部分は船でなければ行くことができない。安全に楽しむことのできる数少ないパリの地下世界なのだ。次回は船でバスティーユに出て、うろうろしたい。

3 : カタコンブに行かなかった
お墓と思っていたが、その歴史も面白いことを、帰国後読んだ本からも知ったり、お墓だけでなく、地下道も垣間見られると知った。パリのれっきとした地下世界ということをもっとちゃんと意識しておくべきだった。

4: ノートルダム寺院の上に行けなかった
行こうとしたのに、ストだったので仕方のないことではあるのだが、やはり残念。ネットで愛らしいガーゴイルくん達の写真を探しては見る日々だ。

5 : シャンゼリゼ通りを歩かなかった
お店には興味はないのだが、その様子を知っておくのも悪くないと今は思う。


フランスで買って良かったもの :

1:カランバー
スーパーで大袋で購入。どうやら昔からある子供向けの駄菓子で、ソフトキャンディやキャラメルのようなもの。基本のキャラメル味よりフルーツ味がおいしかった。

2:各種お茶
スーパーでいろんなお茶を購入。沢山買ったので今でもずっとおいしく飲んでいる。

3:ヌテラ
ヘーゼルナッツ入りチョコレートクリーム。日本で買うと高いので。

4:駄菓子
ヌガーやマシュマロなど、駄菓子屋さんで買ったお菓子がとてもおいしかった。

5:パン
やはりおいしい。日本とどうしてあんなに味が違うのだろう。

6:ケーキ
これまたその辺のケーキがとてもおいしかったりする。


兎にも角にも、まだまだ行きたかったところなど反省点は一杯である。が、次の課題として取っておくのも良し。また、行くぞ! そして、とってもお薦めのフランス!

2011年01月09日 (日)

2010・2月 フランス旅行・最終日(10日目)

初・ヨーロッパ、フランスも最後の日になってしまった。まだまだ行けなかったところや、もう一度行きたいところがあって、全然足りないな。飛行機の時間は昼過ぎだったので、午前中はホテル周辺を散歩することにした。

ホテルはサンマルタン運河に近いのでもう一度歩くことに。冬のフランスは夜が長いので、8時半頃にならないと明るくならない。外灯が運河に写る様子が大変美しい。橋の下には焚火するホームレス的な人も。最後にこの辺りを散歩して本当に良かったな。

ルピュブリック駅周辺に行くところで運河にお別れをして町に行く。信号待ちのある場所ではマンホールの様なところから地下に行く職員さんを目撃。出来ることならついて行きたいが、出来るはずもない。途中のパン屋さんで簡単に朝食。ワタシはすぐに目についたクロックムッシュー(小)とミルクコーヒーを注文。家人は店員さんに何かを尋ねて吟味して購入。だけれど、ワタシが選んだものを見てすぐに羨ましがった(^^;)。フランスの街角で食べるクロックムッシューはおいしいな。

最後の最後にもう一度モノプリに。買い足りないものを買う。家人はバケットを買ったりしている。
時間もなくなり、地下鉄でホテルに帰る。部屋には清掃しようとして辞めた痕跡が。受付のお姉さんにタクシーを呼んで貰う。電話なのに、自動音声であと15分で着くという答えが返ってくる。不思議なシステムだな。ホテルは新しくはなくて、きれいではなかったけれど、みんな気さくで良いホテルだった。便利な場所で割と安価。またパリに来ても泊まりたい。

タクシーで空港に。シャルルドゴール空港は余りに広くて、運転手さんにターミナル番号を聞かれるも分からない。ガイドブックに日本便の多いターミナルを見つけて、そこに行って貰う。荷物チャージも含めて、46ユーロ。ロワシーからパリ市内に入る時は荷物チャージはなかったのにな。まぁ、帰りの荷物はとても重かったですからな。
モニターに表示してあるターミナルに行くも、我々の便のチェックインカウンターはそこではなかった。空港のお姉さんがターミナル番号を教えて下さるのだが、フランス語に全くピンとこない。最後にお姉さんが英語で教えて下さって、それが「2E」であるとやっと分かった。カウンターに行ってチェックイン。荷物は二人でギリギリの重さ。お姉さんと二人同時にセーフのジェスチャー。

出国審査にも時間がかかるので早々に行く。後は搭乗するだけなのだが、乗るはずの飛行機が遅れている。中国からの便の到着が遅れているという。最後に駅の売店でお買い物。一時間位列に並んで待った後、やっと搭乗。しかし、日本にてインターネットで予約していた席ではなく、家人と離れ離れの席になっていた。乗務員にその旨を伝えて席を変えて貰う。日本から発つ全日の便が欠航だったこと、ニースに行く時のエンジントラブル、そして帰国時のトラブル。よく考えれば、案外エールフランスはトラブルの多いキャリアかも知れない。それでも我々はまだ良い方で、後に日本で再会したd夫妻は帰国便が飛ばなくて、その後のエールフランスの対応も「今日、帰国出来る人を発表しますー」という様ないい加減なものだったらしい。

帰りの飛行機も満員。機内食のフランス的なご飯もおいしかったが、フランス的な料理にはお腹の方が疲れ気味。ずっとはしんどいな。
無事に日本に到着。日本は暖かい。
フランスはあっと言う間で、夢の様だった。また、いつか行きたいな。

2011年01月04日 (火)

2010・2月 フランス旅行・別行動の日(9日目)〜その2

地下鉄の駅で先にワタシが電車に乗って別れた。ワタシの目的地はノートルダム寺院である。先日行ったのだが、上に行っていなかったので、一人行こうとしたのだ。し、しかし、行ってみると、悲しい張り紙「strike」。今回、フランスに来る前にあったルーヴル美術館などのストライキにも、良くあると聞く公共交通のストライキにも遭わなかったのは好運であったが、ここで遭ってしまった。寺院の上にいるガーゴイル君達に近づくことができなかった。ノートルダムでなくてもガーゴイルはあるし、下から見上げることはできるのだけれども、ノートルダムの上で頬杖をついたりしてパリを見下ろしているガーゴイル君達は何とも可愛らしいではないか。それが、今回行くことができなかった。次回のお楽しみに取っておくしかない。
大変なお楽しみが叶わなかったので、意気消沈してその辺をうろうろ。パリお土産物屋さんが何軒か出てきたので、そこで絵はがきやメモ帳、無念のガーゴイルのマグネットを購入。それからどうしようかと思いつつ、何となくルーブルに向かう。そう言えば、ポンヌフの橋を渡っていなかったなとポンヌフを一人渡る。今までは遠くから見ただけだったので、これは家人に自慢できると写真を数枚撮る。「ポンヌフの恋人」の橋はセットだったそうだけれど、良くできたセットですな。でも、実際はあんな風に人は滞在できそうにもない。それとも、時代が変わっただけで、以前はあんな風に橋に滞在する人もいたのだろうか。
ルーヴルの地下にはショッピングモールのようなものがある。そこで少しだけ両替した。今思うと、結局使わなかったお金で、レートも良くなかったので、無意味であった。それなら、ノートルダム近くにあった両替商でやっておけば良かった。もう一度ルーヴルに入ろうかとも思ったが、時間がないので、家人との待ち合わせ場所に向かった。うむ、別行動時間はあっと言う間であった。
家人との待ち合わせは、オルセー美術館のマティスの絵の前であった。こちらもミュージアムパスで入館。待ち合わせの時間まで絵を観る。お目当てのドガの絵が見あたらない。他の絵はあるのだが。見たい絵は世界のどこかに出張中かもしれない。そうしていると、待ち合わせの時間前に、何の絵の前だったか、マネの絵だったか、家人がワタシの肩をトントンした。こんな人混みの中で良く見つけたものである。家人曰く、待ち合わせ場所であるマティスの絵がないそうだ。あぁ、家人が見つけてくれて良かった。絵はルーヴルよりもこちらの方が良いように思った。多くの絵がすぐ近くで、ゆったりと見ることが出来るという贅沢さ。日本の展覧会ではあり得ないこと。美術館を出ると、ムッシューが焼栗を日本語を含む各国語で売っていた。喉が渇きそうなので素通りしてしまったが、今思うと食べてみれば良かったかな。
お次は地下鉄で、家人が本で見つけたアイスクリーム屋さん。こんなところにも電車移動するのも一日券のお陰。メニューはフランス語も、単語は英語と同じものがあったり、最近は英語よりもフランス語の方が洋菓子やパンなどで使われていることが多いので、知っているような気がする単語が多い。ワタシは早くに決めたものの、家人は決めかねて、お店のお姉さんにアイスクリームがある店頭のフリーザーを見せに連れて行って貰っている。家人も決まったが、結果的には本に出ていた写真と同じものが良かった様子(^^;)。コーヒーも頂いてお店を出る。美味しくて、可愛らしいお店であったな。
最後にポンピドゥーへ。ここの駅は複雑で表示に沿って歩いていたつもりだったが、一向にそれらしくならないので、確かめてみるとやはり違う。あの表示が違ったのかな。ポンピドゥーは街の中にいきなり出てきた。思っていたよりも雑多な感じ。こちらもパスで入場。中も雑多な感あり。家人がフランス見たがっていたブラックなどもやっと見ることができた。
ポンピドゥーを後にして向かったのはオペラ座近くのモノプリ。お土産や夕食など購入。フランスのスーパーにある野菜は鮮度が悪いな。日本の野菜が鮮度が高すぎるのかもしれない。
ホテルに帰る前に近くのケバブ屋さんでポテトフライも購入。フランスは食べ物の量が多いな。ホテルにて夕食。今日もいろいろ行って、たくさん見たな。おやすみなさい。

2010年12月25日 (土)

2010・2月 フランス旅行・別行動の日(9日目)〜その1

別行動といっても殆ど同じ行動をするのだが、別行動時間もあるのがこの日。
まずは地下鉄でラ・ヴィレット公園へ。家人曰くチュミの作品があるとのこと。通勤の人々に混じって行くと、赤い立方体があちらこちらに。うむー、キッズプラザの様な感じ。公園には人影もなく、我々だけ雪の中をしんしんと歩いて行った。早々に地下鉄に乗ってモロー美術館へ。ご、豪華なお家ですな。作品も一杯で贅沢なことではあるが、作品よりも2階のトイレ、3階の豪華らせん階段に注目してしまう。このらせん階段をくるくるするだけでも価値があるような気になってくる。トイレも行きたくなくても入ってみる価値有り。ワタシも珍しく、ここのショップでお買いもの。モローには勝てなかった。その後、家人は日本の友人にハガキを出すということで、モロー美術館にてハガキを書き、近くの郵便局で出すことに。その郵便局は簡易郵便局らしく、切手なども自動販売機にて売っていた。局員に日本へのハガキを見せて、出して欲しいというようなことを家人が言うと、局員はいくらの切手が欲しいのかと聞く。いやいや、航空便のハガキ代を知らないので出して欲しいのだが。少々、間が空いて、結局、局員が適切な切手を売ってくれた。こんな郵便局は初めてだな。他の国でもすぐに受け付けてくれるのに。そういえば、切手シートにジダンのシートがあったな。。。
今日は多くの場所を訪問するので忙しい。お昼時間になったので、お昼を食べに。アジア料理が点在している地区があるので、そこまで地下鉄で行く。地下鉄一日券は便利ですな。外からお店をのぞき見したりして、家人はベトナム料理店に。ワタシはタイ料理店に入った。フランス的な料理に少々疲れていたので、ここはやはりアジア料理で落ち着きたい。お昼なのでパッタイを注文。それから店内をよく見たり、店員の話を聞いていると、タイ料理店ではあるが、ラオス人経営のタイ料理屋らしい。そういえば、ラオスもフランス領だったんでしたな。周りには当たり前だが、フランス人。フランス人はタイ料理をフォークとスプーンではなく、フォークとナイフで食べていた。うーん。そして、近くの大テーブルにいたフランス人青年達に料理が運ばれてくる。タイ料理はみんなで一つのお皿から取って食べるものだけれど、そのテーブルでは一人一品頼んだらしく、ソムタムだけを食べる人みたいな感じに料理が運ばれてきて、見ていて面白かった。そういえば、ガイドブックに、フランスでは分け合ったりしない(良くないマナー)みたいなことが書いてあった。本当なのかな。さて、パッタイはそんなにおいしくはなかった(残念)。マナーオも頼んだが、出てきたのは瓶詰めで売っている人工マナーオ。あぁ、タイ料理にあるまじきことである。ラオスではあんなに長閑な印象だったラオス人も店内ではみんな笑顔もなかった。その原因をいろいろ考えたが、最後に女将さんらしき人が笑顔で送ってくれた。一方の家人はフォーとチェーを頼んだらしく、味も大正解だった様子。この界隈には日本の漫画屋さんもあったので、今思えば、入ってみれば良かった。
その後はまずはモスク見学に。ここ5区のモスクも映画に出てきたところ。さて、何の映画だったっけ。その次に近くのリュテス競技場。ここもパリにあるローマ遺跡の一つだ。円形競技場で、この日は雪で一面真っ白。何があるわけでもないが、円形の競技場に「わー、ローマ遺跡」と一応思う。遺跡のその場所に立っていること自体で思うことあり。しかし、地球上の全ての場所は昔は違う何かであったわけだから、全ての場所で同じ感慨に耽ることが出来るはず。その実態が目の前にあるかどうかの点で違うが。
急いで次の場所へ。近くにあるアラブ研究所に行くのだが、ちょっと迷って、パリ第6、7大学に入ってしまう。受付のお姉さんに研究所の場所を聞いて引き返す。冬だからか、パリの大学は閑散としているな。アラブ研究所の受付のお姉さんはとても愛想が良くて、フランス語で何階に行けばよいか教えてくれた。分からないけれど、分かるような気がするフランス語。ここも人が少なくて、ゆっくり見ることができる。し、しかし、急ぎの旅の中においては割愛しても良い場所だったかもしれない。けれど、それも行かなければ分からない。
では、そろそろということで、ここから別行動に。地下鉄の駅で別れた。

2010年12月13日 (月)

2010・2月 フランス旅行・ルーヴルの日(8日目)〜その2

次は市立近代美術館。先日も行ったのだが、マティスの「ダンス」が時間切れで見られなかったので、再度行くことに。何度行っても、ここ落書きが酷くてその汚さに呆れる。今回は脇目もふらず、迷うことなく「ダンス」の部屋に。他の人もおらず、二人占め。何という贅沢なことだろう。

続いてオランジュリー美術館。勿論、ここにはモネの「睡蓮」があるわけで、最後に見に行くと、広い部屋の壁一面にある。中央の長い椅子に腰掛けて見たり、近くで見たり。ところで、ここの入り口にはちょっと面白いお兄さんがいて、入場するときには荷物検査に目を光らせていたのに、出るときには日本語で「またねー」なんて言ってくる。もしかしたら、日本人みんなに言っているかもしれない。

次は歩いてルーヴル美術館へ。外はずっと雪で歩くのもとても寒い。でも、雪の白いパリも良いものだ。冬は恐らく観光客も少ないので、日が暮れるのが早いのと、寒いのを除けば、旅に良い時期とも言えると思う。エッフェル塔のキラキラも早い時間に見ることができるし!

寒さに負けそうになり、ルーヴル宮の学校側から入ろうとするも、やはり無理であった。ちゃんとした入り口から入る。兎に角ルーヴルは広いので、計画的に回らなければならない。全て見ていたら何日掛かるか分からない。それを今回ほんの数時間で見ようというのだ。ピラミッドの下に美術館への入り口やクローク、案内所などがあるわけだが、とても近代的である。これが出来る前のルーヴル宮に行ってみたいものだ。どんなだったのだろう。家人がクロークに荷物を預けるのを待って、ミュージアムパスで入場。まずはギリシア美術。ミロのヴィーナスにはやはり人が多いな。これを目の前にするとは今まで思っても見なかった。広い空間にあるので、人が沢山いてもしっかり見ることができる。どんどん進んで、「ナポレオン一世の戴冠式」。あ、これがあの絵。思っていたより大きかった。そしてこの広間(廊下?)もそうだが、ルーヴル宮内はそれはそれは豪奢で絵以上に内装に目がいってしまう。よくぞここまで豪奢なものを作りました。壁、天井、階段、構造。全てに圧倒されてしまう。ここで人が暮らしていたのだなと想像すると、途方もない気持ちになる。そこに暮らしていた人々の気持ちや暮らしぶりが、自分と余りに違っていて、想像し難い感覚。宮中の衣服も窮屈そうだし、毎日のしきたりも大変そう。広くて豪奢なルーブル宮の中を毎日の日常として歩くなんて。美術館としてなら、何ともなく歩いてしまうが、当時を想像しながら歩くと気が遠くなりそうなのだ。

さて、そうする内に着いたのは「モナ・リザ」。ここも人が少なくて一番手前で見ることが出来る。昔日本に「モナ・リザ」が来た時、それは大変な人だったと聞くし、ルーヴル美術館でも人が一杯と聞いていた。が、この日は全然そんなことはなくて、いとも簡単に正面で見ることができた。「モナ・リザ」は絵がガラスに入っていて、更には柵が設けられていた。この絵にこれだけのことをするのなら、他にもする必要がある絵があるのではないかという気にもなってくる。それからも家人と共に色々と見て回っていたのだが、そろそろルーヴル内別行動ということに。ワタシはまずナポレオンの部屋に。おぉ、かなりの豪奢な部屋である。こんな部屋で暮らしていたのかなぁ。何故かここには人が少ない。時間がないので、さらりと見て、次の目的地へ。ルーヴルで一番のお楽しみ、地下の遺跡である。地下には中世の要塞の遺跡があり、それを目指して小走りした。きれいに整えられており、美しい中世の石垣を見ることができる。こんな所にルーヴルは建てられたのだな。ここにもそんなには人がいないので、割と一人気分で中世を堪能できる。家人との待ち合わせは地下の案内所付近であった。その前にルーヴルの売店で本を購入した。実はフランスで唯一買った本がこれである。もう物を増やしたくないので、本などは買っていないのだ。昔なら沢山購入したであろうに。その本は「パリの地下 paris souterrain」というちょっとした小冊子で地下の写真が沢山載っている。それはそれは美しいパリの地下の様子が見て取れる。石を切り出した跡は地下ドームの様に広い。パリの下にこんな大きな空洞があるなんて。そして、切り出された跡には岩の柱が残るのだが、それがゴシック調の柱風になっていて、美しい。また、地下水の様子が途方もなく美しい。本当にこの地下への観光ツアーでもあれば喜んで参加したい。流石にこれを自力で行くのは危険過ぎる。家人と落ち合う。家人はというと、ベラスケスなどのスペインの間に走ったらしい。パリでスペイン絵画。

もの凄いスピードでルーヴルを見た跡には、先日ロンシャンで出会ったdご夫妻と夕食の約束をしていた。北駅近くのあるホテルで待ち合わせしており、そのホテルは探すのに多少時間が掛かったが、何とか会うことができた。地下鉄に乗って18区にあるアフリカ料理店に。が、本で見つけたこの店はいくら探してもない。あるはずのところにない。近くのお店の人に聞いても分からない。あるはずのところには別のアフリカ料理店がある。そのお店に入って尋ねてみると、本で見つけたお店はそこだと言う。うむー、看板の名前が違うぞ。でも、マダムはそこだと言う。家人が英語で何か食べられるかと聞くが通じないので、ワタシがもう一度英語で言うと、英語は話さないとマダム。そこで、フランスに来る前ににわか勉強したフランス語で聞いてみる。「ココデ食ベテルコトデキマスカ?」マダムは笑顔で「oui」。あぁ、良かった。にわか勉強しておいて良かったー。ここではアフリカ餅「フトゥ」を楽しみにしていた。他にもクスクスなど。が、何のおかずと食べて良いか分からないので、これまたにわかフランス語で聞いてみる。マダムはいろいろ教えて下さった。注文も済み、お話しながら料理を待つ。が、後から入ってきたカップルに先に料理が行ってしまった。暫く待つと沢山料理が出てきた。お餅にクスクス、魚料理に鶏料理。お餅は暖かいと思っていたら、冷たい物であった。しかし、魚も鶏も大変おいしい。実は今回食べた料理の中では一番記憶に残るおいしいものであったかもしれない。日本でももっと気軽にアフリカ料理が食べられないものだろうか。そして、この店には暖房がなく、とても寒かった。後から来たカップルも何も言わないし、我々も寒いとは思いつつ、お話などでさほど気にならなかった。後から日本でd夫妻と再会出来たときに、あの店は寒かったと笑い話にもなった。料理にかなり満足して、お店を出た。18区は治安がそんなに良くないと書いてあったが、特にそう思うことはなかった。ただ、お店の名前が変わっていたことがとても不便であった。それもご愛嬌。

地下鉄に乗ってホテルに帰る。d夫妻とは乗換駅でお別れ。フランスで偶然お会いすることが出来てとても良かったな。嬉しかったな。あの時のフランスを共有できる人達。

ホテルの横にあるマクドナルドでシェイクを買ったような気がする。フランスのシェイクは基本がバニラしかなく、トッピングを選ぶものであった。ワタシは適当にカランバーなるものを選択。家人はトッピングのそれぞれを店員さんに見せて貰ってから選択。家人はよりおいしそうなものを探求できる人だな。さて、その結果は、家人が吟味して選んだものの方が当たりであった。そのカランバーとはフランスの昔からある駄菓子のようなものだが、これについてはまた後で。

今日も色々行ったな。お休みなさい。

2010年11月20日 (土)

2010・2月 フランス旅行・ルーヴルの日(8日目)〜その1

残りのフランス滞在日はすべてパリをうろうろすることに。二日半で行きたいところすべてを回れるはずもないので、選択しなければならない。
まずはベルヴィル公園に向かった。この公園を上がったところに、あるパン屋があるのだ。我々はフランスに行く前に映画「赤い風船」を見ており、その主人公が眺めたり、通ったりするパン屋がそこに残っているという。ワタシはその前に公園のトイレへ。改修中であったが、使えるらしく、作業員のムッシューが手振りで教えてくれた。あぁ、ありがたや。出る時にもムッシューがいたので、「merci」と家人のところに向かった。家人は勿論写真撮影に楽しそうである。お店の様子は映画そのままで感動である。お店の中に入って見ると、お店のムッシューが一人。写真を撮っても良いかと家人が尋ねると快く承諾してくれた。そして、映画のことを訊くと、知らないということ。もはや古くて知らない人も多いのだな。ケーキを買って、ありがとうとお店を後にした。
歩いてビュットショーモン公園へ。この公園には があるというのだが、広い公園でそれを探すには我々には時間がなかった。この公園には中国人が多く、至る所で太極拳をしていた。
次はワタシの希望の場所、サンマルタン運河だ。フランスに行く前にこの運河がきっかけでパリには広大で且つ美しい地下世界があることを知った。その地下世界の一つがこの運河だ。ナポレオンが作らせたという地下を行く運河で船での運河ツアーもあるのだが、冬の間は予約しなければならないし、水位の異なる水門を通るので時間が掛かる。時間さえあれば予約してのんびりと船に乗るのだが、それは次回のお楽しみ。またフランスに行こうという気にもなる。また、この運河は映画「アメリ」などでもお馴染みの場所でもある。水が流れる様子はとても美しい。場所によっては水位が歩道より少し高いところもある。白鳥がいたり、懐かしのキックボードに乗る女の子がいたり。運河の上に掛かる陸橋もやはりステキだ。途中、水門の水位を同じにして通過して行く船も見ることができた。更に歩いて行くと、運河が地下に入って行くポイントまで来た。あぁ、憧れのパリ地下世界。このまま地下に入って、バスティーユまで行きたいな。
続いてノートルダムに移動。寺院前の地下にクリプトがあり、そこにはローマ帝国時代の遺跡があるのだ。ここはミュージアムパスで入場。ノートルダム寺院のすぐ下にこんな遺跡があるなんて。そんなに広くはないけれど、気軽に寺院を見るついでにローマ遺跡に触れることができるので、是非訪れたいところ。クリプトのムッシューもマダムもみんな親切であった。
その次は引き続き、地下シリーズ。下水道博物館。こちらもパスで入場。川の近くに何てことない小さな入り口がある。実際に地下水が流れているところを見ることができる。流れが案外早いところもあるし、深そうなので、若干恐る恐る歩いたりもする。本当はもっとディープな地下を行きたいけれど、無理なことなので、この辺で我慢。出来ることなら、石を切り出した跡や水を溜めている地下などに行ってみたいな。

2010年10月12日 (火)

2010・2月 フランス旅行・サヴォア邸の日(7日目)〜その3

その夜行かなければならなかったのは、ビストロの「jadis」というお店であった。中心部からはちょっと離れたところにあるのだが、家人がネット上で見つけたところだ。何でも長野県出身の日本人男性がそこで修行をしているらしく、その方と何度か彼のブログでやりとりし、そこでの食事でもということになったらしい。予約もその方が前もってやってくださっていた。

さて、その店はちょっぴり寂しいところにあった。お店を見つけて入ってみると、中には人が一杯であった。人気のあるお店なのだな。ホールの店員さん3人も忙しそうだ。予約していたことを告げるとテーブルに注文を取りに来てくれたお嬢さんにムニュを日本から予約しましたと言う。ホールの3人の内、お嬢さんと一人のムッシュは淡々としていて、もう一人のムッシュは愛想が良かった。愛想の良いムッシュが飲み物を聞きに来てくれた。お水を頼む。どんなお水かと聞かれたので、手振りでボトルに入った普通のお水と伝えた。ボトルというフランス語は知らなかったが、前日のピザ屋さんでも通じたのがここでも使えた。
さて、料理が運ばれてきた。ここのお店も隣のテーブルとの距離がとても近い。近すぎる。テーブルを立つ時にとても困る。でも、近い。テーブルをより多く入れる方が大切なのだな。食べようとすると、お隣のマダムが「ボナペティ」。メルシーとにっこりして食べ始めた。うーん。おいしいな。料理を持ってきてくれる度に料理の説明をしてくれる。聞き取れる単語は少ししかないが、目の前に現物があるので何となく分かったような気になる。さて、いろいろ料理が進んでいく。初めの何口かはとても「おいしい〜♪」なのだが、そればかり食べ進んでいくと、バターに負けてくどいと感じ始めてしまう。しかし、周りのフランス人は我々と同じメニューの人でもそんな感じは見受けられない。今までのどこのレストランでもそうだったが、やはり日本人とフランス人では馬力が、胃が違うようだ。残念ながら、我々はあんな風には食べられない。
デザートは二種類出てきた。案外大味だ。それともバターに疲れたからか。一番最後に一番愛想の無かった男性のホール係の人がお皿を下げにやって来た。日本語で「お気に召しましたか?」。日本人の彼から習ったのだろうか。一番愛想の無かった人からの予想だにしなかった言葉だった。
食事の後にトイレに行ってからホテルに帰ることにした。家人は日本人スタッフに挨拶をしていた。お店を出るときもホールの3人は忙しく働いていて、お嬢さんにやっとお礼を言って出ることができた。ずっとお客さんがいて、人気店なのだな。

ホテルに帰る。あぁ、今日は比較的ゆっくりとした日だったのだが、お腹がとっても疲れた。今日もいろいろ行ったな。お休みなさい。

2010年10月11日 (月)

2010・2月 フランス旅行・サヴォア邸の日(7日目)〜その2

パリまで RER で帰るのだが、切符を買う際、窓口で問題なく買うことができた。RER は行き先を言って窓口で買うのが旅行者には確実だなと一人思う。ホームに行くと来るはずの列車が何らかの問題で来ず、次の列車に乗ることになった。凱旋門のところまで行くつもりが、訳も分からず、サンラザールの駅に着いた。家人がサンラザール駅周辺もちょっと見てみたかったと少しだけうろうろ。その後コンコルド広場へ移動。オベリスクのところまで行く。広場は広いな。一番初めにコンコルド広場だと勘違いした広場は何だったのだろう。マリーアントワネットなどもここで処刑されたのですな。。同じ場所にいるなんて。
それからマドレーヌ教会に行き、少しだけ見学して柱の下で持っていたパンを食べる。フランスでは地下鉄構内、車内、歩きながら等、いろんなところで食べる人を見かける。ワタシは歩きながら食べるのは苦手だけれど、多様だなと感じる。
この日はちょっとしたお買い物日。教会の後にはオペラ座方面に向かった。ユニクロ・パリ店に行ってみようというのだ。が、なかなか場所が分からない。ふと見るとフランス駄菓子のような屋台がある。100gで1ユーロだっただろうか、量り売りだ。おいしそうなお菓子を適当に選んで買う。おおよそ500円程度。そんなに量は入れたつもりはなかったが、結構高いな。ついでに、お店のムッシューにユニクロの場所を聞いてみる。こちらのムッシューはユニクロ自体をご存知なかったので、merci と言って再びうろうろと探し始めた。すると、交差点にユニクロの袋を手にした日本人らしきご婦人を発見。日本語で尋ねてみると、とても丁寧に教えてくださった。とっても嬉しいな。教えて頂いた通りに道を行くと、ユニクロの小さな看板が出てきた。お向かいにはラファイエットがある。ユニクロを探すのにおいて、日本と同様、ソウルと同様に目立つ看板であろうと想像して探していたのだが、パリ店のユニクロはとても小さい看板であった。うむー、町の景観を配慮しているのですな。店内は日本のユニクロと違って若干分かりづらく、歩きにくかった。しかし、店内のフランス人は殆どお店の透明バックに何枚も衣服を入れている。いろいろ見て回って、家人がカバンを購入。少々の雨にも濡れないしっかりしたカバンだ。それまで家人は布のカバンを肩から提げていたので、雨の日など濡れるのが気になっていたらしい。レジで家人が買う様子をカメラで撮っていたら、レジのお姉さん達がそれに気がついて、にっこりとポーズを取ってくれた。あぁ、またまた merci だ。嬉しいな。因みにここにはトイレはなかった。

お次はお向かいのラファイエットに。大きい百貨店ですな。若干、百貨店というよりショッピングセンターのような雰囲気の部分が細かいところに見える。我々はスーパーに行き、お土産用のお菓子やお茶を購入した。ここでやっとトイレに行く。トイレ前には飲料水も置いてあり、とても便利であった。フランスではトイレ確保はちょっとした問題だ。

ラファイエットの用事も大体出来たので、地下鉄でパッシー駅へ。この駅すぐにビル・アケム橋がある。「ラスト・タンゴ・イン・パリ」等で出てくる橋だ。橋からはエッフェル塔も見える。この橋周辺でちょっぴり浮かれて写真を数々撮って、対岸に渡った。橋から見るエッフェル塔の美しいが、ビル・アケム橋の上を走る地下鉄の中からエッフェル塔を見ることもしておけば良かったなと後悔。

対岸に渡ってからエッフェル塔を目指した。綺麗にライトアップされたエッフェル塔。エッフェル塔は真下にも歩いて行かれて、下から見上げることもできる。鉄筋は太いものが使われていて、塔自体、骨太に見える。あれれ? 数日前に遠くからみたエッフェル塔はちょっと古ぼけた感じで期待したほどじゃないなんて感想だったのに、間近に来たら、その存在感に圧倒されてしまう。この上なく美しい。1889年にオープンしたそうだけれど、そんな時代に鉄筋でよくこんな凄いものを造ったな、図面を書いたな、構造を計算したな、と、とにかく凄い凄いと言葉にならない。あぁ、時間があれば上にも行ったのに。階段で行ったのに。残念ながら我々にはその夜行かなければならない場所があった。エッフェル塔の下はとても広い。一瞬、家人はワタシを見失った。家人は焦ってワタシの名前をエッフェル塔の真下で大声で叫んでいた。ワタシはそれを見て、すぐに家人の処に行った。家人を焦らせて申し訳なかったが、エッフェル塔の真下で大声で人の名前を叫ぶのも悪くないなと今思ったりする。

2010年10月10日 (日)

2010・2月 フランス旅行・サヴォア邸の日(7日目)〜その1

昨日はロンシャンに行って帰ったのだが、この日はパリの郊外ポワジーにあるコルビュジエのサヴォア邸に行った。朝方、ベッドメーキングのチップ用に1ユーロがないので、近くのスーパーに何か買いに行こうとすると、家人が地下鉄一日券も買えば良いからと自分が行くと言う。帰って来た家人はオレンジを手にしていた。切符は買おうとしたものとは別の物であった。いつもとは違うゾーンを希望していたが、その一日券はないのだそうだ。窓口のマダムとかみ合わず問答したらしく、別の窓口に行って、十分に納得していつもの一日券を購入したらしい。
まずはポワジー目指して出発した。地下鉄でシャルル・ド・ゴール・エトワール駅に行き、RER に乗り換える。ここで RER の切符を買わねばならないが、そこにある券売機では買い方がわからない上に、現金でなくカードしか使えないものであった。通りで皆んな買うのに時間が掛かっていた訳だ。我々は大きい改札に向かった。結局、そこでも RER の切符の買い方が分からず悩んでいたら、横の券売機で切符を購入中のムッシューが「do you need help?」と助け船を出してくださった。そこで初めて RER の切符の買い方が分かった。ムッシューのお陰で無事に切符を買うことが出来き、merci とお礼を言ってふと見ると、有人の窓口が目に入った。(もしかして、韓国と同じで券売機でも窓口でも良いのかな)とふと思う。あぁ、ここでもフランス人のさり気ない親切。
電車に乗って、一応行き先を確認したいが、お隣のインド系の人は目を閉じている。仕方なくお向かいのムッシューに聞くと正しかったので安心して深く席に座った。

パリから少し出ると、和やかな緑が広がる。フランスの川はゆったりと流れていて、川の水面と左右の土地の高さが余り変わらないことに気付く。すぐに絵画で見る風景なんだなと思う。昔からそんなに風景が変わっていない部分かも知れない。日本の川はすっかり変わってしまった。左右はしっかりとブロックで覆われている。川に水は無くても幅は広い。そんな川ばかりではないが、子供の時から考えると姿が変わった川が多い。土地と水の高さが変わらないフランスの川のほとりに行ってみたい。

終点ポワジーに着くと、観光局の矢印があったので行ってみるが、閉まっている様子であったので、バスを調べてみた。バスの時刻表を見ていると、タバコを手にしたお嬢さんが英語で話しかけてきた。「do you need help?」。どうしようかなと思っていたら、サヴォア邸に行くのか、地図はいるかと尋ねる。それには「oui, oui」と即答。すると、お嬢さんはこちらだと手招きする。一緒に行ってみると、彼女が開けたドアの向こうは観光局であった。観光局の中は外からはまるで見えなくて、これでは休みだと思われても仕方がない作りだ。お嬢さんは観光局の人だったのだな。

地図を貰って、我々は歩き出した。行きは歩きにすることに。行く道は閑散としている。たまに人を見る。冬だから余計に人は外に出ないですな。町の至る所に魚の作り物が門などに付いている。だから、poissy という名前の町なのかな。

サヴォア邸は簡単に行きつけた。広い敷地の芝生のほぼ中央に建っている。緑と白。薄っすらと降った雪。美しい。昔からこんな風景だったのだろうか。日本の庭に慣れているからだろうか、広い芝生と周りにある木々とフェンスを見ると何も無くて寂しい様な、不安な様な気もして来る。季節が違えば、また違った印象を受けるかもしれない。

外からしっかり写真を撮った後、中に入る。中には多くの人がやって来ていた。親子連れであったり、建築の学生らしき人々。みんな、来るのですな。中庭もあり、広いリビングに波のような浴槽。でも、台所の流しは案外小さかったり。ワタシは父親が腕の大変良い指物師兼大工であるにも拘わらず、建築のことがよく分からないので、自分なりに見るしかないのだが、ここに住むことを想像してみる。荷物をどう置こうかと考えると、物を置くのが勿体ないようにも思えてくる。台所もちょっと使いづらいかなと思ったり、台所が少々隔離されていて、窓からの景色も寂しいのが気になったり。すっかり生活目線である。

見終えて外に出る。振り返ると、やはりそこにサヴォア邸。そこにあるのが不思議な感じがした。

帰りはバスに乗って駅まで帰ったのだが、バス賃はいくらだっただろうか、どうやって払ったのだろうか。全く覚えていないが、問題なく駅に帰った。

2010年09月26日 (日)

2010・2月 フランス旅行・ロンシャン(6日目)〜その3

リュールの駅で少し時間があったので、家人は町に行って撮影。ワタシは寒くて駅に残った。この辺りのフランス人は列車の時間ぎりぎりに来る人は少ない様に見える。パリに向かう娘と奥さんを見送るだんなさんと息子。行きの列車で一緒だった老夫婦。特に会話する訳でもなく、ただ列車を待っている。ワタシも余裕を持って行くたちなので、解る気がする。田舎の者に多い特徴だろうか。ほかにも、何をするでもない若者。何処でも光景は同じなんだな。
その頃、家人は町をうろうろしていた。途中、家の中から人が出て来て、怒られるのかと思いきや、撮った写真を見せてと言われ、何だか楽しげなこともあったよう。
列車の時間が迫って来た。家人が帰って来たので、それまで何故かワタシがやっていた切符の刻印をやって来てもらう。この刻印作業もそれが最後だものね。
さて、乗る車両だが、行きと同じ番号であった。帰りの便で何となくわかったのだが、車両がどこのあるかは、ホームにある車両番号を示す表があり、各自それを見て判断する様だった。表を見て、この辺だろうというところで待っていたら、その通りであった。内心、喜んで乗り込むと、朝と同じ車両で、我々が座っていた座席すぐ近くであった。残念ながら窓は絶望的に汚い。暫らくすると、切符のチェック車掌さんがやって来た。
「コルビュジエ?」と車掌さん。この列車でロンシャンに行く日本人が多いのかもしれない。
「oui」
「良かった?」
「oui, とても面白かったです」
「写真見てもいい? 行ったことないんだよ」
「あ、そうなんですか?」
仏語でも英語でもないような会話がスムースに続く。家人に頼んで写真を見せてあげた。「ありがとう」車掌さんは満足そうに行かれた。
この車掌さんだが、ちょっとフィギュアスケートはスイスのランビエール選手に似たステキな車掌さんだった。あんなに写真を撮る家人が行きの車掌さんは撮っているのに、帰りの彼は撮っていなかった。だからか、今尚、甘美な瞬間である。
パリには案外あっという間であった。あぁ、行ったな、夕食はお惣菜かなと思いつつ、東駅のホームを歩いていると、後ろから人が駆け寄って来た。礼拝堂で出会った日本人ご夫婦であった。あ、帰りも一緒だったんですねと、軽く夕飯をご一緒することにした。東駅の周辺は全く分からなかったので、ピザ屋に入った。ご夫妻はピザを、我々はパスタにした。このパスタが哀しい位おいしくない。昔あった市販の茹でスパゲッティといった感じである。ある意味、もう日本では食べられないものが食べられて良かったのかもしれない。というか、その後日本でもピザ屋のパスタは余りおいしくないことを学ぶ機会が何度かあった。
ご夫婦とフランスの旅のことや、仕事、出身地の話しなどをして、2日後、夕飯をご一緒しましょうと約束して別れた。ステキな人に出会えたな。
ホテルに帰る。その夜のデザートになにを食べたか、食べたのかどうか、もはや覚えていない。
今日も遠くに行ったな。お休みなさい。

2010年09月25日 (土)

2010・2月 フランス旅行・ロンシャン(6日目)〜その2

駅に帰って、ワタシはトイレに行った。有料だが、パリほど高くないし、何と言っても清潔であった。
やって来た列車は一両編成であった。が、その様子は近未来的なデザインで、窓は大きく、トイレもついていた。日本の一両編成の列車とは随分な違いだ。乗客は数えるほど。
さて、パン屋さんで買ったパンを食べる。普通においしいが、朝のパンの方がおいしかった。今回は家人の選択の方が正解だったようだ。
ロンシャンの駅に着くと吹雪の様に雪が降って来た。そこは無人駅で待合室の様なものもひとつ。寂しい光景かもしれないが、ワタシの実家周辺にはこん無人駅が多いので、返って親近感が湧いてくる。道を少し行くと、観光局の案内が出てきた。行ってみるも、昼休憩の時間帯。フランスは昼休憩が長くていいな。その隣には鉱山博物館もあり行ってみたかったが、時間もなく、例によってお昼休憩中であった。
が、礼拝堂への道しるべもあったのでとにかく行くことにした。
途中の道には誰もいない。冬のこんなに寒い日だから当たり前ですな。廃墟になったような礼拝堂を横目に黙々歩いて行く。ふと振り返るとロンシャンの街並みが見える。といっても、そんなに建て込んでいるわけではないので、これまた我が実家にも似ていて、更に親近感がわく。舗装された山道を歩いて行くと、礼拝堂入り口が見えた。我々が「おぉ〜」と感激していると、事務所からマダムが入場料はこちらよと手招き。入って料金を払ってふと見ると、朝の急行列車で同じ車両に乗っていた日本人御夫婦がいらしゃった。お二人は急行でずっとベルフォールまで行って、タクシーでロンシャンまで引き返されたのだそう。礼拝堂ももう見終わられて、帰りのタクシーを待っておられるところだった。この工程で行くと列車はずっと急行なのでサバーイでベルフォール観光ができるのだな。我らが選んだのは交通費が掛からない方であった。ロンシャンまで列車で、帰りはリュール駅までタクシーで帰り、急行でパリに帰る。家人曰く、最近リュールに急行が停まる様になったので、我々のコースも可能になったという。
それでは良い旅をとお二人に挨拶して礼拝堂に向かった。
その日はとても寒かったし、天候も優れず曇り空だった。礼拝堂はぽっかりと広いところにあり、それぞれの季節でそれぞれの美しさも見せてくれるだろうと想像できた。我々はじっくりと外観を見て回った。向かって右側にある小さな入り口から中に入った。家人は外でまだまだ撮影に没頭している。とても見たかったものの所に来たのだ。当然のことだ。入り口には堂内の撮影は禁止とあった。
中もしーんと寒く、人は我々だけだった。外観よりも中はずっと広い。横の色ガラスから光が射し込む。ワタシが気に入ったのは礼拝堂の奥にある小さな祭壇(?)で、高い天井にある天窓だけから光が射し込む様になっている。その光りの様子は壮麗で冷えた空気に似合っていた。遅れて入って来ていた家人がろうそくを捧げていた。途中シスターも入って来たが、普段はどこにいるのだろう。雪なので、長靴姿が可愛らしい。寒さに震えながら礼拝堂の中で暫らく過し、事務所に戻って行った。
事務所はショップでもあり、ワタシは礼拝堂がステンドグラス風にデザインされた何とも可愛らしいキャンドルスタンドのような物を自宅用と義実家用に買った。そしてポストカード。家人は何を買ったんだっけ。
事務所のマダムがタクシーを呼んであげようかと仰ったので、リュールまでお願いする。みんなタクシーで帰るのだろうな。すると、天気が一転して青空になった。家人は喜び勇んで、再び礼拝堂に走って行った。晴天での写真撮影に満足した様子であった。
タクシーがやって来た。女性の運転手さんにリュールまでお願いする。ロンシャンをこれだけで去るのは大変勿体ないと思った。リュールへの道には何もなく、そんなところに暫く滞在してみたいと思った。数少ない民家、広がる野山、我が故郷にも似ている。

2010年09月24日 (金)

2010・2月 フランス旅行・ロンシャン(6日目)〜その1

今日は遠出。列車でロンシャンまで6時間(電車待ち2時間込み)。ロンシャンには家人が行きたいル・コルビュジエの礼拝堂があるのだ。この日はホテルで朝食は取らず、すぐに東駅へ。7時11分の電車。昨日下見しておいたので迷ったりせず、余裕がある。東駅の地下で朝食を買う。ワタシはキオスクのようなコンビニでサンドイッチとマンゴー紅茶。家人は PAUL で購入。日本で購入しておいたチケットには車両番号、座席番号、窓側など書いてある。どの車両かと延々歩くも見つからない。適当なところで乗り込むが分からない。もう座っていた青年にチケットを見せて拙すぎる仏語で車両を尋ねると、とても親切に英語で我々の車両を教えてくれた。青年には若干訊かれて嬉しそうな感あり。merci! 我々は正しい車両に行き、座席に座った。長い車両には我々、お隣にフランス人おじさん、真ん中に他の日本人カップル。そのくらいで、ガラガラだ。満員を想像していたのに。列車は何のアナウンスも無く静かに発車した。外はまだまだ暗い。

家人が iphone を操作し始めると、お隣のムッシューが上にライトがあるからと点けてくれた。さり気ない親切。 merci。先ほど買ったパンを食べる。ワタシのはピタパン風でしっとりしていて、とてもおいしかった。家人はそれを大変うらやましがって、その後のフランスで何度か似たものを探そうとしていた。少しずつ明るくなってくると分かったのだが、窓がもの凄く汚い。洗車がまったくされておらず、外が余りよく見えない。家人曰く、1等車の窓はキレイだったらしい。我々は2等。うむー。フランス国鉄、全車両、窓だけでも洗って欲しい。。。そこで家人は最初の停車駅で窓を拭きに車外に出た。停車時間は2分だったので、ワタシは少々ひやひや。車窓には長閑な風景が広がる。フランスは農業国ですな。それは本当に大きな強みだ。日本は明らかに政策を間違っている。暫くすると車掌さんが切符のチェックにやって来た。チェックも一応あるんですな。その後、トイレに行くが、これまたとても汚い。何故、公共のトイレの多くはこんなに汚いのだろう。不思議でならない。

そうこうするうちに乗換駅のヴズーに着いた。ここで約2時間、ロンシャンに行く列車を待つ。駅から外に出るのに申告しないといけないのかなと思いつつ出てみると、特に駅員はいないし、例によって切符は回収されない。自由に出入りできるようだ。町に向かってあるく。人気がない。冬だから余計に人は出ていないのだな。日本の田舎の市みたいで好感が持てる。たまには人がいる。家人が通りの向こう側を撮ろうとすると、彼らはそれに気づいて止まってくれる。おぉ、merci 。とりあえず、町の観光案内所に行くが、閉まっている。外から覗いていると、マダムがわざわざ開けてこの辺に古い家があるよと地図を下さった。最後に国籍を聞かれた。海外からの観光客は余りいそうにない。さて、うろうろしてみる。
人気のない町ではあったが、かえって生活感が感じられる。観光客に荒らされていないというのだろうか。親しみが持てるし、街並みも美しい。ヴズーの町は今回のフランス旅行でも上位に入る気に行ったところなのだが、その良さを上手く言うことができない。何にもないけれど、生活が見えてくる。町のうろうろも列車の時間があるので、お昼ご飯など買うことに。まず、どこにもあるモノプリで物色。家人はチーズ等を購入し、ワタシはモノプリのエコバッグをお土産用にいくつか購入。フランスのスーパーでは商品すべてにスタンプを押してチェックする。購入したという証明になって良いけれど、やはり時間はかかる。因みにこのスタンプ方式の国は結構あるように思う。モノプリでは昼食になるものは買わず、近くのパン屋さんに入った。各自で好きなものを購入。ワタシはサンドイッチと何か(失念)。家人はサンドイッチとクロワッサン。家人はフランスに来てからクロワッサンが気になるらしい。小さなパン屋さんだったが、お客さんも多く、高校生のような男の子がお手伝いしていた。彼が会計してくれたのだが、それは爽やかな笑顔で対応してくれた。またしても merci だ。昼食も購入出来て、そろそろ列車の時間となった。
ヴズーには旅行者は余り行かないのかも知れないが、今回のフランス旅行でもポイントが高く、印象深い良いところであった。ロンシャンに行くなら、列車の乗り換え時間の間だけでもうろうろしてみては。人も親切で、素通りするのは勿体無い町だ。

2010年08月08日 (日)

2010・2月 フランス旅行・パリ(5日目)〜その2

シテ島から南に歩いて渡り、昼食を取ることに。どうもフランスでケバブが目に付く。たくさんお店があるのだ。我々が適当に入った路地にもケバブ屋さんが幾つかあり、どこにしようかときょろきょろしていたら、あるお店の人と目があって、手招きされた。素直に行く我ら。店内は狭い。各テーブル間も狭い。フランス人は体格が我々より大きいのに大変だな。ケバブサンドみたいなものを頼む。もれなくポテトフライが付いてくる。ポテトフライはそれは大量で、うむ、フランス人馬力が違うと、また実感。店内は様々な国籍のお客さんがいたが、皆さん難なく食べきっている。かく言うワタシもおいしく食べきった。
ご飯も食べて、次の目的地、中世美術館へ。ここには古代ローマ遺跡、浴場があるというので、それを楽しみに行った。こちらも第一日曜日なので無料。様々な彫刻やタペストリーが並ぶ。有名なタペストリーなどもあるが、さて、浴場は? 売店内で座って入場者数を数えているお姉さんに尋ねると、閉まっているとのこと。これまた浴場が展示部屋として使われているところが閉鎖中らしい。あぁ。帰国してからその写真を見ると、入りたかったなーと残念な気持ちになる。が、そのお姉さんは座って人数だけを数えている様子なので、話しかけたらとても嬉しそうで、プチ会話で盛り上がった。人数はちゃんと数えられていたかな。
外に出て遺跡の外観だけでもと柵越しに写真を撮って地下鉄に乗る。次はドラクロワ記念館。地下鉄一日券があるので近くても乗ってしまう。便利だな。お家が記念館になっており、主な展示は二階部分なので入場数が制限されているのか、階上を連絡を取りながら10人ずつぐらいで入っていく。こちらもこの日は無料なので、人も多い。庭にも行くことができて平日であれば落ち着いて見ることができるのではないだろうか。
続いて市立近代美術館。ここには家人の好きなマティスの絵「ダンス」がある。地下鉄を降りて外に出ると背後にエッフェル塔が。一瞬、あ!となるが、想像していたよりくすんでいる。エッフェル塔ってこんなものかと思いつつ、美術館へ。市立美術館だからか外の壁などにやたらと落書きが多い。汚らしくて呆れてしまう(が、市立美術館はパレ・ド・トキョーの一部で、外のその壁は落書き用の壁らしい。〜帰国後情報)。中はとても広々としたところである。余りに広くて「ダンス」がどこにあるのかすぐには分からず、家人が美術館のお姉さんに尋ねた。お姉さんは分からなかったようだが、すぐそばにいた男性が英語で教えて下さった。下に行ってすぐ左。merci! さて、下に行ったがひとまず他の作品から見て回るようだ。ここも展示数がとても多いのでしっかり見ると時間が相当かかる。すると途中で閉館のアナウンスが始まった。「ダンス」はまだ見ていないのに。「ダンス」の部屋の前に行ったが、もう部屋は消灯。慌てて出る我ら。が、家人曰く、他のは見なくても「ダンス」だけで良かったと。家人にはあの男性が教えてくれたのが分からなかったらしい(^^;)。ワタシはてっきり最後のお楽しみにするのかと思い。。。知らなかった。すぐに通訳するのだった。すまない。因みにここのトイレも汚かった。残念。
仕方なく歩いて建築・文化財博物館に向かう。そこには家人の好きなル・コルビュジェのユニテ・ダビタシオンの部屋の実物大模型があるらしい。歩いていると、対岸にエッフェル塔が。丁度18時頃でエッフェル塔のキラキラを見ることができた。キレイだな。カワイイな。博物館に着いたが、もう閉館時間まで僅かということで、入館は断られてしまった。残念。
さて、次はと、向かったのは凱旋門。ビエンチャンの凱旋門には行ったことがあるけれど、本物は大きいな(いや、ラオスの凱旋門もかなり良い。仏教的な飾りが可愛らしい)。地下道から凱旋門のところに行く。地下にチケット売り場はあるのだが、この日は無料の日なので素通りする。が、凱旋門の入り口に行くと、チケットが必要だという。むむ、もう一度地下に行き、0.00ユーロと刻印してあるチケットを貰いに行く。うーん、かなりの無駄ではなかろうか。必要であるなら、チケット売り場ですべての人に渡すべきだし、人数把握のためなら他の方法はいくらでもありそうだ。再度、凱旋門の入り口に。狭い螺旋階段を歩いて上る。途中、疲れて腰掛けている人もいる。一番上からはパリが見渡せる。すぐ下のシャンゼリゼ通りがまっすぐに通っている。遠くにはエッフェル塔が見える。ここでアジア人と西洋人のカップルにエッフェル塔を入れて写真を撮って欲しいと言われ何度か撮ったのだが、どうしても彼らが望む様に撮れない。もっと背の高い人に頼んだ方が良いかもしれない、ごめんなさいと伝える。我々は家人とタイマーでエッフェル塔を入れて撮影。その後、屋上をうろうろしていたら、先ほどのカップルが西洋人に同じように写真を撮って貰っていたが、やはり納得できる写真が撮れないようで、困っていた。凱旋門の下には無名戦士の墓があり、常に灯が点っている。こちらのトイレは位置が高いが、合格点。
シャンゼリゼ通りにあるとあるお店で夕飯にお総菜等を買って帰ろうとするも、場所柄結構なお値段である。早々に諦めて、ホテルに帰った。
ホテル近くのベトナム料理屋でお持ち帰り。味はなかなか良かったが、お店の女の子が呆れるほど無愛想である。ベトナムのベトナム人は全然そんなことないのになぁ。他にモノプリでデザートなどを買い、ホテルで夕食。
今日もいろいろ行ったな。明日は早い。お休みなさい。

2010年08月01日 (日)

2010・2月 フランス旅行・パリ(5日目)〜その1

今日からパリ! 我々のホテル「buttes chaumont」は安ホテルで、ホテル予約サイトでは散々な意見もあるにはあるが、別に悪いホテルではない。スタッフはみんな気さくで親切。高級ホテルみたいな制服を着たボーイさんとかはいないが、普通のホテルだ。無線LANもあるし、部屋はオンラインで管理してある。ちょっと残念だったのは、時間によってぬるま湯しか出ないのと、お風呂の栓がないこと、冷蔵庫がないことくらい。カーペットもキレイとは言えないし、椅子もほころびていたけれど、問題ない。電話もあるし、テレビもある。サイトに批判的意見を書いた人々は高級ホテルや日本のビジネスホテルのようなものを期待している人なのではないか。ゲストハウス的に思えば普通だし、良い方だと思う。パリでこの値段で泊まれるなんてとてもお得。次にパリに来ても、また泊まると思う。
朝食もついている。朝食はパンとジャム、飲み物だけ。でも、それで十分だし、パンがひたすらおいしい。そのパンだけで足りる。
パリはニースより寒い。そして、ニースより夜が明けるのが遅い。8時頃でもまだ暗い。地下鉄「jaures」の駅もすぐなのでとても便利である。すぐに市内へと行きたいところだが、実は翌日東駅から列車に乗るので、まずは東駅の下見に行った。朝7時11分の電車で乗り逃すと大変なことになる。それで、当日、もたつかなくても良いようにしておいたのだ。地下鉄の1日券を購入して東駅へ。東駅はヨーロッパのターミナルらしい駅であった。我々が日本で買っておいた列車のチケットもそのまま交換せずに乗れるということも分かった。時刻表などもゲットしたので、ようやく市内へ向かった。「chatelet」で降りシテ島に行くことに。シャトレ広場にあった柱の下にスフィンクスがあったので、思わず「コンコルド広場?」と興奮してしまった(勿論、後でそうではないと分かり、かなりがっかり)。まずはコンシェルジュリー。この日は第一日曜日だったので、多くの施設が無料になる。入るときにチケットと記念のカードの様なものを貰った。カードはマリー・アントワネットの肖像画だっただろうか。チケットには0.00ユーロと記してある。入り口でその半券をもらう。うむ、無料なのだから、チケット自体不要なのでは? 人数を把握したいのであれば、カウンターで数えれば良いのでは。またはカードの配布数で分かるのでは。疑問はいろいろあるが、気にせずセキュリティーチェックへ。衛兵の間の柱の様子が大変美しい。ここにはマリー・アントワネットの独房があったり、二階にも牢屋がある。歴史を感じない訳にいかない。因みにこちらのトイレは無料。まあまあ清潔。
次はお隣のサント・シャペル。こちらも日曜日は無料。セキュリティチェック有り。大きな礼拝堂ではないが、2階に上がるとあるステンドグラスはそれは見事である。良く作りました。。。フランスでも建物を見るだけで置く作ったなと感心する。実際に携わった、技術者、労働者、すごいな。カーペットの柄も面白い。美しさにくらくらしながらも次の目的地へ。因みにここのトイレも無料だが、清潔さは今一つ。
うっすらと積もった雪道を通り、花・鳥市場を横目にノートルダム大聖堂へ。こちらは塔以外は無料。中に入ると丁度ミサの最中であった。聖歌隊は後ろに控えていた。広い内部。こんな広い空間をよく作りました。この大聖堂の塔にも上がることができるのだが、時間もないので、後日の家人と別行動日に一人で上ることにする。ガーゴイル君達、待っていてくれたまえ! 大聖堂の先に入り口があるクリプトにも様子を見に行く。ローマ遺跡が地下にあるのだ。ここは後日ミュージアムパスで入ることに。
セーヌ川を徒歩で南側に渡り、昼食を取った。

2010年07月19日 (月)

2010・2月 フランス旅行・ニース〜パリ(4日目)〜その2

最終日にして初トラムは旧市街で降りて、その後、城跡へ。そこは小高い丘であった。旧市街から階段を上がり、振り向いて見える旧市街の様子は大変美しい。城跡に通じる道の途中には人工の滝もある。お城の遺跡もある。頂上にはおみやげ物屋さんもあり、市民の憩いの場所のようである。残念なことにここではトイレを見つけることができなかった。フランスではトイレ探しは重要である。別の道から海岸を目指して降りていくと展望台がある。そこから見る海岸線は絵画でも見慣れたものだ。初めて見る感覚ではないのが面白い。
さて、海岸に降りてみる。今まで普通に砂浜だと思っていた海岸は丸い石で敷き詰められていた。形の揃った丸い石なので人工ということ(確かにあとでガイドブックを見ると石だった)。石だと砂みたいに足に付くこともないので夏の海水浴には良いのかもしれない。この海岸線沿いには高級ホテルもあるらしいが、我々はそんなものには余り興味がない。
海岸で持っていたパンを食べて旧市街へ。途中発見したトイレは勿論有料だが、入り口に人がいるタイプだったので清潔であった。もう市場も終わっている時間だったので簡単にお店巡りをする。オペラ座近くにある可愛いおばあちゃんがやっている石けんのお店でお土産をいくつか買う。たくさんの石けんがあって迷ってしまう(しかし、この石けんには後日談が)。
時間となったのでホテルに帰り荷物を受け取りバスで空港に向かった。ニース空港は海沿いに有り、町からも近いのでとても便利で、光景も美しい。空港内ものんびりしていて長閑である。ニースともさようなら。寂しいな。のんびりと良いところだったな。
また途中雪山を見ながらパリへ。着いたのはオルリー空港。以前はフランス第一国際空港であったのだが、暗く、天井が低くて、これが第一国際空港だったのかと思うとなかなかの歴史が感じられて可愛らしい。パリ市内にはタクシーで。ホテルの住所を書いたメモを運転手さんに見せて「このアドレスにシルヴプレ」。フレーズ、覚えておきました。空港から市内へ向かう道の壁には途切れることなく落書きが描いてある。一体いつ、どうやって描いたのかと思うとその根性も凄いと思えてくる。またその落書きは日本でも壁に良くあるもので世界共通のデザインなのだなと分かる。市内に入ると、あ、ノートルダムが、あ、○○が。興奮してしまう。ホテルに着いた。タクシー料金は40ユーロ強。荷物チャージも取らなかったムシュー。
ホテルのフロントは二階。二人で1泊7000円弱のホテルである。気さくな青年がフロントに。今回このホテルを予約するのに二つの異なるホテル予約サイトから予約したので、途中から違う部屋になっていたが、ずっと同じ部屋にいることができるかと尋ねると、後でやっておくよと気さくに言う彼。このホテルの時点で挨拶以外は英語モード。パリは違うんだなぁ。夕飯はホテルのすぐ近くにあるマクドナルド。フランスで二度目のマクドナルドか。今回は普通のチーズバーガーにしたが、これも日本よりおいしい。何が違うのかなぁ。
その後お風呂に入ろうとするとお湯が出なくなった。時間制限かボイラーの関係かもしれない。でも、大したことではない。ぬるま湯で洗ってお休みなさい。
明日からはパリ!

2010年07月18日 (日)

2010・2月 フランス旅行・ニース最終日(4日目)〜その1

ニース最終日。この日は個人的に大変なことをしなければならない。この日の夜に着くパリのホテルに到着が夜遅いということを電話で伝えなくてはならないのだ。勉強したにわかフランス語で文章を作り、フランスに来る前にフランス語の出来る友人に直したりもしてもらった。言わなければならない事柄を紙に書き、間違ってはいけないので読み方も書いた。あぁ、緊張する。日本で普通の電話でさえ緊張するのに、フランス語で電話なんて。さて、パリに電話する。ホテルの人が出た。「ワタシは○○です。あなたのホテルに今夜から泊まる予定です。が、今夜10時頃に着きます」。通じたようだったが、やはり時間がちゃんと伝わったか心配だったので「アングレ、ok?」と英語に切り替え。もう一度時間を確認して、「メルシー、アビエント」と軽快に締めくくった(つもり)。懸念していた仕事終えたので、何やらやっと解放された気分。そして、前半のフランス語が何とか出来たのも嬉しかった。ワタシのにわかフランス語をちゃんとしたフランス語に直してくださったAさん、merci beaucoupです。
ホテルをチェックアウトして、荷物を夕方まで預かって貰う。とても気軽に預かってくれた。午前中はローマ遺跡、マティス美術館、お墓参りのあるシミエ地区へ。そこに行くバスに乗ろうと多くのバスが通りそうな大通りに行ってみるが、そこに行きそうなバスの番号が発見できない。どうしようかとうろうろしていたら、比較的ホテルに近いところにシミエ地区に行くバスを発見した。夕方には空港に行くので一日券を購入。そう言えば、バスの切符は一回乗りも一日券もなかなか立派で、カード大。紙製ではあるが、イラスト・デザインもちゃんとしている。それを貰って自分で刻印するのだが、それっきりで回収されない。一日券は仕方ないにしても、一回乗りは鉄道同様勿体ない気がしてならない。
バスや山の方に登っていく。目的地は一カ所にあるので降りるのも簡単であった。ローマ遺跡の競技場はこれまた改装中で柵が張り巡らされている。あぁ、ここでも入ることが出来なかった。が、柵の間から眺める。マティス美術館は広くて、人が少なくて、大変見やすい。初日に行ったマティスの礼拝堂、ロザリオ礼拝堂の模型などもあったり、絵で見慣れた椅子などもある。訪れる人もそんなにはいなくて、ゆったりと過ごすことができた。美術館を取り巻くようにローマンバスもある。本当はその遺跡まで降りて行きたかったが、どうやらその入り口は遠い反対側のようだったので諦めた。そしてお墓参りへ。デュフィとマティスのお墓があるという。デユフィのお墓は多くの人と一緒であった。見晴らしの良いところで寂しくなさそう。一方、マティスは一人だけ。特別感があるがちょっぴり寂しそう。
時間に余裕があるわけではない。次の目的地に向かう。町に戻ろうとバスに乗った。しかし、バスはシミエ地区の山から下りて、来たのとは反対に向かった。家人は正しいと言うが、絶対に反対方向である。どうするかと考えていたら、トラムの駅が見えた。今日買ったバスの一日券はトラムにも乗り放題なのですぐに乗り換えた。あぁ、これで無事に町に戻れると思って座っていたら、フランス人のお嬢さんが英語で話しかけてきた。ニースのトラムに関するアンケート調査だという。どこから来たか、トラムに乗った後の行き先などいくつかの項目を聞いて行かれた。外国でアンケートを聞かれるのも面白いな。またニースは外国人にも積極的にアンケートをしてより良いサービスを目指しているのだなと分かる。本来乗るはずではなかったトラムにも偶発的に乗ることができて、それなりに楽しかったな。

2010年07月04日 (日)

2010・2月 フランス旅行・夜のニース(3日目)〜その3

ニースに帰って、我々はプロヴァンス鉄道の駅に向かった。本当はその鉄道に乗って山の中に行ってみたかったけれど、如何せんそれをすると一日時間を取ってしまう。そんな時間的余裕は残念ながらなかったのだ。家人のある友人が我が実家に通じる福塩線の車窓を見て、「プロヴァンスがここにある」と言ったそうだが、この鉄道の車窓に似たものがあると何だか想像できる。それで駅だけでも見ておきたいと向かった。
さて、駅に向かう途中、鉄道の高架下を歩くと、その天井は青い青い照明であった。家人は「ニースブルーだ!」と教えてくれる。
プロヴァンスの駅はちょっと遠い。また夜で暗くて道も分かりにくい。ある路地で地図を持ってうろうろしていたら、後ろからご婦人が声を掛けて下さった。我々がプロヴァンス鉄道の駅に行きたいと分かると、場所をすべてフランス語で丁寧に教えて下さる。そして、さり気なくご婦人は帰路につかれた。あぁ、親切だなぁ。そしてすべてフランス語、良いなぁ。それで良いのだと思う。我々はご婦人の手振りと単語を頑張って聞き取って駅に向かった。キーワードは右、大きいスーパーマーケット、そして駐車場。何となく右に向かうと、スーパーマーケットと駐車場が出てきて、その向かいに駅があった。聞き取ったすべてがそこにあって、とても嬉しくなった。
プリヴァンス鉄道の駅は思っていたより近代的で簡素であった。想像していたのは古くて、石造りか木造のもの。随分違う。明日に備えてか停車していた列車も小さくて可愛らしい。列車を写真に撮っているとそれを見た人が笑っていく。駅で時刻表を貰って帰る。いつか乗る日が来るだろうか。
その後は夕食の為に歩いて旧市街に。家人がガイドブックで探してくれたお店を探すがなかなか見つからない。諦めかけた頃、やっと発見したが、満員で「予約してありますか?」と聞かれる。人気店なのだな。では、どうしようか、インド料理店もあるよとワタシが言っていたら、家人が別のお店を発見。そのお店もニース料理屋さんらしい。入るとそこも人で一杯。各テーブルは距離がとても近くて狭い。やっと座って注文する。ニョッキ、サラダ2種、ズッキーニのフリッター。我々の席の後ろに座っていた老夫婦さんが頼まれていたデザートの大きさにびっくりすると「とってもおいしいよ」と教えて下さる。料理がやってきた。うむ、一皿の量が半端なく多い。サラダ2種は多かったな。サラダはトマトがメインだったけれど、これが日本のトマトに比べておいしくない。というか、野性的な味。日本のトマトは食べやすく改良されているのかな。最近は甘いトマトもどんどん新しいものが出ている。フリッターはおいしかった。ズッキーニを縦に切って天ぷらにする大胆さにも驚いたが。ニョッキはビーフシチュー味みたいなものだったが、うむ... 食べるに従って辛くなる。が、お隣の若夫婦と娘さんの食事を見ると、一人一皿で小さな娘さんも一人で一皿のニョッキを食べている。それも軽々と食べ終わった。うむ、やはり小さい頃から体が違う、馬力が違うんですな。思い知りました。我々はと言うと、サラダを一皿余計に頼んだとはいえ、予想以上に食べることができなかった。申し訳なかったけれど、食べられない。お会計の時に注文時には若干無愛想だったご主人も満面の笑みで「good?」と聞いてこられた。我々は「oui!」フリッターおいしかったし。残してごめんなさい。
帰りに小さいお店でコーラを買って帰った。そこのレジでは「ジャポネ?」。答えは勿論「ウイ」。こんな簡単なフランス語も嬉しいな。今日もいろんな処に行ったな。お休みなさい。

2010年06月28日 (月)

2010・2月 フランス旅行・ヴァロリス(3日目)〜その2

ヴァロリスに向かうバスに乗って約30分。どうして降りるべき停留所が分かったのだろう。終点ではないのに、誰に尋ねなくても、何の迷いもなくバスを降りた。ガイドブックに書いてある停留所名が書いてあったのだろうか。もはや、まったく覚えていない。が、バスを降りて美術館に行こうとしたが、なかなか見つからない。ガイドブックにはバス停近くの「小さい階段」とある。バス停の少し先に階段があった。それを登って行く。とても良い雰囲気の民家が並ぶが、美術館であるお城がある様子はない。家人が階段を登って来た御夫人に尋ねると、違う方向を指差された。その方向に向かうと、少し広いところに出た。そこにはピカソの「羊を抱く男」。近くには観光案内所もある。案内所で地図を貰う。そして、お城は広場のすぐ横にあった。美術館の午後からの開館には時間があったので、美術館のショップの軒下で雨宿りをしながら、持っていたパンで昼食。
さて、ピカソ美術館は実は元々はヴァロリス城であった。その前は修道院だったそうだ。そのためだろうか、要塞感がまったくない。その城が現在はピカソ美術館、陶芸博物館、マニエリ美術館の3つになっている。美術館の午後からの開館時間になり、職員さん達も戻って来た。我々以外はみんな職員さん。まずはトイレを借りる。職員さんがトイレ近くまで案内して下さる。それから、展示をゆっくりと見て回った。我々以外は誰もいない。雨だから余計に人が来ないのだろうか。我々が美術館にいた間、誰も来なかった。若干、普段から人が少なそうな感あり。各部屋にいる職員さんに挨拶をして回る。お城の中をうろうろするのも面白い。
その後、敷地内の礼拝堂に向かう。そこにピカソの「戦争と平和」がある。礼拝堂は薄暗く、静まり返っている。入り口でチケットを見せる。奥に入った途端、我々は思わず「わー」とため息の様な感嘆の声をあげた。部屋の3面に様々な場面が描かれている。これには声をあげられずにはいられない。ヴァロリスに来た甲斐が大いに、大いにあった。実際にこんなものが見られるとは思ってもいなかった。アンティーブのピカソ美術館が閉館だったのはある意味、幸運だった。普通に開館していたら、もしかしたらヴァロリスには来ていなかったかもしれない。訪れる人の少ない美術館なので、我々はそれをずっと独り占めという、もの凄く贅沢な時間を過ごしたのだ。今、思い出しても、その時の興奮が蘇る。が、職員さんは流石に暇を持て余しているのか、我々に話しかけて来た。ワタシは拙いにも程があるフランス語で質問する。彼はフランス語と少しの英語で丁寧に説明してくれた。単語を頑張って聞き取って何となく理解。ここでも、彼の説明によって、見えなかったものが見えて来た。merci beaucoup である。見終わって外に出て、説明してくれた彼と写真を一枚。気軽に応じてくれた。きっと、いつも暇なんだろうな。ショップで買い物した後も、彼は外で見ていてくれた。我々は再度彼と立ち話をして別れた。最後まで手を振ってくれた。可愛らしい青年だな。
その後は町を散策。人気が殆どない。民家を見て回ったり、小さなお店屋さんで飲み物を買ったり。民家はそんなに大きくないし、窓が少ない気がした。中がどんな造りになっているのだろう。昔からのフランスの民家に入って見たい。美術館の彼もこんなところに住んでいるのかな。現代風の若者が昔ながらの家に住んでいる。それを想像するともの凄く面白い。日本のそれを同じだろうか。
元のお城がある広場に戻って来た。広場には小さな図書館もある。その向いには無料の(♪)清潔なトイレもある。ワタシはフランスに来てトイレ確認が常になっていた。すると、もの凄い雨だったのに、一転して濃い色の青空になった。家人はその色にひたすら感動している様子。それを「ニースブルー」というのだと教えてくれた。
ニースに帰る。広場の横に小さな階段があった。ガイドブックにあった「小さい階段」とはこれだったのだな。アンティーブ方向に向かう側のバス停すぐの階段であった。ニース行きのバスもあったかもしれないが、とりあえず、アンティーブに戻る事に。このヴァロリスのような小さな町に住むのはとても面白そうだなぁ。
アンティーブの駅でニースまでの切符を買う。切符を手配してくれた男性が我々がフランスに不慣れと思ってか時間とホームの番号を訊かないのに教えて下さった。ここでも merci !

2010年06月19日 (土)

2010・2月 フランス旅行・アンティーブ(3日目)〜その1

今日は雨。でも道行くフランス人の多くは傘をさしていない。何故だろう。濡れるのに。荷物になるからだろうか。ファッションのためだろうか。傘がないのだろうか。
この日はアンティーブに鉄道で行く。ニース周辺のどこに行くかいろいろ検討した結果、ピカソ美術館であるお城に行くことにした。その前にフランスの友人へのお土産をニースヴィル駅近くの郵便局から発送する。本来はパリで会いたかった20数年来のペンパルであるフランス人の友人だが、子供を出産したばかりで各種予防接種もまだなので、今回は会うことはできなかった。残念だが、もしも子供に悪い菌が感染したらという母親の心配は尤もだ。心配な危険は予め防がなければならない。さて、郵便局で小包を出す。窓口に並んで荷物を差し出す。窓口はすべてガラスか何か透明なもので遮られていて、映画館のチケット売り場の様に少し隔たり感がある。中身の申告書を書いて保険付きにする。料金は何と19ユーロ。日本の感覚からするとお高い。確かにフランスから来る封書にある切手を見てフランスの郵便料金は高いなと思ったことが何度かある。何とか発送できて一安心。
ニースヴィル駅に行ってアンティーブ行きの切符を購入。「pour Antibes, duex, s'il vous plait」哀しいが、もはや単語の世界。貰った切符は航空券くらいの大きなものであった。それを黄色い刻印機に差し込んでホームに行く。表示に沿ってホームに行ってみたものの、どの列車かよく分からない。きょろきょろしていたら、女性駅員が話しかけてどのホームかを教えてくれた。あぁ、merci です。因みにそのホームに停車していたのはどうやら TGV の様であった。何と TGV は幹線列車と同じ軌道を走るのですな。それであのスピード。日本は新幹線と幹線の軌道が分けてあるのだが、どちらが良いだろう。建設することにおいては同じ軌道の方が費用も掛からず時間も早い。区別してある場合は費用も時間も掛かるが、何かしらの事故や問題が起こった時、その影響をどちらもが受けにくい。列車に乗り込むが生憎の雨で窓ガラスが曇って外が余り見えない。
アンティーブに着いて駅を出るが、その際に切符の回収はない。あんなに大きな切符なのに回収しないとは紙が勿体ない気がする。町まで雨の中を暫く歩く。町の中心地の噴水前にある案内所で地図を貰う。雨は相変わらずだが、お城に向かった。お城に向かうに従って、町並みが古くなっていく。入り組んだ石畳の路地、昔の建物が観光目的でなく普通に使われている。大変美しい。前日のサン・ポールよりその様子は美しかった。海近くに出るとお城はすぐそこだ。が、様子が何だかおかしい。お城への入り口には妙な足場がある。もしやと思ったら、入り口方面から帰って来た観光客らしき人が「閉まってるよ」と教えて下さる。あぁ、昨日のマーグ美術館に引き続き閉館中。そこにあるのに、行くことの出来ないお城。まさに「城」ですな。
ということで、引き返す。途中あった市場に寄ってみるが、そろそろ店じまい時間になった様子。野菜や果物、チーズが並ぶ。まだ後があるので、何も買わず見学だけで終了。
その後、家人が国立ピカソ美術館があるヴァロリスに行こうと提案。アンティーブからバスで行くことができるらしい。バスターミナルでヴァロリスに行くバスを探してみるがどこにもない。今ではもうなぜ気がついたのか覚えていないが、噴水のところにあるバス停だと気づいて引き返した。バスは噴水広場の横でもなく、案内所の一画の横、普通のバス停に来るのであった。兎に角乗り込んでバス賃を払う。一人1ユーロ。
   

2010年06月09日 (水)

2010・2月 フランス旅行・ヴァンス(2日目)〜その3

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やはり行ってみなければ分からないものは多い。
サン・ポールの次には家人が最も行きたかったヴァンスにあるマティスの作ったロザリオ礼拝堂だ。サン・ポールからヴァンス行きのバスに乗って終点で降りる。そこから徒歩。行く前は修行の意味も込めての高いところにあるのかと思い、それなりの歩きを覚悟したのだが、暫く歩くと民家の間にぽつりと礼拝堂が出てきた。少々、拍子抜けの感あり。二車線の狭い道路なのに大きな観光バスも停まったりする。

100204_1407_rosalio.jpg礼拝堂の中は撮影禁止。入る前に家人は礼拝堂の屋根の上の十字架エントランスの装飾などを熱心に写真に撮っていた(も撮ってはいたが)。家人にとってはかなりの興奮ではないかと想像する。勿論、家人をに行かせる。
礼拝堂のドアの把手は先に握らせなければなりませぬ。

ドアを開けて入ると、下に降りる階段が。拝観料(と言っておこう。礼拝堂だもの)はその下で払う。全体は思っていたより小さい様な大きい様な。
タイルの絵は思っていたよりも大きかった。ステンドガラスから入るが美しいな。これがもっと晴れた日であったらもっと美しかっただろう。懺悔の部屋へのドアもマティスがデザインしたそうだ。細部のすべてがマティスによる。椅子に座ったり、歩いたりしてじっくり見た後、ショップに行って家人はいろいろお買い物。

rosaire_altar.jpgその間には昨日CDG空港からニースの空港まで一緒になった団体のご婦人方とも一緒になったりしてお話しする。ワタシはトイレにも行ったり。ここのトイレはショップの横にある階段を上がって、外に出て道路側の突き当たりにある。ワタシが行ったときは鍵が掛からなかったので要注意。ショップのマダム二人もいろいろ吟味する家人の味方になってくださったのか、いろいろフランス語で話しかけて下さる。ワタシのかなり拙いにわかフランス語でも役に立つのだ。そしてたくさんお買い物した家人にはとても素晴らしいおまけがあった。これは内緒。

rosaire5.jpgお買い物を済ませて、また礼拝堂に戻る。
礼拝堂にはフランスのどこかから来た高校生の団体。社会見学だろうか? シスターが説明してくださるのを我々も座って聞いた。ところどころ分かる。その後もイタリアから来た団体さんと一緒にまた説明を聞く。キリストの様々な場面の絵も流石、イタリア人は○○の時の絵だとすぐに分かる。キリスト教圏なのだなと改めて感心。二回聞くと何となくではあるが、少し分かった気になる。その後、またショップへ。二人のマダムはまた来たねと歓迎。その内の一人のマダムと話していたら、シスターは英語が話せるからと、シスターに説明をしてくれるように頼んで下さった。シスターは団体の時よりは簡単に説明してくださった。「3」という数字がキーワードであること。聖ドミニコには「」という文字が描かれてあること。我々が今まで雲だと思っていたふわふわの絵は花だということ。が最も美しいということ。他にもたくさんあったのに、忘れてしまった。メモでも取りながら聞けば良かった。。。礼拝堂に何時間いただろうか。家人はまだまだいたい様であったが、閉館の時間もある。シスター達にお礼を言って出た。

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ショップのマダムが家人に教えて下さったという、礼拝堂が下から見える道路に出た。途中、ドングリの木と葉っぱを発見。葉っぱはもう枯れていたけれど、その形が何かに似ている。マティスの絵に良くあるワカメのようなひらひらだ。礼拝堂のステンドにもあった。ワカメのようだなと思っていたのだが、もしかしてドングリの葉っぱなのかもしれないとも思えてきた(海の絵にあるのはドングリではないだろうが)。下からも堪能してバス乗り場に帰る。家人は本当はヴァンスに一泊したかった様だ。旧市街にも行きたかったようだ。が、来たバスに乗ってしまった。

100204_2319_cassis.jpgニースに帰ってから、スーパーマーケット「モノプリ」に寄る。簡単に見て回って、ケーキを買って帰る。その後夕飯。ホテル近くのピザ屋さんでピザ。フランス人が一人一枚のピザを食べていたので、我々も同じように2人で2枚のピザを頼んだ。が、多い。食べきれない。フランス人は馬力があるなぁ。体が違うんだなぁ。思い知った。悪いと思ったが食べられない。
ホテルに帰ってからケーキ。ピザは食べられなくてもケーキは食べられるのだな。ワタシが選んだのはカシスチョコレート。どっしりしていて味がしっかりしていて、大変おいしい。カシスとチョコレートが融合した、今までずっと夢に見ていた理想の味だ。大満足で就寝。お休みなさい。

2010年05月15日 (土)

2010・2月 フランス旅行・サンポール(2日目)〜その2

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続いて、サン・ポールの村へ。
100204_1147_petang.jpgサン・ポールは中世の町並みがそのまま残るところで、可愛らしいお店などが建ち並ぶ。いわば、日本の町屋を利用したカフェなどが並ぶところのようなもの。ちょっと観光目的なところがあって、そういう方向で開発しすぎるのも疲れることはあるにはある。サン・ポールはそれでもそんなに観光化されていないという。サン・ポールの入り口のバス停には有料トイレがあるが、町の中に無料トイレもあるので、町の中では安心。バス停から少し歩くと、ペタンク場がある。冬なのでゲームをしている人は少ない。ペタンク場の向かいにはなにやら面白い水場がある。飲み水(eau potable)も流れているので、昔の社交場か洗濯場、はたまた馬の水飲み場。何も書いていないので分からない。人もいないので聞くこともできない。

100204_1151_stpaul.jpgをくぐって、町の中に入っていく。小さな可愛らしいレストランやお店でいっぱいだ。もしかすると、そういうお店がない方が雰囲気がより良いかもしれない。お店よりそこに住む人々の暮らしぶりが見えた方が面白いかもしれない。が、ここには生活感が余り見えてこない。途中には噴水があったり、水場や水飲み場が数カ所ある。フランスは水道水も飲むことができるし、こうして湧き水(山水?)もあり、水に豊かなところなのですな。

100204_1216_view.jpg町を抜けて展望台に出た。今までの石の建物から一変、大きく開けた景色が見える。思わず「わー」と声が出た。大変美しい風景だ。遠くにはニースの海が見える。そして、振り返ると白い雪山が見える。あの雪山は方角からいってアルプスの何かだろうかとその時は思ったが、後でよく考えてみるとアルプスはまだまだ遠かった(^^;)。温暖な地中海と高い雪山が同時に存在するなんて思ってもみない景色であった。暫くその景色に見とれてしまった。

100204_1247_crepe.jpg展望台から町に引き返す。教会近くの無料トイレは清潔にされていて気持ちが良い。最後に門近くのクレープ屋さんでクレープを昼食代わりにする。なかなか無愛想なおじさんのようなおばさんが作ってくれた。ペタンク場のベンチで食べる。ワタシはレモンと蜂蜜にしたが、レモンの酸味が最後には辛くなってきてしまった。お向かいの例の水場で手も洗って、ヴァンスに行くバスを待つ。家人はバスの時間まで何かアイスクリームでもと買いに町に入っていたが、手ぶらで帰って来た。何故買わなかったのか、もはや覚えていない。

2010年04月30日 (金)

2010・2月 フランス旅行・サンポール(2日目)〜その1

100204_0743_breakfast.jpg朝食はホテルのバイキング。
大変、充実していて、貧乏性の我らはいろんなものを食べてしまった。お昼を食べなくても良いくらいだ。

この日はサン・ポールと家人最大の目的地であるヴァンスへ。まず、サン・ポール行きのバスに乗るためにバスターミナルへ。しかし、どのバスに乗れば良いのか、大変、分かりにくい。運転手さん達にサン・ポール行きのバスを聞いても、誰にも分からない。うーむ、自分の担当路線以外は分からないとは、なかなか良い感じですな。他の乗り場で探していると、子供を引率する中国人らしき先生がサン・ポール行きのバスを教えてくださった。「謝々」。が、次のバスまで時間があるので、家人はバスターミナル周辺をうろうろ。

100204_0938_toilettes.jpgワタシはトイレに行きたくなったので、バスターミナル内のトイレに行こうとしたものの、40セントを入れないと入れないトイレであった。生憎、そこまで細かいお金を持っておらず、インフォメーションのお姉さんに両替をしてもらおうとしたが、ここでは両替はやっていないと、つれないお答え。気を持ち直して、外にトイレを探しに出かけたが、マクドナルドも朝は開いていないし、困ってしまった。
家人が帰ってきたので、小銭を持っていないかと聞いてみる。40セントではなかったが、おつりが帰ってくるかもと儚い希望を抱いてトイレのコイン挿入口に50セントを入れてみるが、やはりダメ。
そうしていると、見かねたマダムが助けに来てくれた。まず、マダムはインフォメーションに両替を頼みに行った。が、やはり駄目なものは駄目。これにはマダムも閉口。その辺の乗客にも聞いてくださるが、誰も持っていない。すると、マダムは自分のお金を出して入れ始めた。
おぉ、マダム、メルシー。フランス人、親切だ。それもさり気ない親切。

100204_1049_stpaul.jpgサン・ポールに行くバスに乗り込む。
バスにはアナウンスがなく、バス停には次のバス停の名前がないので常にきょろきょろしてしまう。家人は写真撮影。お隣に乗り合わせたご婦人がそんな家人を見て笑う。
暫くすると、古い中世の建物ばかりで出来た山のようなものが出てきた。バス停の名前を見るとサン・ポールらしい。先に降りた人に家人が確認して降りる。

100204_1111_mag.jpgまずはマーグ財団美術館へ。
サン・ポールの村とは反対側、郵便局のところを山に向かって行く。なかなかの距離だ。やっと美術館の看板を見つけ、更に山の上に。美術館に着くが、人気がない。裏口みたいなところをどんどん進むと、建物の入り口らしきところに着いた。するとご婦人が「システム・トラブルで閉まっているのよ」。一歩たりとも中には入れない。ざ、残念。すごすごと帰ると、料金所のようなところにフランス語で「トラブルに閉まっている」というようなことが書いてある。事情を知って読むと、フランス語が何となく分かる。山を下りていくと、確かに「春にオープン」という看板があった。あぁ、事情を知って読むと解るフランス語。。。事情を知らなくても分かるようになりたいものだ。

2010年03月27日 (土)

2010・2月 フランス旅行・ニース着(1日目)

お昼頃のエールフランスに乗って直接パリに。実は前日エールフランスの便がどういう訳か欠航になっていたので少々心配であったのだが、何もなく飛行機は飛んだ。何故前日欠航になったのだろう。日本の他の空港からは飛んでいたので空港の問題ではなく、乗客が少なかったという理由かもしれない。うーむ。
12時間という飛行時間はワタシには初めてのことで、最近はタイへの6時間もしんどいと思うことがあったので、耐えられるかと心配ではあったが、想像していたよりは長くはなかった。初めての欧州への緊張感でもあったのだろうか。

100203_1656_challe.jpg

パリのシャルルドゴール空港にてニース行きに乗り換える。乗り換え地点まで歩いていくのだが、結構遠い。乗り換えによってはバスで行かなければならないところもあるようなので、この空港は広すぎる感もある。が、乗り換えまでの空港内デザインもなかなか洒落ていて、歩くのもそんなに退屈しない。途中、入国審査があり、国内線に乗るための持ち物チェックもある。そこではフランス人にいきなり「エキタイ?」と言われ、何のフランス語かと思っていたら日本語の「液体」であった。初め何のことか分からないという顔をしていたら、彼女らは「コリー?シノワ?」。「ノンノン、ジャポネーズ」。フランス語訛りの日本語も分かりづらいな。無愛想で謎の国内線チェックも終わり、やっと国内線ロビーに。これまた広々としたフロアーでなかなか快適である。が、我らのニース行きはシステムトラブルで1時間遅れ。一度飛行機に乗り込んだものの別の機体にするとのことで、一旦降りて、バスにて他の飛行機に乗った。

Paris

ニースへは約1時間半。途中には雪景色の山々が見える。ニースには21時頃に着いた。バスにてニース市内に向かう。が、そのバスに空港のどこで乗車するのか、そういう表示はどこにもない。到着ロビーから外に出て歩いていると出口から出て右に100メートル位行ったところにバスが停まっていたので乗り込む。4ユーロ。バスセンターで降りるつもりであったが、それがどこだろうと思っていたら、運転手さんに「ここがバスセンターだよ」と言われる。恐らく殆どの観光客はそこで降りるのであろう。言われるままに降り、そこからホテルを目指す。

Hotel Vandome「hotel vendome」。地図を広げて探していると、中年のフランス人夫婦に「どこに行くの?」と声を掛けられる。すぐに場所を教えていただいた。ニースについてすぐにこんな親切に出会うことが出来るなんて幸せなことだ。

ホテルにてチェックイン。受付の女性もすべてフランス語で説明してくれる。何なく大体分かるが、時に分からないことがあると英語で説明してくれる。あぁ、これがフランスかー。と思っていたら英語で「車ありますか?」。脳がもうフランス語になっていたので、それが英語とも分からずに「?」な顔をしていたら、フランス語で言い換えてくれた。答えは「non」。何だか嬉しくなった。

ちょっと小腹が空いたので、何かを食べに行くことに。受付の彼女に聞くともう殆どお店は閉まっているという。が、マクドナルドは開いているということで行ってみる。店内は日本のものとはまるで違っていて、雰囲気が開放的で、おおよそマクドナルドとは違う。店員も自分のスタイルの接客で日本のマニュアル化されたものとは全く異なる。あぁ、これがフランスかー。気持ち良いな。
ロイヤルチーズバーガーとコーラ。チーズがおいしい。日本のものよりおいしいぞ。
明日からは本格的にフランスだ。お休みなさい。

2010年03月14日 (日)

2010・2月 フランス旅行(行く前に)

2月、フランスに行った。ワタシは今までアジアばかり行っていたので、初欧州である。本当は一年以上前から家人とフランスに行こうかという話が出ていたのだが、何故だかなかなか決断ができずにいた。それが今回は本当に行くことにしたのだ。ワタシもラジオのフランス語講座で3ヶ月フランス語を勉強した。今思えば時間があったのだから最低でも半年、できれば一年勉強しておくべきだった。
2月という寒い時期にしたのは航空券が安く、仕事もお休みを貰いやすかったからだ。航空券もエールフランスのサイトで直接買うと思ったほどには高くなかったし(それもタイミングによるが)、ホテルも国鉄切符もミュージアムパスもインターネットで予め予約。便利になったものだ。今回はそうした準備等はほぼ家人がやってくれた。因みに家人は欧州は3度目。
今回の目的地はパリとニース。行ってきます。

2009年09月22日 (火)

2009 冬 平等院 + ニッポンガールズ・ライブ

11:45 PM

バレンタインデーの日、京都に出かけた。お友達のバンド、ニッポンガールズのライブが懐かしの京都「磔磔」であったので、その前に平等院にも寄った。

平等院は中学の修学旅行以来である。覚えているのは、池を挟んで阿弥陀如来様のお顔を拝んだだけ。それ以外は全く覚えていない。14、5歳だというのに、何も覚えていないものですな。

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今回は京阪宇治駅より宇治橋を渡った。宇治川というのはなかなか流れが速く、とても遊んだり出来そうにもない要注意の川だ。幅が広く、傾斜もないように見えるのだが、川も侮ってはいけないな。参道はお茶菓子やお茶を取り扱っているお店も多く、和風グッズもよくある参道よりも控えめな感じで良い。

表門から入る。何の見覚えもないので、中学時代には駐車場からすぐに入ったのかもしれないな。暫く歩くとすぐに鳳凰堂が見えてくる。鳳凰堂は美しい造りですな。繊細で細部にまで意匠が行き届いているのが見て感じ取ることができる。鳳凰堂の周りにはすぐに池があり、その池を挟んで鳳凰堂を臨めば、鳳凰堂中央にある穴から阿弥陀如来様のお顔が見える。鳳凰堂内部も300円の拝観料追加で決まった時間にツアーで拝観することができる。内部には雲中供養菩薩像が天を舞っているかのように配置されている。どの像も大変愛らしい。

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この鳳凰堂内部拝観のチケットの柄がとてもキレイだなーと思っていたら、ミュージアムにはそんな柄を使った物がたくさん。こちらのミュージアムグッズはちょっと心躍る物が多い。なかなか趣味が良いですぞ。鳳凰堂、鳳凰、阿弥陀如来、雲中供養菩薩像、壁の模様などを美しくグッズに使ってある。どれも思わず欲しくなるものばかり。

そうして、心を躍らせていて、ふと気づいた。鳳凰堂内部拝見チケットの柄は鳳凰堂内部にかつて描かれていた柄である。色鮮やかで大変美しく、心躍る模様。よく考えてみると、鳳凰堂建設当時はそうした柄が壁一面にあり、そんな鮮やかな空間にたくさんの雲中供養菩薩が浮遊し、極楽浄土はこんなにステキなところなのですよと民衆に説いていたはずだ。特に平等院は周りに池があり、まるで水面に浮いているかのような様子であるし、今も残る柱の朱色から想像しても、酔いしれてしまうような浄土の再現ではなかっただろうか。日本の神社仏閣、特にお寺などは古い建物も多く、わびさびの世界で、枯れた感じが胸に静かに安らぎをもたらしてくれるのだが、建設当時はそうではなかったはずだ。平等院に今回来て、初めて思った。建設当時の人々には「わー♪」という感覚だったのだと。平等院のミュージアムグッズには建設当時の様子をCGで再現した写真集があるのでその感覚を感じることができるかもしれない。(購入しなかったのが悔やまれる。通販してもらおうかな。いや、もう一度行きたいな)

参道では「抹茶の里」なるお菓子を購入。これはとてもおいしいお菓子で、今後も食べたい、お土産にも喜ばれるもの。ただし、参道ではお店によって値段が違うので、それにがっかりしたくない場合は出来るだけ平等院から遠いお店で買うのが良いかもしれない。が、それに期待しすぎると、扱うお店を大きく行き過ぎ、駅も近くなり、戻るのが億劫になる危険性もある。

Nippon Girls

平等院で思わず興奮してしまったが、ライブに行くため、河原町に向かう。磔磔には昔何度も行ったのに、道をすっかり忘れてしまっていた。家人が地元の方に尋ねてやっと分かった。ニッポンガールズは和楽器に長けた6人のガールズによるバンドだ。みなさん、演奏技術が高いので質も高く、聞くのも安心だ。後で聞くと、頻繁に会って合わせるのではなく、それぞれにアレンジを考え短期間で合わせるのだとか。うむー、高い技術を持つ方々ならではですな。ガールズは皆さんお着物で美しく、可愛らしい。ただ、残念だったのは、バレンタインデーだったので入場時に渡されるはずだったチョコレートを我々にはライブハウスのスタッフが渡し忘れたことである(^^;)。
平等院もニッポンガールズもまた行きたいな。

2009年09月05日 (土)

2008・秋・正倉院展

05:27 PM

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初めて正倉院展に行った。八角鏡 平螺鈿背が公開されるのでそれを第一目標として見に行った。八角鏡 平螺鈿背は我が家人の祖父が美術教師時代に高校生にデッサンさせたことがあるらしい。高校生にこれをデッサンさせるとは無茶だなと思いつつ、それを素直に実践する生徒さん達もなかなかの肝いりである。

さて、その日は休日であったので奈良国立博物館に入るまで長蛇の列であった。小雨も降る日で、列が出来るところには白テントが設置してある。そのテントに落ちた枯葉を下から眺めると何とも美しい。思ったほど長時間待つこともなく、テントの枯葉や鹿などを見て、中に入っていった。

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中も多くの人で、特に八角鏡 平螺鈿背の周りは人で一杯であった。みんなこれが見たいのだな。と、思ってふと顔を上げると、みのもんた氏が。後で聞いた話だが、この日、みの氏が訪れるというので多くの人が来たのだとか。他の日はここまで混んでいなかったらしい。みの氏、来るならこっそり来ておくれ。が、みの氏にはお付きの学芸員が説明されていたので、近くに居ると耳よりなことも聞くことが出来た。

八角鏡 平螺鈿背は美しいものですな。他にも美しいものがたくさん。ペルシャや唐から来たものなどなど。正倉院に保存してあるのですなぁ。これらを保存することは大変なことですなぁ。期間中は正倉院も無休で公開されているらしい。我々はそれを知らずに正倉院展だけ見て帰った。

列に並んだり、人だかりの中、見たので大いに疲れ、この日は中谷堂のお餅をちょっとだけ頂き、旅館「白鵬」にある「かふぇ・みます」にも寄らずに、大仏プリンだけ購入し、早々と家に帰ってしまった。勿論、奈良駅までにある JA でジャムを購入して。次回も行きたいな。

2009年08月30日 (日)

2009・冬・和歌山市への旅

11:24 PM

2009年、年が明けてから和歌山市に出かけた。和歌山はワタシと家人にとってポイントが高い県の一つである。今回、やっと和歌山城に行くことができた。

JR で和歌山に向かうと、途中峠のようなところを抜けたり、海に近かったりと車窓も大変面白い。和歌山駅地下にある観光案内所にて地図をもらってから、和歌山城に移動。家老屋敷跡などのある通りを通りたかったが、道を多少間違えてしまったかもしれない。そのうちにお堀に出て、岡口門から天守を目指した。途中、ランニングする高校野球部員にも出会う。「こんにちわー!」。高校生の挨拶。おぉ、新鮮だ。小学生の頃はワタシも登下校では出会うすべての人に挨拶をしていたが、和歌山城でそんな学生さんに出会うとは思わなかった。そして、遅れて挨拶を返す自分を恥じる。天守に続く道は割とゆったりしていて、穏やかな感じだ。本丸に行くと、周りに曲輪(くるわ)が巡らされており、それは小さいがお城というものがよく分かるのではないかと思った。本丸を後にし、南海・和歌山市駅へ。本当は再建された御橋廊下も渡ってみたかったが、時間がなかったので、断念。

和歌山市駅に行く途中で昼食。
昼食は和歌山ラーメン。この日は運悪く雨であったので、駅に行く途中にあったお店に入った。味は普通でありましたな。しかし、そこにあった早寿司(鯖鮨)に感動。和歌山ではラーメンと一緒に早寿司を食べるのが普通だそうだ。それで麺の量も少なめなのだとか。ワタシはラーメンをご飯と食べるというのは余り好きではないが、早寿司と食べるのはアリだ。

食後、南海和歌山市駅へ。
ところで、今までお城で出会った高校生以外、余り人に会っていない。雨だからだろうか。日曜日だからだろうか。何だか寂しい。
そして、南海加太線にて加太へ。この電車も緑を抜けて走ったり、海が見えたりと楽しい。そして、各駅が可愛らしい。特に加太駅は造りも面白いし、駅員の方も大変親切である。まずは温泉に入るため何とタクシーシーサイドホテルに向かう。いくら雨模様とはいえ、ちょっとばかり遠いとはいえ、近距離をタクシー移動するとは我々も大人になったものだなぁ。こちらの露天風呂は道路を挟んで海が臨めるので気持ちが良い。

その後、近くにある淡島神社を訪れる。
この神社は人形供養でも有名で境内には所狭しと人形が並んでいる。その画はなかなかの迫力である。その日もダンボールでぬいぐるみを供養しに来られた人がいた。こちらの参道は短いのだが、サザエや海の幸を売っている。食べることはしなかったのだが、商売気が薄く、控えめな感じでほのぼのする参道だ。それから、徒歩で加太駅に向かい、帰路についた。帰りの和歌山駅でお土産ものなどを購入。「梅グラッセ」なるものを購入してみたが、うーむ、梅の砂糖漬けだ。お土産には他の物が良いかもしれない。

華岡青洲の家にも行ってみたいし、和歌山市周辺にも行ってみたいところがたくさんある。和歌山、また行きたいな。

2009年07月26日 (日)

2008・秋・鳥取砂丘+香住+餘部鉄橋

11:49 PM

鳥取砂丘

気温も程よい秋の日、日本海側に行った。JTB の旅行券一万円が当たったので、それを利用して旅物語の「さよなら餘部鉄橋と絶景かすみ海岸遊覧船と鳥取砂丘サンドミュージアム(日帰り)」バスツアーに参加したのだった。初のバスツアーに参加したのだが、うむ...目的地まで連れて行って下さるのは便利だが、やはり我々には大変不便であった。中にはバスツアーに慣れた方々もいらっしゃり、昼食などもさっと終えられ、その合理的行動に感心さえしてしまった。

さて、まずは鳥取砂丘へ。
着くやいなや、参加者全員で写真撮影。出発するときに写真を購入するシステム。我々はそれを生計の一つにしている方には申し訳ないが、買うことは決してない。砂丘ユニオン2階のレストランで昼食後、ツアーに付いている「サンドミュージアム」観賞。世界中の世界遺産のいくつかが砂で作られている。上手だけれど、本物でなければやはり哀しい。ここは見ないで砂丘に直行した方が良かったと後悔。初めて見る鳥取砂丘は思っていたより広かった。時間がなかったので海まで行くことは到底出来なかったが、その大きさは十分に感じ取られた。次回は海まで行ってみたい。そして、梨ソフトクリームは結構おいしいので、是非。

次の目的地は香住港
ここから三姉妹船長で有名な「遊覧船かすみ丸」に乗船し、香住海岸見物。この日はが少々荒く、船が苦手な方もおられ、海から餘部鉄橋を望むことができるポイントまでは行くことができなかった。残念。が、日本海らしい海を感じることが出来たし、かすみ海岸も興味深いが多く見られた。太平洋側とはやはり違うな。港にはイカ釣り漁船なども停泊していて港の様子も興味深かった。三姉妹ともお別れして、カニ販売所へ。カニのお味噌汁を無料で頂くこともできる。おいしいな。我々は何も買うこともなくうろうろ。

そして、最後の、そして最大の目的地。餘部鉄橋へ。餘部鉄橋はその老朽化から掛け替え工事が行われている。新しい橋は2010年に完成予定だ。
今の鉄橋の行方はまだ検討中なのであろうか。
近くに住む人々は残さないで欲しいという意見もあり、ちょっと離れたところの住民からは残して欲しいという意見もあるという。海が近いので塩分で錆びていく為に、その問題は大きいのではないだろうか。

さて、餘部鉄橋
遠くから見ても美しく壮観。下から見ても美しく壮観である。餘部駅は鉄橋と同じ高さにあるので、山の中腹まで結構な距離の山道を歩かなければならない。雪の時期には大変であろうなぁ。そして、夜などは少々怖いかもしれない。皆さん、写真撮影タイム。この時点では見晴らしポイントは既に行くことができなくなっていた。マナーの悪い観光客もいるようなので、みんなで気をつけたい。

そうこうするうちに列車がやって来た。
ワタシは駅で待ちかまえ、家人はやや下から見上げる形で待った。高い高い鉄橋を渡ってやって来る列車。しかし、列車だけに注目していると、それが鉄橋だということが余り分からなくなってしまう。山の中の駅に入ってしまうともはや普通の駅と列車。これはやはり下から見上げて拝むのが正解のようだ。

駅を後にする。
昭和61年の列車転落事故で鉄橋の下にあった水産加工工場で働いていた方々、乗客の方々、車掌さんが亡くなられたりケガをされたりした。その慰霊碑があるのでお参りをして集合場所に戻った。?。残っていたのは我々二人だけ。皆さんをお待たせしてしまった。あぁ、ツアーは不便だ。
その後、我々のために閉めるのを待って下さっていたお土産物屋さんで(添乗員さんが急遽手配。添乗員という仕事は本当に大変だ)つまめる物を購入して帰った。

初バスツアー。目的地までの移動の心配がいらないので楽だけれども、楽しくない。旅というのは目的地まで苦労していくのも含めて旅なのだな。どうやっていくか、ああでもない、こうでもないと考えるのも旅なのだな。
しかし、旅行券が当たったら、また参加するのではなかろうか。

2009年07月12日 (日)

2008・秋・スリランカ展

東京国立博物館で開催されていた「スリランカ展」に行った。
スリランカにはタイにいた時、ビザを取得しに3度行った。当初はコロンボのタイ大使館でもダブルの観光ビザなど簡単に取る事が出来た。それが徐々に厳しくなり、3度目では大使との面接もあり、シングルしか取る事ができなかった。それが10年以上も前。今ではもっと厳しくなっているとか、いないとか。

スリランカは本当に美しい国である。素晴らしい歴史と素晴らしい自然。人も良い感じ。勿論、どの国においても嫌な部分があるのは普通のこと。旅行者を騙す輩もいるが、そんなにエグさがない。もう十数年も行っていないのだな。内戦も終わったようだが、武力で押さえたので、問題がすべてなくなった訳ではないと思っている。国内にある問題はまだまだある。

さて、スリランカ展。義母と二人で行ったわけだが、スリランカの博物館でも見た記憶のないものがあって、十分に堪能できた。まぁ、スリランカに行ったのが遥か昔なので、何を見たかしっかり覚えていないのだが。スリランカの仏像も独特な形である。昔、スリランカ人に仏像はその国の人の顔に似ると言われたが、スリランカ人の顔にはそんなに似ていないと思う。本当は残念なことなのだが、人が少なかった。お陰でゆっくり観ることができた。入り口にはムーンストーンが置いてあった。ガラスの下にあり、直接踏むようにはなっていないが、靴のままでムーンストーンを踏む形になっているのは、やはり憚られる。

ミュージアムショップでは購買意欲をそそられる物が多くあり、一人興奮してしまった。
東京ではスリランカ・フェスティバルなるものもあるそうで、大変羨ましい。おいしい物は特に思い出せないけれど、スリランカのお米の味が忘れられないな。そして、今まで食べた物のなかで最も辛いものが、コロンボで食べたカレーであった。涙が出て来る程の辛さで、知り合いのスリランカ人は平気な顔で食べていたな。。

スリランカ展に行って、少しだけスリランカに行った気になったのであった。

2009年07月04日 (土)

2009 福岡 西日本パスの旅(その2)

11:05 PM

二日目。

9時頃に旅館をチェックアウトして博多駅に。駅に荷物を置いて、この日は太宰府周辺へ。我々はJR西日本の「西日本パス」を持っており、いくつかの路線は乗り放題なので、太宰府に行くのにもJRで二日市まで行き、西鉄に乗り換えることにした。

JR二日市駅から西鉄の二日市駅までは徒歩で10分ほど。面白そうなお店もちらほら。家人はその町並みが大変気に入った様子(家人コメント:両駅を結ぶ最短ルートから外れたところの方が面白いです)。

太宰府の駅に降りる。参道がすぐそこにある。菅原道真公の最後の場所だからではないであろうが、他の天満宮よりもずっと充実している参道だ(家人コメント:日本三天神は大宰府・北野・防府の説と大宰府・北野・大阪の説があるらしい)。また、本殿への道も最も荘厳なのではないだろうか。厚い緑の中に佇み静かで重厚な天満宮。

お参りを済ませて、更に奥へ。お石茶屋梅が枝餅を頂く為である。友人もお薦めのお店だ。木々に囲まれていただく梅が枝餅。大変おいしい。皮のちょっとぱりっとしたところ、皮の何とも言えぬ食感。そう言えば、行く前にチェックしていたのに、この茶屋の先にある「お石トンネル」には行き損ねてしまった。次回は是非このトンネルにも行き、ずっと先の宝満山にも登ってみたいものだ。

あぁ、我々には時間がない。帰りの新幹線の時間に合わせて行動しなければ。我々は太宰府駅に戻り自転車を借りた。まずは九州国立博物館へ。少々道を間違ったが何とか正しい道に出て行き着いた。九州国立博物館。うむ、新しい。現代に建てるとこういうことになってしまうのか。後で家人に聞いたが、あの形は後ろの山の形なども考えられているのだとか。分かる人には当然のこととして分かるのだな。

ここで、我々はパスポートを購入。これで、東京、京都、奈良、九州の国立博物館の常設展は一年間行き放題だ(特別展は6回。条件付き)。内部も大変大きく、広い。丁度やっていた「聖地チベット展」を見る。あぁ、チベット。チベットが彼の国から守られますように。展示ももの凄いものがあったのだが、我々には時間がない。常設展も足早に見て回る。福岡市博物館でも感じたことだが、吹田市にある民族博物館の様な感じがする。やはり大陸や半島から受けた影響の強さだろうか。大陸から来た物をそのまま利用している感がある。それが、だんだん北に行くに伴い、それぞれの創作が加えられ、洗練されていったのではないかと、各地の国立博物館を見てきて思った。ミュージアムショップは購買意欲をくすぐる物は少なかった。そのお店の構えがその一因でもあるのではないだろうか。

次の場所は大宰府政庁跡。7世紀後半から九州を治めていたところだ。最近はこうした遺跡を大変面白く感じる。また、こうした遺跡に立つことが出来るのを嬉しく思う。古代の人々の様子を想像してみたりする。大宰府政庁跡は美しい。後ろに大城山を背景にして、当時の様子を思い描きやすい。景色に恵まれた職場だな。今、訪れる人は地元の方が多いようで、ピクニックやキャッチボール、楽器練習など様々。観光客が少ないようなので残念だ。是非、太宰府から足を伸ばして欲しい。大宰府展示館も小さいながらに面白い展示がしてある。とても見やすくて良い。これまた、時間がないので展示館の方にお礼を言って出る。

太宰府の駅に帰るまで、観世音寺にも立ち寄る。家人はここが大変良かったと言っている。この周辺には訪れる価値があるものが多い。

太宰府の駅でまた梅が枝餅を購入して電車に乗り込む。二日市駅でJRに乗り換え。すると、西鉄二日市駅にもレンタサイクルがあることを発見。料金も何だか安いような。うむ、今度はこの辺で自転車を借りて、あちこち回るのが効率が良いかもしれない。

福岡駅に向かう電車。山々が美しい。水城跡を電車が貫いたりして、ぞくぞくする。次回は大城山にも登って、大野城跡や岩屋城跡などたくさんのものを見て回りたい。山頂ではさぞかし美しい景色が望めることであろう。あぁ、これまでの歴史の流れへの想像が止まらない。

博多駅に着き、お土産購入。
明太子風味のおせんべい「めんべい」に九州ラーメン、明太子。

福岡。忘れられないものがたくさんある。見えてくる風景は原始的であり、素朴であり、広く、暖かく。これを機に九州方面にももっと出かけてみたいな。

2009年06月27日 (土)

2009 福岡 西日本パスの旅(その1)

01:31 AM

給付金に合わせて出たJR西日本の「西日本パス」で福岡に行った。このパスは大変使い勝手も良く、お得であったので、是非来年以降も企画して欲しい。

博多には11時前に到着。予約しておいた旅館「鹿島本館」へ。この旅館は駅からも近いので便利も良く、文化財指定も受けており情緒的にも大変良い旅館である。古いのがまた良い。我々はチェックインの時間より大分早く着いたのに、気持ちよく対応して下さり、部屋に通して下さった。

荷物を置いて、昼食に。旅館近くにある、福岡の友人に教えて貰った「かろのうろん」にて昼食。どうやら「ごぼてんうろん」といううどんが名物らしいのだが、その時、ごぼてんとはおでんなどに入っているものだと思い、他のものを注文してしまった。ワタシはきつねうろん、家人は明太子うろん。讃岐でも関西でもないうどんの味である。出汁の味が素朴な、そのままの味の様な感覚。大変、おいしい。家人の明太子うろんは味もだが、見た目もなかなか衝撃的で見たことのない、食べたことのないものであった。後で知ったことだが、博多はうどんの発祥地らしい。博多で一度はうどんを食べること、オススメだ。

櫛田神社にちらりと行き、お参り。「博多町屋・ふるさと館」も見学。ここでの機織りはスケールが大きくてひとしきり感心。旅館もそうだが、間口で税金額が決まったので細長い造りになっている。

その後、ループバス「ぐりーん」に乗って福岡市博物館へ。ここでは我が父が見たがっていた「よみがえる黄金文明展」がちょうどやっていた。トラキアのものなど見る機会が今までになかったので、琴欧洲の祖国ではこんな文明・文化があったのか...と想像しつつ、大変面白かった。また、ここには教科書にもある「漢委奴国王」の金印もある。思ったより小さかったが、レプリカであっても実際に見ると感動するものだ。
あぁ、我々には時間がない。もの凄い速さで博物館を見て回る。博物館をあとにして、次の目的地まで「ぐりーん」に乗る。

まずは鴻臚館跡展示館へ。福岡城跡のお堀を越えて行くと、そこに鴻臚館跡がある。今も発掘調査が行われている。そして、跡が示されている地図を見ると、何だかおかしい。城跡であるので遺跡の柱の配置など無視して建物が建てられたとはいえ、現代においてもそれを囲む道筋がおかしい。よく考えてみると、そこには昔平和台球場があったことに気がついた。球場の形にそって道があるのだ。うむー、何だかもの凄い歴史の推移をそこに見たように思い、妙な感動を覚えた。かつて迎賓館であったところに城が建ち、そして球場ができ、野球の歴史も刻まれ、そして、今発掘調査がまた行われている。感慨深くてたまらない。鴻臚館もなかなか興味深い遺跡である。

その後は福岡城の天守台跡まで。途中には平和台陸上競技場が見える。国際福岡マラソンが行われるところでもあり、これまた見ることが出来て感動。天守台に通じる石垣は大変立派で面白い造りになっている。天守台から眺める景色もよろしい。今回は櫓などは見に行く時間がなかったので、この点は悔やまれる。

地下鉄にも乗ってみたいということで、一駅分だけ乗る。福岡地下鉄はお隣の駅には100円で行くことが出来るのだ。これだと歩ける距離でも乗ろうかという気になってしまう。利用率を上げるのには効果的ではないだろうか。赤坂駅のホームに降りてみる。何だか暗い。節電のためにすべての灯りをつけていないのかなと思いきや、みんなついている。ただ暗いだけであった。節電の為には良い事だが、一人で夜に乗るのはちょっと怖いかもしれない。電車に乗って路線図を眺める。福岡空港は博多駅から二番目の駅なのだな。とても便利だな。博多は動きやすいなと感じる。

福岡の友達と待ち合わせ、お薦めのモツ鍋屋「」に行く。あぁ、おいしいな。
本場で食べてみて、大阪で二度ほど食べたモツ鍋は違ったのだなと分かる。本場のものは出汁もモツも大変おいしい。うどんの時もそうであったが、味が素直なのだ。心にしみ入るというのだろうか。締めはチャンポン麺。福岡ではチャンポン麺がスーパーマーケットで普通に売られているそうだ。大阪にはスープ付きのものは売られているが、麺だけはなかなかない。食文化の違いが面白いな。

モツ鍋の後は屋台ラーメン「さつまや」。勿論、ここも友人のお薦めである。我々はラーメンだけを注文。量は少なめのようだが、他にいろいろ食べた後に食べることが多いようなので、ちょうど良い。食べてみると。!た、大変おいしい!ワタシはどちらかというと、太目の麺が好きであるが、この細麺がとてもおいしい。スープも今までに食べたことのない味だ。ちょっと目から鱗のおいしさと言っても良いくらいだ。もし、屋台だけであったら、確実に二杯は食べていたと思う。うどんの時も、モツ鍋の時もそうであったが、優しい、素直な、心にしみ入る味だ。あぁ、恋しいな「さつまや」のラーメン。

友人は我々のモツ鍋(チャンポン麺入れ)、屋台ラーメンにも付き合って下さり、中洲も歩いて下さった。その中洲では橋の上で二組の歌い手が歌を披露していた。その中のお一人。男性。年の頃は分からない。その選曲は味があり、歌も上手だ。が、特に何をアピールしているとも見えない。その控えめなところに何故だか妙に引きつけられてしまった。中洲に行ったらまた聞きたい。今度はもう少しじっくり聞いてみたい。

夜の櫛田神社を通り抜けて旅館へ。その後、友人のKネコとも合流。お二人ともわざわざ時間をさいて下さって、ありがとうとよ(?)。

2009年06月01日 (月)

2008・冬の醒ヶ井+長浜の旅

12:47 AM

冬の18切符旅行は何となくまた滋賀県へ。
今回は醒ヶ井と長浜。醒ヶ井はJR西日本が毎月出している「旅ごよみ」で知って以来ずっと行きたかったところだ。水が大変豊かなきれいなところに見えた。
さて、降りた駅は醒ヶ井駅。こぢんまりとした駅で人気もなく、ゆったりしている。夏には梅花藻を見に来る観光客が多いとも聞いたけれど、冬にはそんな人も余りいないようだ。が、その方がいつもの醒ヶ井を見ることができて良いかもしれない。地蔵川の方に歩いていく。ここは昔中山道であったので宿場でもあっただろう。昔ながらの町並み。道路はちょっと過剰に整備されているような気もしないではない。水も梅花藻も居醒の清水も大変美しい。冬だけれども、梅花藻も少し咲いていた。大変可愛らしい花だ。人通りがないので、本当に静かで、我々がお邪魔に伺っているようだ。生活感に触れたかったら、湖西の新旭の川端の方が自然で良いかもしれない。ヤマキのお醤油屋さんもあり、購入したかったが、この日は長浜にも行くのでその重さを心配して断念。また、ゆっくり来たい。
電車で長浜へ。お昼は長浜の「のっぺいうどん」。あんかけうどんで食べ応えもある。お客さんも多く、ちょっとお店の人は忙しさにかまけてか疲れておられる様子。観光客ばかりだからかな。その後、ワタシは「浜湖月」にて温泉。家人とは別行動。前回、「豊公荘」に入ったので、今回はちょっと奮発。外湯は1500円とちょっとお高いが、温泉から眺める琵琶湖はなかなかの眺望だ。入る人も少ないので独占感もある。お湯も冷えにくく、大変良い。犬山と同じくらい良いお湯だ。外湯の時間が迫ったので、まだ上がったことのない長浜城をちらちら見ながら浜湖月を後にする。家人と合流し、千年灸やヨモギ茶、こんにゃくなど購入。また、夕飯に「焼き鯖そうめん」を購入して帰った。こちらのそうめん、大変おいしい。また、長浜に来たら外せないものの一つだ。こちらはお店の方の感じもお店も良かった。長浜もまたゆっくり行きたいな。観光地化が激しいが。
さて、焼き鯖そうめん以外にも「フナ寿司」を長浜駅前のショッピングセンターで購入して帰った。以前、新旭で購入したものが大変おいしかったからだ。が、残念ながら、今回のものは外れであった。といっても、我々は本当のフナ寿司の味を知らないので、どちらがおいしいのか本当は分からない。これは個人の味覚次第ということか。
滋賀県、また行きたいな。

2009年05月23日 (土)

2007・夏の暑い日・犬山城

06:05 PM

そう言えば、犬山城にも行ったのだったなぁ。一宮市に用事があったので、憧れの犬山城にも行ったのであった。今となっては記憶も薄れる2007の夏の暑い日であった。
犬山駅で降りて、案内所でまずはお食事どころを尋ねてみる。東海地方であるので、我々は味噌煮込みうどんを食べようとしていた。が、味噌煮込みうどんが食べられるところは余りないとのこと。ちょっと文化圏が違うのだろうか。が、食べられるところを教えて貰った。お城近くの食事処だ。観光客向けのお店ですな。そこまで歩いて行ったのだが、途中に大きな背の高い蔵がある。その前にある説明文を読むと、犬山祭りの車山を収納するための建物であるというのだ。そういう建物がいくつもある。素晴らしいな。町の中に普通にそうしたものがある。そこに住む人々にはその光景がごく当たり前のものとなっているのだな。
その後、無事に味噌煮込みうどんも食べ、まずは犬山市文化資料館へ。勿論、車山(やま)や、からくりが展示されている。その説明の一つに「からくりのぜんまいには鯨のひげが最適」というのを発見した。あぁ、甦る那智勝浦の旅。鯨のひげはからくりの動きをなめらかに表現出来るのだそうだ。鯨のひげもこんなところに使われているのだ。欧米みたいに無駄にはしていないぞ。
そして、犬山城。地下1階部分の石垣や梁が印象的だ。修復はしたものの、そのまま残っているお城の一つである。大変美しく、内部も割とさっぱりした感じがある。最上階から回りを見ると、岐阜城も見える。名古屋の町も見える。晴れると名古屋城も見えるそうだ。
夏の大変暑い日であったので、犬山温泉に入って帰ることに。先ほど上った犬山城を見ながらの温泉は大変風情がある。また、犬山温泉はさらりとしていて、温泉後の変な疲れもなく、気持ちの良いお湯であった。最後に犬山の名菓「げんこつ」を購入。素朴な味でおいしい。
いつか、犬山祭りで車山を見て、また温泉に入って「げんこつ」を食べたいな。

2009年05月10日 (日)

2008・夏の暑い日・法隆寺

12:45 AM

久しぶりに法隆寺に行った。修学旅行以来ではないだろうか。当時のことは夢殿しか覚えていない。修学旅行は結構な歳になって行くものなので、もう少し覚えていても良い様なものだが、呆れるほどに断片的にしか覚えていない。人間とはこういうものか。が、こうした歴史的なものをこの歳になって見ると、また違う。歴史にも興味が自然と湧き、僅かながらの知識もあって見るとより面白い。もっと歳を取って、もう少しでも知識が増えると、また違う見方が出来るようになるのかもしれない。

法隆寺駅から徒歩で法隆寺へ。暑い日だったので疲れる。しかし、途中に趣のある家屋などあり、また奈良らしい広さが感じられるのでそれも良い。

大講堂では瓦に参拝した日などを記入してくださるというものがあった、恐らくお布施のようなものだ。実は義実家には法隆寺の瓦があり、長い間、何故そんなものがあるのか疑問であった。もしかして、義祖父が何らかの方法で入手したのかと思ったりもしたが、今回やっとその謎が解けた。義祖父はこの瓦を購入したのだな。

そして、法隆寺と言えば、何と言っても百済観音像である。色がはげ落ち、朽ちていく木の像をこの現代に見ると、大変艶めかしい。観音様の慈悲よりも艶めかしさの方を強く感じてしまう。後になって家人が購入した法隆寺の本に百済観音像が昔さながらに彩色再現された絵があったのだが、艶めかしさだけでなく、慈悲深さも余り感じられなかった(こんな事を言うと罰が当たるかな)。とってもパラダ〜イスな感じなのだ。が、よく考えると民衆に安らぎや浄土の世界を紹介するのには、そうしたパラダ〜イス感があった方が良いのかもしれない。当時はパラダイス感を、現代は慈悲と艶めかしさを。ある意味、素晴らしい。観音様は生きていらっしゃる。

2009年05月07日 (木)

再開!

さて、前回が11月の更新だったので、約半年ぶりとなる。最終更新した後、とある事情からやめようとしていたのだが、旅行などいつ、どこに行ったかという目安になるので再開することに。
その間もちょっとしたお出掛けしていたので、覚え書きのために去年に戻ろうと思う。詳しい日付などは覚えていないので、適当に、適当に。

2008年11月14日 (金)

韓国旅行2008・反省会

04:42 PM

旅には様々な残念なこともあるもの。さて、今回は。
1:今回もチャジャンミョンを食べることができなかった。粉食チェーン店のようなところで簡単に済ませることが多かったからだろうか。
2:今回も高麗大学に行くことができなかった。聞くところによると最近創立100周年で建物も新しくなっているとの噂を聞く。語学堂も韓国語文化センターなる建物にあるらしい。そんな物なかったがなぁ。今訪問すると、かなり戸惑ってしまうかもしれない。
3:京東市場に行くことができなかった。棗を買うことが出来なかった。
4:ロッテマートに行くことができなかった。なかなかお安いと後から知ったので。
記憶が薄れていく中、思いつく物はこの位か。
ところで、前回の韓国旅行で購入した黄色のクッションカバー。前回はこの購入が反省会にも上がっていた。が、最近実際に使い始めたのだが、そんなに違和感なく部屋に落ち着いている。月日の経過の中、感覚も変化していくのだな。

2008年10月26日 (日)

韓国旅行2008・五日目

04:14 PM

今日は韓国最終日である。帰りの飛行機は最終便なので多少の余裕はある。昨夜買ったパンなどを食べながらテレビを見ていると、紫雨林のリハーサル風景が出てきた。うむ、なかなか幸運な出来事ですな。余談であるが、紫雨林は一時日本での活動を精力的にやっていたが、最近は全くと言って良いほどやっていない。思うに日本への初期導入から難しかったのではないか。韓流ブームやまたは彼ら単独で進出・プロモーションした方が良かったのではないか。テレビ出演も全くなかったし、CD日本盤の出来も、ジャケットも全くいただけなかった。紫雨林の日本での捉え方も違ったのではないかと思う。
さて、最終日は影福宮である。前回も行ったのだが、今回は明成皇后と高宗が住んでいたところ、明成皇后が殺害されたところである乾清宮復元が完成し、念願の見学ができるのである。が、乾清宮見学は前もって予約しなければならないし、それは現在韓国人向けだけである。あるサイトには韓国人に頼んで予約して貰えば見学可能とあったので、我々も友達に予約してもらった。予約時間に乾清宮で待っていると、韓国人のガイドさんがいらっしゃった。どうやら、この回の見学者は我々二人だけのようだ。見学者が日本人のみということで、ガイドさんも少々戸惑われた様子。ガイドは韓国語だけなので、集中して聞いていった。ワタシはある程度、乾清宮や明成皇后について知っていたので、七割くらいは分かったのだが、何も知らなければ難しいかったかもしれない。復元された乾清宮はなかなかの見応えで、新しい木の香りがした。以前は色彩豊かな建物だったそうだが、復元された物には色は塗ってない。今後、塗られるのだろうか。途中、明成王妃の息子だったか、王子の宮殿跡も紹介された。そこに使われていた石はロシア大使館に使われたり、日本帝国によって、日本のオークラホテルに持って行かれたのだとか。乾清宮は宮殿というより、住まいだ。というのも宮殿様式でなく、両班の家の様式で建てられているので、住まい・家のように感じられる。他の宮殿とは違って、静かで良い。あるサイトを見ると内部の写真まであったので、公開当初は内部まで見られたのかなと思うのだが、今回は中までは見ることはできなかった。が、外をぐるりと回るだけで時間が一杯になってしまう。また、今回は我々二人だけだったので、ちょっぴり特別なこともして下さった。それは内緒である。ガイドさんも外国人をガイドしたのは初めてということで、見学後には一緒に写真を撮った。ワタシはこの乾清宮が復元される前にあった祠のようなものは覚えていない。初めて韓国に行った(恐らく)1995年頃にも影福宮には行ったけれども、その祠のことも覚えていないし、明成皇后が殺害されたことも知らなかった。明成皇后については角田房子氏の「閔妃暗殺」で知ったわけだが、ドラマの影響もあるのか、韓国では良い部分の方が多く知られているようである。また、この殺害も高宗の父、大院君と日本によるクーデターであるそうだが、この辺り難しい話題である。いずれにせよ、大変広い宮殿で他にも影福宮は水刺間などの復元工事が行われているので、数年ごとに訪れたところだ。
その後は南大門市場で昼食。家人が前回と同じ食堂で食べたいと言うのだ。ワタシはチョルミョン、家人は前回と同様ピビンミョンで昼食。観光客も多いので、案外に安くない。物によってはマートで買う方が安かったりする。海苔や唐辛子の粉を買い、放火で焼けてしまった再建中の南大門を見たりしてロッテ百貨店に向かった。その途中、夏場には余りないホットックを売っていたので、嬉々として購入。家人はこれで大満足の様子。ロッテ百貨店で少々お買い物をして、旅館に荷物を取りに戻った。
この「新進荘」はちゃんとした旅館で何かと安心だったのに、この度再開発で立ち退きになるようで、非常に残念だ。次はどこに泊まれば良いのだろう。荷物を置かして貰ったお礼を言って、空港に向かった。今回は帰りが夕方の便であったので、半日を有効に使えたように思う。
今回も短期間なのになかなか盛りだくさんであったな。

2008年09月20日 (土)

韓国旅行2008・四日目

04:41 PM

この日はわりとゆっくり起きてから出かけた。第一目的地は「ホジュン博物館」。ドラマ「ホ・ジュン」でもおなじみの、李氏朝鮮時代の名医である。地下鉄5号線で鉢山駅まで。ところで、地下鉄料金も高くなったものだ。昔は金浦空港も500ウォン位で行っていたような気がしたが、今ではちょっと行ってもすぐに1000ウォンはする。
鉢山駅で降りると、構内に博物館のポスターなどが貼ってあるので、出口もすぐに分かる。出口を出た方向に進み、一つ目だったか二つ目だったか角を右に曲がると6644番のバス停がある。あるサイトには80mまっすぐ行ったところのバス停とあるのだが、それは随分歩かなければならない。とにかく、マクドナルドのあるビル、タクシー乗り場やバス停(これは6644番は停まらない別のバス停)があるビルの手前を右に曲がる。そこが6644番の始発のバス停だ。バスに5分も乗るとホジュン博物館が左手に見えてくる。
博物館はなかなか見応えがありましたぞ。特に感動したのは「東医宝鑑」を始めとする著作である。その中でも「東医宝鑑・日本版」というのがあると知ったことである。日本にもやって来ていたとは素晴らしいですな。内医院の様子のミニチュアや韓方薬を包装したりする体験コーナーもある。この日は人も余りいなかったためか、体験コーナーに人がおらず、できなかった。また屋上には薬草なども植えられている。すぐそこに漢江も見える。見晴らしの良い場所で気持ちが良い。そして、博物館では1階トイレ前にある水飲み場で水を飲んで頂きたい。韓国ではよくあるタンク式の水飲み場で簡易紙コップが備え付けてある。そのコップにホジュン先生のイラストがかいてあるのだ。気がつかない人も多いようで、違う時に行った知り合いも知らなかったようだ。博物館のショップで子供向けの博物館紹介本を購入。大人向けより子供向けの方が充実しているのだ。ホジュン先生のイラストもせっかくあるのに、ホジュングッズがないのが寂しい。グッズを作ったら、もっと売り上げが上がると思うのだがな。。。
帰りはまた6644番のバスで終点まで。駅周辺で昼食。またも粉食チェーン店。ワタシは辛ラーメン。実はワタシはインスタントラーメンの中でこの辛ラーメンが最も好きである。日本のものよりもだ。それが、韓国ではお外でもいろんな場所で食べられる。家で食べれば比較的安価なものを外で高いお金を払って食べるのもどうなのかとは思うが。
地下鉄で再び市内へ。ここで家人とは別行動。再び18時頃に鐘路で待ち合わせることにした。家人は鐘路辺りで一人撮影。ワタシは宣陵と靖陵に。宣陵は第9第王の成宗王と第二婦人ジョンヒョン王妃のお墓。靖陵は第11第王で成宗の息子、中宗王のお墓である。ソウル中心部から最も近い王族のお墓ではなかろうか。中は公園の様になっており、ジョギングやウォーキングする韓国人も多い。入場料、1000ウォン。韓国人は入場料を払ってでもここで運動するのかな。確かに韓国には運動ができそうな公園というものが見あたらないな。観光客は極めて少ない。かく言うワタシも、何回も韓国に行き、一度は3ヶ月ほど住んでいたのに初めてである。王様のお墓だけあって、それはそれは大きく、荘厳である。今回の韓国旅行で1番か2番の感動である。もっと近くまで行き、公園内をすべて歩いて回りたかったが時間がない。誰もお参りする人などいない中、一人で軽くお参りをしてすぐに鐘路に向かった。
早めに待ち合わせたのは夕飯を食べるためであった。ソウル・ナイトツアーというバスツアーに参加するためであった。夕食はヘムルトッチムという豪華海鮮トッポッキみたいなもの。とても辛くて韓国で人気らしい。ムール貝も入っているので食べてみたかったのだ。さて、「小」をさっそく注文してみるが辛くない。こんなものなのかなと思いつつ、黙々と食べた。食べ応えは二人で「小」で十分だ。し、しかし。後からお隣にやって来た韓国人家族の注文を聞くとちょっと違う。辛さの注文も店員さんが聞いているのだ。我々にはそれはなかった。日本人には辛いのは無理とマイルドなのを調整してくれたのかもしれない。うむー。韓国の基本を食べてみたかったな。
その後、東和免税店前でナイトシティーツアーバスのチケットを購入し、バスに乗り込んだ。普通バス(5000w)と2階建てバス(10000w)がある。我々は見晴らしが良いだろうと2階建てバスを選んだ。音声サービスもあり、各ヘッドフォンで案内を聴きながら進む。デモのある市庁を外して行くので、若干コースが変わっているようだ。様々な橋の構造なども聞きながら、何度も橋を渡る。が、地球温暖化が問題の昨今のためか(?)ソウルの町もそんなに明るくなく、また、普通バスは南山で一時降車するので、普通バスで十分ではないかと思う。普段の旅では通らない橋を渡ったり、知らなかったこともアナウンスで知ることもできた。また、車窓で面白かったのは、高架道路の下などで、街灯を頼りに酒盛りをする人々だ。そんなに明るくない灯りの下で酒盛り。蚊に刺されたりはしないだろうか。お酒やおつまみをわざわざ道路下に持ち寄って飲んでいるのだろうか。アジョッシ達のピクニックとも言えそうな光景であった。帰りに市庁の前を通った。デモはもう解散していた。お祭りの後のようだった。
その後、デザートでもと「mango cafe」に行ったが、注文方法がイマイチ分からず、失敗。翌日の朝食用菓子パンなどを買って旅館に帰る。明日は最終日。

2008年09月11日 (木)

韓国旅行2008・三日目

11:46 PM

この日は夜の紫雨林のコンサートだけの予定であったので、友達の家で比較的ゆっくりした。昼過ぎには友達、娘、我々で近くにトッポッキを食べに出かけた。途中、大雨に降られてしまい、4人で身を寄せ合うように歩いた。友達はそのお店のトッポッキは辛いと言っていたのだが、残念ながら辛くはなかった。が、娘には辛かったようで、お餅を水で洗って貰って食べていた。やはり、辛い食べ物というのは訓練なのだな。そして、娘は昨夜から引き続いて、ずっとご機嫌であった。今回、娘と仲良くなれたのが、何よりも嬉しいことである。初日はとても緊張していたが、2日目から慣れきった様子だった。その後、バス停まで送ってもらってお別れ。また来るよ、本当に感謝ヘ〜。

ソウルは鐘路辺りに行くバスに乗ったのだが、丁度ソウル市庁広場で韓国政府の米牛肉輸入再開に抗議をするデモ集会が数日間行われており、この日はその中でも仏僧界も参加するとのことで、多くの人出と混雑が予想されていた。バスも渋滞するのではないかと友達に教えて貰っていたので、江南でバスを降り、地下鉄で向かうことにした(しかし、うっかり乗る方向を間違ってしまい、大きな時間ロスを作ってしまった)。

鐘路でいつもの旅館に行く。旅館のアジュンマも同じお二人だ。やはり、前回同様パスポートを見せることなく部屋へ。我々は荷物を置くだけで、すぐに出かけた。粉食みたいなチェーン店で簡単な食事をとって、すぐにオリンピック公園に向かった。

新進荘

今回のコンサートは第7集のものである。場所はテニス競技場でいわば小さな盆地。暑い。我々の席は舞台前のスタンディングに一番近い席であった。流石に我々もスタンディングは厳しいお年頃。

前回の韓国旅行でも紫雨林を観たが、いくつものバンドが出るフェスティバルであった。今回は単独コンサートである。韓国での単独コンサートは家人は初めてであるので、ここに来られてワタシも嬉しい。この日の午後、ソウルでも大雨だったらしく、そのせいで機材の調子が悪く、中断もあった。初めの中断ではイ・ソンギュ氏が「僕が許可するから」と写真撮影タイムにしていた。携帯電話をみんな持っている時代の出来事ですな。

자우림 - Jaurim - 紫雨林

さて、そのセットリスト。タイトルを覚えていない曲も多いので、歌詞を書いたりして奮闘しました。

01. Oh, Honey!   
02. 행복한 왕자(幸福王子)   
MC(エレアコ不調→写真撮影タイム(ソンギュ氏が「僕が許可するから」と)
03. 팬이야   
04. 애인 발견;!!(恋人発見!!)   
05. 이런데서 주무시면 얼어죽어요
06. Something Good   
07. 20세기 소년소녀(20世紀 少年少女)   
08. 밀랍천사(蜜蝋天使)   
MC(イ・ソンギュ)
09. You And Me   
MC(キム・ユナ、ピアノの調子を見つつ)
10.샤이닝   
中座 (no brain と superkid バンド2組)
11. Love Rock'n Roll   
12. 거지(乞食)   
13. 아파  
MC(キム・ユナ、紫雨林メンバー紹介)
14. 27   
15. 나비(蝶)   
MC(キム・ジンマン)
16. 아이처럼  キム・ジンマンソロ
17. 風船(?)  ク・テフンソロ
18. 미안해 널 미워해
MC(イ・ソンギュ)
19. Hey, Hey, Hey   
20. 일탈(逸脱)   
MC(キム・ユナ、ツアーメンバー紹介)
21. Magic Carpet Ride   
22. Carnival Amour   
アンコール
23. HAHAHASSONG
MC(ラスト前、ピアノ不調)
24. 반딧불(蛍火)

MC も今となってはすっかり忘れてしまいましたが、キム・ジンマン氏をユナ氏が紹介するときに「日本の俳優みたいな」と言っていたのが、妙におかしかったですな。最近、日本で「韓流スターにような」と言うとちょっとしたホメ言葉でもある感があるが、その反対はどうなんだろう。また、韓国のコンサートには前座ならぬ中座みたいなのがある。我々としてはまったく興ざめなのであるが、韓国では普通のことであるから、紫雨林より中座の方で盛り上がる人もいたりして不思議である。

자우림 - Jaurim - 紫雨林

コンサート後半は「hey,hey,hey」からアップテンポで盛り上げるお決まりのコースのようだ。個人的にはもうそれは十分ではないかと思うのだが、韓国でのこの盛り上がりを観ていると、やめるわけにはいかないのでしょうな。もっと暗くてロックしても良いと思うのだが。しかし、実は7集を聞いてつかみ所がないなと思っていたのだが、このコンサートでやっと分かってきたような気がした。「Carnival Amour」では大道芸人数名も参加し、カーニバルさながら。あぁ、こういうのがやりたかったのですかな。

자우림 - Jaurim - 紫雨林

久々の韓国単独ライブも満喫して、なかなか満足であった。日本で観るよりやはり良いですな。
さて、ライブがなんと20時半開始であったので、終わるのも当然遅い。紫雨林、青少年のことを考えないといけませんぞ。終電に近いので、お客さんはみんな地下鉄の駅に急ぐ。韓国は日本のicoca やpitapa のようなものが早くから普及しており、みんなそれで改札を通って行く。我々には勿論そんなものはないので、券売機で切符を買うのだが、券売機がみんな販売中止。切符が必要な人はみんな切符を持たずに電車に乗り込んだ。降りる駅でちゃんと払ったのだが、中には払わずに平気で改札を通る人もいた。うむ。。。

2008年08月31日 (日)

韓国旅行2008・二日目(その2)

04:27 PM

제부도

島からの帰りは徒歩。ここには通行料があるはずなので、島を出る前に歩いて行っても良いかどうか事務所に尋ねてみると、「歩いていってくださ〜い」。島を出るときには料金は要らないのかもしれない。行きはバスであったため、通行料はバス運賃に含まれていたのかもしれない。

済扶島入り口のバス停に戻り、すぐ近くのファミリーマートで飲み物とアイスクリームを購入して休憩。ここのご主人が物腰の柔らかい人で微笑ましい。水原行きの座席バスはすぐにやって来た。同じ道を戻る。

水原駅も初めてであるので、暫し探索。大きく立派な駅であるが、ターミナル駅ではないので、思ったほど大きくはない。隣接しているショッピングビルから眺めると、水原市もずっと遠くまで広がっている。ソウルまで近いので、まだまだ広がっていくのであろう。駅で売っていたチョコレートケーキを友達への手土産に買って帰った。韓国はお買い物をしても、袋に入れないのが基本で、袋が欲しければお金を払う。これは大変良いシステムだと思う。日本もそうすれば良いのにといつも思う。

竜仁市行きのバスに乗り込み家路へ。友達の家に夕方には帰り、一緒に娘の保育所に迎えに行くことにしていたのだ。
保育所に友達、家人、ワタシの3人で迎えに行く。娘を見つけるやいなや、我々は手を振った。娘は我々が来るとは思わなかったのであろう、きょとんとしている。他の子供がやって来て「この人誰?」。知りたいと思うことは素直に尋ねる。良いですな。

その後、ちょっと早い夕食に。テジコギを4人で食べに行く。一人分が多くて、日本の一人分とは違うなと感心。味はおいしい。しかし、我が家の近所に大変おいしい焼き肉屋があり、残念ながら、そちらの方がおいしいのだ(年に1〜2回しか行けないが(涙)。一昨年、カルビで有名な水原で食べた時も同様のことを思った。焼き肉は日本の方がおいしいと感じてしまうのだ。

その後、韓国の代表的な巨大マート、Eマートへ。我々はチャメを買って家路に。家に帰ってから、みんなでチャメと水原で買ったケーキを食べた。友達の家はお菓子類を余り食べないので、我々が買ったケーキに娘はとろけてしまったようだ。それまでおすまししていた彼女がとろとろになってしまった。あんなに喜んでもらえて、我々も嬉しい。明日はソウル。

2008年08月24日 (日)

韓国旅行2008・二日目(その1)

11:27 PM

二日目は水原の先、済扶島(jebudo)に行くことにした。本当は家人希望の「ひなびた海辺」に行きたいが、なかなかどこか思いつかない。済扶島は珍島のように海が割れて道ができるところなのだが、こちらはほぼ毎日海が割れる。

まず、友達の家、竜仁市からバスで水原駅まで。水原からどのバスに乗るかはネットで情報を得ていたものの、一応確認しておきたかったので、水原駅横の観光局に立ち寄る。何とも無愛想なお姉さんに済扶島に行くバスについて尋ねてみると、1004番のバスというお答え。?ネットには1004番バスの情報など何一つのっていなかった。もう一度お姉さんに確認してみるが、間違いない。観光局を出て、お姉さんの指示通りにバス停に行ってみると「済扶島入り口」という行き先が書いてある1004番の座席バスが停車していた。おぉ、ありがとう、お姉さん。

ネットには済扶島入り口行きのバス情報も出ているが、水原駅からであれば、この1004番が最も便利で早いのではないかと思われる。水原駅を出て左手にある観光局の向かって右側にあるバス停から1004番の座席バス。1600w。

バスは水原の郊外を走る。大きな都市がすぐそこにある、ちょっと長閑なところ。葡萄を栽培している農家が多く見られた(上の写真はその葡萄を販売する農家)。済扶島近くの小さな町はなかなか微笑ましい佇まいである。

済扶島入り口という終点で降りたものの(上の写真)、そこからどちらに行けば良いのか分からない。数人の韓国人観光客の行動を見てみると、終点のすぐそばに停まっているマウルバスにみんな乗り込んでいる。我々もそれに倣ってバスに向かう。行き先も書いてあるが、一応運転手さんに確認。料金を尋ねると、一瞬間が空いて答えが返ってきた。「二千ウォン」。日本語だった。韓国語で答えが返ってくると思っていたワタシは驚いて韓国語で確認してしまった「イーチョノォンヨ?」。運転手さんはうなずいた。そのやりとりの後でやっと運転手さんは日本語で答えてくれたのだとはっきり理解できた。それで一瞬の間があったのだ。あぁ、運転手さん申し訳ない。せっかく日本語で答えてくださったのに、韓国語で確認してしまいました。。。

緑のマウルバスは割れた海の中にある道路を通って島へ。道路はコンクリートでできている。毎日引き潮になるとはいえ、一体いつコンクリートを乾かす時間があったのだろう。バスがある地点まで来るとみんな降りだした。降りずにバスに残っている観光客らしき韓国人に運転手さんが「どこにいくのですか?」と話しかける。「分かりません」。運転手さんは観光の大まかな手順を教えていた。無愛想だったけれど、親切なんですな。バスは恐らく、島を一周するのであろう。島を分け入って行った。

제부도

我々は他の韓国人同様、赤い灯台を目指した。閑散とした、寂れた灯台。客が入らない食堂が数軒。ある意味、かなりひなびている...。家人はいつも通り、何でもない風景をカメラに納めていた。すると、それを見たアジュンマが家人に向かってなにやら話しかけながら追いかけてくる。が、暫くするとどこかに消えたので、そのまま灯台に向かった。曇り空に赤い灯台。それだけ。写真など撮っていると、先ほどのアジュンマがなんと灯台まで追いかけてきた。「何で何にもないのに撮っていたの」と家人に聞いてくる。ワタシは「この人は普通の何でもないものを撮るのが好きなんですよ〜」と言うと、あっさり納得して帰っていった(呆れたことに家人はそのアジュンマの写真もしっかり納めていた:それが下の写真のバイク背後の洗濯物を干す女性)。

제부도

あぁ、ただの好奇心で家人に聞いていただけだったのだな。それにしても、このアジュンマといい、一日目の空港での電話を貸してくださったアジョッシといい、こうしたとっさの時には随分韓国語がすらすらと出てくることに我ながら驚いた。こんなに韓国語できたっけ、という感じだ。火事場の馬鹿力というのはこのことですな。

その後食事をすることに。海鮮カルククスで簡単な昼食。食堂でまたアジュンマが聞いてきた。「写真家ですか。ここには良く写真家さんが来るから...」。知りたいと思うことは素直に尋ねる。良いですな。

2008年08月13日 (水)

韓国旅行2008・一日目

06:05 PM

関西国際空港というのは出国審査後がつまらない。スワンナプームやドーンムアン、仁川空港などは出国審査後も免税店や様々なお店で一杯だ。我々は買い物をするわけではなく、ただ見るだけだが、関空にはそうしたものが少ないのでつまらない。大きな国際空港の割には少ない。出国前なら色々な店があるのだが、出国に時間が掛かるといけないので、余裕を持って出国手続きをする。出国後の方が時間があるのにだ。まぁ、店舗が多数あっても売り上げが望めないからかもしれないが。

20時仁川着。正味4日間という短期間であり、土日を挟むので必要なお金をすべて空港で両替。ソウルにずっといるなら両替商などで両替するのも率が良いだろうが、ソウルには後半いるだけだ。竜仁市行きのバスチケットを購入し、友達に電話。友達は用事なのか、なかなか捕まらない。何回か電話してやっと友達が捕まったが、乗ろうと思っていたバスに乗れないかもしれないので、その次のバス時間を伝えておいた。友達の家に近いバス停まで旦那さんが迎えに来てくださるのだ。電話を終えて、空港のバス停に行ってみると、初めに乗ろうとしたバスがまだ停車している。が、友達には次のバスの時間を言ってしまった。バス乗り場係のアジョッシに「電話する時間はもうないですよね...」と言うと首を振られた。すると、家人にどうしようと言っているワタシを見かねて、自分の携帯電話を差し出された。ワタシは携帯電話を持っていないので、掛け方が分からない。そう言うと、アジョッシは掛け方も教えてくださった。結局友達は電話に出なかったのだが、アジョッシに丁寧にお礼を言って、ひとまずバスに乗り込んだ。韓国ではこうした親切に出会うことが多々ある。アジョッシ、感謝ハムニダ〜。感動ヘッソヨ〜。

竜仁市のバス停も二度目であるし、アナウンスを聞いていれば分かるので安心していたが、運転手さんは停留所の名前を地元の呼び方でアナウンスされていた。空港バス路線に書いてある名前ではないのだ。それでお隣の韓国人男性に尋ねてみたが、この方もそんなに詳しくない様子。すると、一つ後ろに座られていた若い韓国人男性が「こちらです」と日本語で教えてくださった。実にスマートに教えてくださり、これまた感動。彼は家路に着かれ歩道を歩いて降りられた。我々はそのまま車道で友達の旦那さんの車を待つ。それを見た先ほどの彼は大きな動作で遠くから、「それは歩けない」と教えて下さる。ワタシは大きな声で「友達が来ます」と答えると、納得されて帰られた。本当にこうした親切に韓国では良く出会う。それが初日の短時間の間に2回もあり、深く深く感謝した(下の写真右端の歩道を白いTシャツ着て歩いてるのがその男性)。

暫くすると、友達の旦那さんが迎えに来てくださり、約一年半ぶりの再会。家に着くと、友達と娘が迎えてくれた。友達が作ってくれた夕飯をご馳走になり、コンサートチケット代金も払い、お土産を渡したりして暫し談笑。翌日の予定を伝えると、旦那さんは「遠いのに...」と。明日が良い天気であることを祈って就寝。

2008年08月03日 (日)

韓国旅行2008・出発前

04:51 PM

7月初め韓国に行ってきた。5日間ではあるが、初日に韓国に到着するのが20時で、5日目19時に韓国を出るため、正味4日弱である。我が家は多くて年に一度海外旅行に出かける。昨年12月にタイに行ったばかりだというのに、早々と韓国に行ったのには、その最大目的がコンサートであったためだ。6月に紫雨林の第7集が発表され、そのコンサートである。
その情報を知った家人とワタシは韓国行きを検討し始める。それにしても、世界中のそうした情報を瞬時に得られるとは便利になったものだ。数年前では考えられず、外国にコンサートの為に行こうかと検討するとは。まぁ、それが韓国という近い国でのことであるから我々もその気になったわけだが。しかし、インターネットで見てみると、発券はチケットを取り扱うあるサイトの単独発売となっており、それにはそのサイトの会員になることが必要である。が、会員になったところで、チケットの送り先を日本にするわけにもいかない。また、様々な情報を見ると第一弾チケット発売は9分で売り切れたという。第二弾発売に向けて早い決断が必要ということで、我々は韓国在住の韓国人の友達にチケット確保をお願いすることにした。そして、チケットが取れたら韓国に行くと決めた。
友達に頼むと快く引き受けてくれた。彼女がインターネットでチケットを確保し、購入手続きをしている間にチケットは売り切れたという。彼女のおかげで我々はコンサートに、韓国に行けることになった。本当にコマウォ〜。
チケットが確保できた翌日は航空券の確保だ。今回は便、航空会社を指定したかったので、ちょっぴり航空券はお高い(3万円)。最近は航空会社未定で格安のものがあるが、便指定もできないし、会社によってサーチャージ代に大きな開きがあるので、結局割高で損をした気分になることもある。韓国ー日本間はどの会社もサーチャージ代は同額なのでその心配はないのだが、アシアナ航空で行くことにした。
チケット、航空券も整い、後は友達へのお土産準備などするだけ。出発まで1ヶ月弱余裕はあったが、それはあっと言う間に過ぎた。

2008年07月13日 (日)

そう言えばタイ

06:58 PM

先日、韓国に行って来た。が、その前によーく考えると、昨年11月末から12月にかけてタイに行っていたのを思いだした(忘れていたのか?)。順番に合わせて、その訪タイを思い出してみよう。

しかし、実際の所、そんなに良くは覚えていないのだ。バンコクだけに行ったわけだが、バンコクは丁度実家に帰ったような感じなのだ。タイのお母さんの家で家族と過ごす日々。お母さん達の顔を見にも行きたい。末っ子に双子もできたので、ワタシはちょうどおばさんになった感じだ。また、仕事の為に何年かに一度はタイに行って最新のタイも把握しておく必要もある。
今回は念願のタイ語国語大辞典も買うことができた。帰りのカバンが非常に重かったが。。
チュラーのアートセンターに行ったり、マッサージしたり、おいしいご飯を食べたり。

Phra Khanong Canal

プラカノンの運河タクシーが今回最大の観光だった。昔ながらの風景にも出会えた。かねてから、タイムマシーンがあれが、バンコクの500年くらい前に戻ってみたいと思っているが、その風景を少しだけ見られたような。


旅とするなら、やはりラオスくらいまで行きたいものだ。鉄道もラオスまでついに通じた様子だし、鉄道で国境越えも楽しいかもしれない。
あ、しかし、空港がドーンムアンでなくなったので便利が悪いですな。ドーンムアンからすぐに鉄道予約という技ができなくなりました。そして、スアンナプームは仁川空港にも少し似ている。。。

国際グランプリ陸上!

IAAF 110mH

スポーツを見るのが好きだ。中にはそんなに好きではないスポーツもあるが、概ね好きだ。
今は昔、5月のことではあるけれど、招待券が当たり(ビバ!懸賞生活でもあるけれど)、初めて陸上競技を生で見る機会に恵まれた。例えば、五輪でも最も楽しみなのは陸上競技なのに競技場で見たことがなかったのだ。
当日はあいにくの雨。カッパ持参で行く。屋根のある座席もあったので助かった。行く前までは、陸上競技など淡々と行われるので、競技場で見るのは退屈かもしれぬと思っていたのだが、全くそんなことはなかった。次の競技準備は美しいほどに準備が行われるし、競技者の動きも美しい。生で見るのは迫力もあるし、息づかいも感じられる。
この日、最も目を引いたのは劉翔選手。美しい。アジア人なのに凄いな。バルセロナ五輪、400mの決勝での高野進選手。震えた。今回の五輪は何かと問題ありだが。。。
また機会があれば陸上競技を競技場で見たいですな。

2008年03月23日 (日)

ソムタム・大根の皮

普段は大根の皮をきんぴら風に煮るという事しかしないのだが、先日、その大根の皮でソムタムを作ってみた。大根の皮だけでは量が少ないので、人参も小さいもの1本も入れた。うむ、これがなかなかおいしい。パパイヤよりおいしいかもとまで思ってしまう。我が家では大根1本購入しても、すべてを使い切るまで何日か要す。その間、剥いた皮はタッパにその都度貯めて行く。1本分の皮が貯まった時、皮を調理をするのだ。今度からは何よりもソムタムで決まりですな(勿論、1本使い切るのに時間が掛かり過ぎて、皮を捨てざるを得ないときもある)。生ゴミもできるだけ少なくしたいし、皮には栄養もある。皮には皮にしかない食感もある。ソムタム・大根の皮、おいしいな。

2008年03月22日 (土)

最近のヒット

ところで、実は昨年の11月末から12月にかけて、5日間タイに行っていた。何年振りかな。行き先はバンコク。タイのお母さん家にずっと泊まる。タイに行く前はアユタヤにも行こうかと家人と話していたのだが、バンコクにいると5日という短期間に動くのがだるくなってきてしまい、結局ずっとバンコクにいた。
ずっとバンコクということで、それはまるで実家への帰省であるかのようであり、バンコク滞在での様子はまた気が向いた時にして。。。
最近はタイでもCDを買う事は少ない。今回も自分が購入したのは2枚。VCDが一枚。
CDの内、一枚は BEAU の「Music」である。BEAU は自分でグラミーにデモテープを送り、それが認められデビューしたと聞いている。デビューしたときはタイでもパワフルな声の持ち主のようなキャッチフレーズで売られていたようだ。デビュー作はどの曲もどこかで聞いたことがるというほど、町のどこかでいつもかかっていた。明るいpops、rockといった感じである。ルンピニー公園で行われた無料コンサートで観た時は期待した程は上手くないかなと思ったのだが。。。
それが、ここ数年、中堅の域に入り、味が出て来た。彼女でなければ合わない骨太い歌も歌っている。今回の新譜もなかなか唸らせてくれる。最近はCDそのものを余り買わなくなっている現実があるのだが、この作品はそんな中での結構なヒットである。久々に歌詞カードとしっかり合わせて聞きたい一枚である。

2008年02月02日 (土)

2007年のビバ!

最近は不景気のためか、懸賞も当選数が少なく設定されている。また、ワタシも忙しく、こまめに応募する時間もない。更には、応募した事により様々なメールが届けられるのが煩わしくもある。そんなことで、2007年のビバ!懸賞生活はまったくもって芳しくなかった。(サンプルは除外)
が、最後に来ました。旅行券。応募する人もいなさそうな懸賞だったので、当るかもしれないとは思っていたが、忘れた頃に送られて来ました。初めて当るモノであるので、どう使うかが問題だ。それで、旅行に行かれる程の額ではない。足しに出来るというもの。
うむ。。それでちょっとした宿にでも泊まるかな。または交通費の足しにするかな。

2007年10月27日 (土)

優れもの

たまにインターネットで買い物をすることがある。
先日は衣類を購入。結構気に入っている。その時にその衣類だけでは送料が無料になる料金に達しなかったので、送料を無料にしたいのと、便利そうに思えて同時に購入した物が大いにヒットしている。

網焼きそれはフライパンで魚を網焼きできるというもの。この網はファインセラミックで遠赤外線効果があるという。フライパンで魚などの油を落としながら焼けるのなら良いかと購入したのだが。。。
それが、これで焼くと大変おいしくなるのだ。今まで普通に食べていた鮭もこれで焼くとふっくらとして、おいしさアップの感あり。我が家のコンロには魚焼きロースターが付いているのだが、実は一度も使った事がない。実家ではそれを使って魚を焼いていた。が、それよりこの網で焼いた方がおいしい気がする。
良い買い物だったかな。こうして実感すると、魚焼きロースターとして販売されているののは、さらにおいしく焼けるのだろうかなと思ったりする。

2007年09月17日 (月)

あけび!

今年はまだまだ暑いですな。雲は少し秋らしくなったが、寝苦しい夜は続く。
地球温暖化も本当に心配。取り組みが大事ですな。
とはいえ、市場には秋らしいものが出始めた。先日、念願のものを購入!
何年振りだろう。30年以上振りに食べたのだろうか。

それは、あけび。
市場で売っていた、一個200円。どうやら、山菜のノリでその皮を食べると紹介されていた。ワタシには秋の果物の認識しかなかったので驚きである。といっても、子供の頃、あけびを喜んで食べていた訳ではない。子供にとっては種が多いので食べるのが面倒だし、あのほのかな甘みはそんなに魅力的ではなかった。だから、そんなには食べた記憶はない。我が家の山にもあけびの木はなく、貰ったりしていたと思う。
それが、年月を経ると、あのほのかな甘みが思い出され、大変おいしいものの様に思われ、遂に購入したのであった。

まずは果肉を食べる。果肉は量が少ない。ほのかな甘みを思い出す。そして、検索し、その厚い皮を砂糖、みりん、醤油、味噌で炒め煮してみた。ふむ、その苦みと渋みがおいしいな。こんな利用法もあったなんて。
あと、秋といえば、ポーポー(ポポーとも言うらしい)。これにはワタシはかぶれてしまうのだが、あの味がこれまた思い出されるなぁ。

2007年09月16日 (日)

×かちなつうら ○なちかつうら  二日目(その3)

01:02 AM

ホテル中の島勝浦桟橋に戻って、すぐにホテル「中の島」行きの船に乗り換える。同じ桟橋なので便利だ。
船の便はホテル「浦島」より便が少ないので時間のチェックはちゃんとしておいた方が良い。

ホテル「中の島」は勝浦の湾内、入り江にある小さな島にある。穏やかな波に囲まれた気持ちがよいところだ。

早速、温泉手形で入浴。ここではタオルは貰えなかったな。ここの露天風呂も素晴らしい景色で有名だ。よくパンフレットに出ているのは男湯である。その上に女湯が作られている。女湯からも海、魚釣り場、下の男湯などがすぐに見渡せるので、うっかりしていると全身お披露目になってしまうかもしれない。下の男湯とは上下で話も出来るので、人のいない時にカップルで行くと面白いかもしれない。が、男湯の方が洞窟もあったり、海もより近く、男女で分けるよりも、水着で混浴か、男女入れ替えをした方が良いと思われる。が、穏やかな海を見ながらの入浴は大変気持ち良かった。

帰りの時間も迫っており、早々に桟橋に戻る。この日はまだお昼ご飯を食べていなかったので、まずは荷物を取りに行き、駅近くで二度目のマグロ丼を食べた。マグロはどこで食べてもおいしいのかな。

電車の時間になった。これからまた6時間かけてお家に帰ろう。

ところで、
×かちなつうら  ○なちかつうら。
家人がうっかり「かちなつうら」と言ったのがきっかけで、家で「かちなつうら」とばかり言っていたら、それが癖になってしまい、電車で乗り合わせた人にも「かちなつうら」と言いかけてしまったり。旅行のことを話すときも「かちなつうら」と言ってしまったり。どうも、抜け出せなくなってしまった。唱えてみよう。かちなつうら、かちなつうら......。
また、行きたいな。

2007年09月12日 (水)

×かちなつうら ○なちかつうら  二日目(その2)

01:10 AM

那智勝浦荷物を置いてから、桟橋へ。今日は「紀の松島・島巡り」から。一人1500円。途中で太地のクジラ博物館に立ち寄るコース。電車からでも和歌山の海岸線には奇岩が見ることができる。そのためか、奇岩見物には正直そんなに新鮮なものは感じなかった。が、太平洋を船で渡るのはとても爽快。そのまま太平洋の遠くまで行きたくなる気分。岩のトンネルをくぐり抜けたり、ホテル浦島の忘帰洞を外側から見たり、ほかにラクダ岩、獅子岩などある。ラクダ岩の向こうには「ラクダの湯」という水着着用の露天風呂がある。ラクダ岩の前に来たら誰もが写真を撮る。ラクダの湯につかっている人はさぞかし困っているだろうな。今回はこのお湯には入れなかったけれど、いつか入ってみたい温泉だ。入浴客も少ないのでとても気分良く、太平洋を眺めながら入れるだろう。

船は太地のくじらの博物館に到着。多くの人がここで降りる。岩巡りを兼ねて船で行くのが恐らく一番便利なルートなのかもしれない。
さて、くじらの博物館。全般的に見応えがありますな。博物館では鯨や船の模型、鯨漁のやり方、捕鯨に使う道具、鯨の各部のホルマリン漬け、胎児のホルマリン漬け、鯨等を描いた昔の絵などもある。鯨の大きさも実感できる。胎児を見ると、当たり前だが、鯨の中には鯨がいるのだなと不思議な気分になる。妊娠していた鯨が捕らえられたのは大変いたたまれないが。。。ここ太地の捕鯨は昔々から行われており、その船は大変美しい模様が描かれている。その模様で船の組が分かるようだ。あの大きな鯨に素手で向かって行くのは、恐怖感も大きいだろう。

ワタシは小学校低学年の頃は普通に鯨は食卓、給食にあるものであったし、年に何頭という制限付きなら捕鯨しても良いと思っている。現在の近代的捕鯨船を一切止め、昔ながらの木製の飾られた船で、各船で狼煙や旗で位置を確認しながら、もりを手に鯨に向かって飛んで行くという方法に戻ればどうか。採算と危険を考えれば、実現しそうにもないが。。。

鯨を描いた昔の絵巻が妙に記憶に残っている。太地に残る絵巻はまだ鯨らしく描かれているのだが、大阪の商人が描いた(持っていた?)鯨の絵というのは、全く鯨とは似ても似つかぬ、妖怪の様で、色も白かったりする。恐らく、大阪の人達はその絵を見て、鯨とは何と恐ろしい魚かと思ったに違いない。そういうことを想像して見ると楽しくてたまらない。

博物館以外にも水族館やショーがある。今回、水族館は修理のため見る事ができず、大変残念であった。が、シャチやイルカ、鯨のショーは感慨深く見る事ができた。賢いな。先にシャチのショーを見たのだが、大きなシャチのジャンプは迫力がある。白と黒の体が美しく光る。

その後にイルカと子供の鯨のショーがあり、みんなきれいなジャンプをしたり、泳いだりで感心、感心。

そして、それ以上に我々の目を引いたのが、隣の囲いにいたシャチである。イルカと鯨のショーの間、シャチが網越しにずっとイルカと鯨達を遠い目で見ているのだ。他のみんなが人気者になっているのが羨ましいのか、寂しいのか。それとも自分の飼育員さんが余所の生き物といるのが哀しいのか。そのひとりぼっちの姿はたまらなく愛くるしい。

太地町くじら博物館我々の目はイルカと鯨より、そのシャチに釘付けになってしまった。シャチは自分の囲いの中でイルカ達を見たり、一定の泳ぎで回ってみたり。このシャチ達は広い海に戻る事はあるのかな。

その後、捕鯨船も見学。なかなか楽しい博物館ですな。
帰りの船が来たので、乗り込み、勝浦桟橋に向かう。

2007年08月26日 (日)

×かちなつうら ○なちかつうら  二日目(その1)

11:34 PM

「7時半になりますよ」。昨日の夜、起こしてもらうように宿にモーニングコールを頼んでおいた。勝浦の港では早朝からマグロの競りが見学できるそうだ。我々も見たい気持ちはあったのだが、疲れに負けてしまった。

朝食は「岩波」さんで和食。朝から何だか食が進む。出されたご飯をみんな食べてしまった。女将さんと昨日行ったところの話や、女将さんの楽しい話で盛り上がる。
食堂を出ようとすると、あるものを発見してしまった。昨日は全く気がつかなかったもの。「湯めぐり手形」1300円也。これで6ヶ月の間に3箇所入浴できるとある。昨日入ったホテル浦島にも入られる。し、しまった。気がつかなかった+下調べ不足であった。今日はホテル中之島の温泉だけに行くつもりであったので、購入しなくても良かったのだが、もう一度ホテル浦島にも行こうと意地で購入してしまう。あぁ、何とした失敗か。

ホテルをチェックアウトすると、女将さんが荷物はどうするのかと聞かれた。前日に駅前に無料で預かってくれるところを発見したと言ったが、女将さんが経営するもう一箇所のホテルに荷物置き場があるからそこに置いておきなさい、そこには連絡しておくからと言ってくださる。他にも様々な情報を教えて下さり、本当に親切だ。部屋もサービスも良く、大変気に入った。もしも、また来ることがあれば、また「岩波」に泊まりたい。

2007年08月12日 (日)

×かちなつうら ○なちかつうら  一日目(その2)

10:54 PM

バスで駅まで戻り、桟橋から船でホテル浦島へ。勝浦は温泉でも有名なところなので、いくつか押さえておきたい。ホテル浦島の日帰り入浴は1000円也。これで6種類のお風呂に入る事ができる。また、時間もパンフレットなどには18:00までとあるが、受付で尋ねると、ホテルから桟橋への船が終わるまで入浴可能だそうだ。また、荷物も日帰り入浴客でもちゃんと預かって下さる。受付でタオルと温泉スタンプラリーの用紙を貰い、まずは忘帰洞へ。ここは旅行パンフレットや温泉ガイドなどでも有名なところだ。午前と午後で男女の入れ替えがあるらしい。また、ここでは環境のために体は洗っても良いが、洗髪はしてはいけないことになっている。

泊まり客も日帰り客も多いであろうから、お風呂もさぞかし混んでいるのではという予想に反して、そんなに混んではいなかった。海に一番近い湯船でも一人の時もあった。洞窟の先には太平洋が見える。海の手前の湯船に入るよりも、その一つ手前で、洞窟と海の様子を眺めているのが良いかもしれない。太平洋に隣接した温泉というのは他にもあるのだから。時間に余裕がないので適当に入り、次のお風呂へ。

次は山上館露天風呂。長い長いエスカレーターで辿り着くところ。東京やソウルの地下鉄のエスカレーターも長いなーと思う事が多いが、それどころではない。気が遠くなるほと続く。このお風呂からは那智の滝も見えるそうだ。

今日、最後のお風呂は玄武洞。こちらも洞窟温泉だ。忘帰洞より規模は小さいが、それだけに洞窟感が強く、忘帰洞より楽しめるかもしれない。見える太平洋は洞窟が小さい分、狭くはなるが。海に身を乗り出すと、隣のホテルの客室などがよく見えるので要注意だ。ここの脱衣所の前が海を望むお湯、そして、脱衣所の後にもお湯がある。気づく人がいないのか、誰も入っていない。薄暗く、足元も暗く、ちょっと怖い。入る勇気がなかったので、見るだけにとどめておいた。入る人はどれだけいるのだろうか。

ホテル浦島は大変広いのでお風呂からお風呂への移動に時間が掛かる。時間のない人はそれも考慮しておいた方が良いかもしれない。温泉スタンプラリーの用紙を持って受付へ。忘帰洞の湯の花を頂いた。良いサービスだな。受付で用紙を貰えない場合(従業員さんも忘れる事はありますからな)、受付の後に用紙が山のように用意されているので、心配ありません。

夕食の時間になったので、船で帰ろうとしたら、ホテル浦島からの船がちょうど出たところで、30分待ち。船の時間も考慮して、湯に入ったり、お土産物を見たり、お土産物試食しなければなりませぬ。

やっと船に乗り、民宿「岩波」さんに教えて頂いた「ひろ吉」さんに行ってみる。駅よりちょっと離れた、小さなお店だが、お客さんで一杯。評判の良いお店なのだな。我々はこういうところに全く行かないので、まず、注文に困ってしまう。二人で検討した結果、お刺身盛り合わせ、ジューシー卵焼き、たこの唐揚げ、マグロ丼、ご飯、ビールに決定。
おぉ、お刺身が大変おいしいですな。噛んだ時の肉が違いますな。卵焼きもこれまたおいしい、おいしい。ほかも大変おいしい。後で考えると、先にお刺身だけ注文し、他のお客さんが注文されたものなどを参考にしながら、少しずつ頼んでも良かった。が、いかんせん、馴れない我らである。これで5400円。我らには大金で、年に1〜2回の贅沢な夕飯のうちの一回になった。でも、大変おいしかったので満足である。

スーパーでデザートを購入して宿に帰る。すぐに温泉で汗を流した。この日はアジア杯3位決定戦。日本対韓国。勝たなければ、次回のシード権がなくなる。後半から宿で観戦。途中、疲れからうとうとしてしまい、気がついたらPK戦になっていた。日韓ともにみんな決めて行く。那智大社での祈りも届かず、5番目の羽生選手が見事に外して、彼はその場で泣き崩れていた。那智大社で購入した八咫烏お守りも一緒に観戦していたのにな。
今日はお休みなさい。

2007年08月08日 (水)

×かちなつうら ○なちかつうら  一日目(その1)

12:11 AM

やって来た18切符の季節。やっと近場旅行ができる季節になりましたな。
が、今回は日帰りではないですぞ。何と、1泊旅行にでることに相成ったのだ。

ある日、家人がぽつり。「串本の方にも行ってみたいな」。今年の夏は和歌山か、滋賀、はたまた三徳山と考えていたが、この一言で和歌山に決定。近場となると和歌山と滋賀ばかりに行きたくなる我らである。が、串本だけでは寂しいし、せっかくならもう少し足を伸ばしてということで、那智勝浦への1泊旅行に決定した。行く3、4日前に決めたので、ホテルなども殆ど埋まっている。紀伊勝浦駅からちょっと離れた民宿があったのでインターネットで予約をしておいた。結局、串本は寄らず、那智大社、温泉、クジラ博物館、落合博満記念館など巡ってみようということになった。

当日。白浜までは流石に人が多い。白浜にもいつでも行きたいが、今回は通過するだけ。白浜駅から海は一つも見えないのだな。途中、串本なども通過する。串本の奇岩群「橋杭岩」も列車から見える。普段海を見る事のない我々には海を見るだけでも心が躍ってしまったりする。海辺に住む人には日常のものなのだろうが。不思議だな。

2007年07月20日 (金)

ラクサ?

シンガポールは1度しか行った事がなく、ワタシにとっては1度行けば十分なところであった。が、そこで食べたラクサだけは大変気に入ってしまった。最近はラクサの素なんていうのも売っていて、簡単に作る事ができて嬉しいことだ。そして、あるところで簡単ラクサの作り方というのを見たので、先日、ちょっとだけやってみた。インスタントラーメンをゆでるのに、水の半分をココナッツミルクにするという簡単なものであった。
韓国の「辛ラーメン」を使うのが一番良いとあったので、一つだけ購入。一人で食べたので、ココナッツミルクの缶では多いため、ココナッツパウダーを出来上がったラーメンに混ぜてみた。
すべてに入れるのは勿体ないので、別の小さな器に少し取ってから混ぜてみる。うむ。。。ラクサ。。。 ココナッツの味はするな。ラクサに似ているといえば似ている。し、しかし。。。 ラクサではない。それより、何より、せっかくの「辛ラーメン」の味がなくなってしまう。。。 全部に入れなくて正解であった。お手軽にラクサっぽい味を楽しむのには良いが、それでは「辛ラーメン」が勿体ない。ラクサはラクサで食べよう。。。シンガポールに何かで行く事があったらラクサ三昧したいものですな。
そころで、「辛ラーメン」。日本用に売られているもの(作り方などすべて日本語表記)と、本国で売られているものは、どうやら辛さが違うらしい。日本用のも同様の辛さにして欲しいな。でも、インスタントラーメンは体に良くないな。

2007年06月24日 (日)

久々のドリアン

Durian

先々週、久しぶりにドリアンを食べた。ジャスコにて購入。タイのものはどんどんドリアン臭さが少なくなっているような感じだな。原始から遠いといった感じ。でも、やはりおいしいな。これからはドリアンの季節だな。
本来、その国のものはその国で食べるのが正しいのだろうな。本当は体もその国の気候に合った食べ物を食べる方が良いのだろうな。輸出が増えると、それだけ国内での供給量は減るのだから、国内での価格が上がるかもしれない。その国の食べ物なのに、余所の国の事情で値段上昇が発生する。なんていうこともあり得るかもかも。
でも、家で各国料理を手軽に作っている現実。
でもでも、中国ものは買わないよ。

2007年06月18日 (月)

オム姉弟

梅雨に入ったにも拘らず、雨が余り降りませんな。今日、明日は雨かな。降ってもらわなければ。
サンテレビで13時からやっている「復活」。余り恋愛、恋愛していないドラマなので見ていられる。「大長今」の医女編にシンビ役で出ていた彼女は時代物の方が良いかもかも?
さて、主役のオム・テウン。二役やっていますが、なかなか良いですな。しかし、最近、オム・ジョンファの実弟と知り、ちょっとショック。に、似ていない。。。
現代劇なので韓国語も聞き取りやすいな。

2007年06月03日 (日)

こ、これは...

今年は全国で水不足が懸念されますな。雪解け水が少なく、梅雨に期待するしかありません。洪水は困りますが...。
さて、サンテレビでは最終回を迎えた「ホ・ジュン」であります。最終回は80分はあるそうですが、50何分間かにカッとされていました。まぁ、80分時間を取るわけにはいかないので、仕方がありませんな。これは見逃した始めの方と合わせてDVDを借りなければ。
しかし、その最終回の終わり方は大問題でしたな。医女のイェジンがホ・ジュンの墓を訪れ、お供をさせた少女の「この方は誰か、愛されていたのか」という質問に対し、「尊敬し、常に想っていた方である、愛されていたかどうかは私があの世に行ってから問うてみよう」という答え。こ、これは、いけませんな。何故、何故、こんな終わり方を。これでは、ホ・ジュンも密かにイェジンを想っていたかのような終わり方ではありませぬか。イェジンは本来小説にはない人物であったし、ホ・ジュンにはダヒという立派な奥方もおり、三寂寺に帰った後は出番はなくても良かったですな。これで終わってはいけません。恋愛ものではないのだし、「東医宝鑑」の輝きがそこで失せてしまった。もっとホ・ジュンの偉大さを表す、他の終わり方はなかったのだろうか。また、「イェジン・アガシ」を「イェジンお嬢様」と訳すのもイケマセン。「アガシ」なんて誰にでも付けるのに...。
トジのお母さんと奥さんのその後も気になりますな。キョムも何をしているのか。
あと、ホ・ジュンの遺体はどうなったのかな。師匠のユ・ウィテのように...やってはいないでしょうな。
DVDを借りなければ、借りなければ。

2007年05月27日 (日)

久しぶりに

最近は暑かったり、でも、まだ肌寒い時もあったり。風邪をひきそうな感じですな。気をつけなければ。
今日のお昼は久しぶりにピビンミョン。といっても、インスタント。韓国食材屋さんにラーメンやチャパゲッティはいつもあるけれど、ピビンミョンはなかなかない。先週末、見つけたので、購入。きくと、これからは結構置いてあるとのこと。嬉しいな。
でも、インスタントは体に良くないから程々にしておかなければ。今回購入したピビンミョンのパッケージの裏にもナトリウムの摂取量を調節するような進言が書いてある。韓国も企業側がこういうことやり始めたのだな。
体に良くないけれど、時に食べたくなる韓国即席麺類。

2007年05月20日 (日)

papad

今年はなかなか温度が上がりませんな。夜はまだまだ寒く、こたつを付けたくなることもあり。
去年だったか、いつだったか。知り合いにインドのおせんべいみたいなものを頂いた。フライパンで焼いたり、揚げたりしてパリパリにして食べるのだが、我が家ではオーブントースターで軽く焼く。パリパリで、ほのかにスパイシーでおいしい。今までは名前も分からないものなので、なくなったら近くのインド料理屋さんに行ったときにでも、尋ねようかと思っていた。けれど、今日いろいろ調べてみると、その名前が分かった。「papad」。インターネット販売でもたくさんある様子。名前が分かって良かったな。
この頃はインターネットで様々な国の食材が購入できそうなので、便利だ。それも店頭より安いことも多い。今まで食材を購入したことはないが。しかし。ただ一つ。探してもない物がある。タイの豚田麩、ムーヨーン。タイ食材店はたくさん出て来るが、これを売っているところを見つけられない。我が家にはなくてはならないものなのに。なかなかタイに行く機会もないし、ちょっと困っている。
でも、今日は「papad」。名前が分かって良かったな。

2007年05月19日 (土)

いいなぁ。

ここ何年かは「タイ・フェスティバル」は多くの県で開催されていて、どうやら結構な人気らしい。関西では各地で計5回くらい開催されるのではないだろうか。
で、どうやら、東京では「スリランカ・フェスティバル」などどいうものもあるらしい。いいなぁ。久しくスリランカにも行っていないし、せめてこういうものが近所で開催されればいいなぁ。ストリングホッパーやスリランカのお米が食べたいなぁ。が、スリランカの美しさ、良さはやはり現地に行かなければ分かりませんな。あぁ、シンハラ語にはいつ挑戦することやら。。。

2007年05月07日 (月)

和紙を作る

さて、広島は福塩線。沿線にある中畑、河佐辺りには急な山肌に巧みに石垣を作り、家を建てているところがある。いつも列車の中から見て、その石垣の素晴らしさに目を見張り、そこに住む人々はどんな暮らしなのだろうかと考えていた。
もう少し行けば、そうした斜面ではなく平らなところはいくらでもあるのに、そこに家々があるのが不思議であった。何かそこに住まなければならなくなった理由があるのだろうかと思っていた。

父に聞いてみた。すると。
その辺りは和紙の原料になる「コウゾウ」や「ミツマタ」があるところだという。父が子供の頃にはその辺の人々が三良坂や三次などにも売りに来られていたそうだ。

おぉ、なるほど。その仕事に便利なところに住まう。当たり前のことですな。そこは石垣は本当に美しく、家々も美しい。出来る事なら、ちょっと降りてみてみたい。

2007年04月30日 (月)

最近

この頃は、特に何もない日々ではあるのだが、ちょっとした変化がある。

月曜日から木曜日はサンテレビにて放送中の「ホジュン」に夢中な訳だけれども、字幕で韓国語で聞いているものだから、ヒアリングがアップしている感あり。それに伴い、語彙も自然に増えている感あり。

小説も未完ではあるが、ドラマとは設定も違っていたりで大変面白い。
いつか、ホジュン博物館にも行ってみたいですな。

2007年03月26日 (月)

久々の韓国旅行・反省会(その2)

04:34 PM

残念だったこともある。

1:景福宮で乾清宮が工事中だったこと
  今回、ここに是非行ってみたかった。閔妃はここで日本公使らに暗殺された。
2:日本円がすっかり弱かったこと
  1万円両替しても、7万8千〜8万ウォンくらいしか来ない。
3:物価が高くなっていたこと
  交通費は相変わらず安いし、安いものはあるのだが、レートも悪く、物価も決して安くはない。例えば、韓国の唐辛子やコチュジャン等を買いたかったけれど、日本で 買うのと大きく変わらず、重いなどの面倒を考えると高い。昔は意気込んで調味料も買っていたのに。
4:紫雨林の演奏が短かったこと
  と言っても、紫雨林のコンサート日時を選んで韓国行きを決めた訳ではないので、ジョイントコンサートであっても偶然に公演があっただけで幸運なことなのだが、5曲20分は短かった。
5:高麗大に行けなかった
  時に学び舎にも帰ってみたくなるもの。延世大や西江大、梨花大辺りに比べ高大はオサレ度は低い。もう何年も前、語学留学先を決めるのにいろいろ回って、感触が良かったので、自分にはこの大学と決めた。新村にはついて行けない。ここの質実な感じが良い。久々にこの辺を歩いてみたり、高大の便せんでも購入したかったな。
6:チャジャンミョンをちゃんと食べられなかったこと
  何故だか大好きなチャジャンミョンを食べる機会がなかった。初日に仁川空港で食べた物はチャジャンミョンとは言えない。

今もまた韓国に行きたいと思っている。タイにも辞書を買いに行きたいし、それこそ久々にスリランカにも行きたい。行ったことのない国は数えきれないほどあるし、スリランカ以西にも韓国から以北にも行ったことはない。が、今後、海外旅行ができる回数はしれている。どこを選ぶか。航空券の値段、滞在先での費用など考えると、結局この3カ国を優先してしまいそうだ。それが、良いんだかどうなんだか。。。

2007年03月18日 (日)

久々の韓国旅行・反省会(その1)

11:03 PM

後悔したこと
1:昌徳宮に行けなかった。
     昔一人で行ったことはあるが、家人にも見せたい。

2:南山韓屋村に行けなかった。
    冬を除く週末は無料で伝統公演が見られる。何故だか農楽などが好きで、その音を聞くと心躍ってしまう。      何度も見たけれど、久々に見たかったし、家人にも見せたい。

3:中宗大王のお墓に行けなかった。
  うむ、やはり行ってみたい。宣靖陵は都心から近くにあるのだし、誰でも行けるようだ。1000ウォンで近くまで行けるらしい。

4:棗を400グラムしか買わなかった。
  日曜日の夕刻、開けている店もまばらな京東市場で棗を買ったが、大量に買うと税関で問題あるかもと店のお兄さんに言われ、少量にする。もっと買っておくべきであった。日本には何故棗がないのだろう。

5:黄色のクッションカバーを買った。
  今使っているものと同じ物を買いたかったのだが、なかったので、デザインは同じで黄色を買った。南大門市場で見た時は何でもなかったが、日本では黄色はちょっとしんどい。

6:インスタント韓国伝統茶を3箱しか買わなかった。
 荷物の重さとレートの悪さに負けてしまった。日本にいてもネットで購入出来るが、もう少し買っておいても良かった。

2007年03月12日 (月)

久々の韓国旅行・最終日

久々の韓国も最終日。寂しいな。
昨夜は竜仁の友達が旅館まで電話をくれた。
もっと滞在したいな。韓国は楽しいな。

この日は雨。ずっと天気に恵まれ、気温も11月末なのにそんなに寒くなかった。が、今日は雨で気温も下がった。朝早くに起き、7時過ぎには南大門市場に二人で向かった。旅館のアジュンマに南大門行きのバス番号を尋ねた。ついでにチェックアウトの時間も訊く。本来は十時だけれど、我々の飛行機の時間を聞いて、それまでいても良いよと言ってくださる。アジュンマはいつもフロントにいる。この朝は眠そうな顔だったけれど、夜遅くでも起きていて、いつも元気だ。門限もないので恐らく24時間フロントには灯りが灯っているはずだ。一体いつ眠っているのだろう。体が心配になる。

南大門市場に着いて、まずD棟の民芸品売り場に。家人もワタシもお土産ものを購入。早朝でお店の人も少ない。昨日市場の屋台で同じ物を買ったが、それより更に値段は安かった。ビル内で買った方が安いのだな。恐らく底値なので交渉しても値引きはなかった。

うろうろしていたら、海苔を売っているあるお店に目がいった。ひまわりの種チョコレートが袋売りで売られていたのだ。勿論、このタイプは味は今ひとつなのはわかっているが。すると、そのお店のお兄さんが流暢な日本語で話しかけて来た。このお兄さん、なかなか商売上手。商売トークではあるが、無理に買わせることもせず、が、ちょっとぐらい買っても良いかなという気になる。ここで、海苔、済州島のチョコレート、紅人参飴を購入。父に高麗人参飴を買おうとしたが、高麗人参はその人の体調に合わなければ反対に良くない作用もでることがあるらしく、紅人参を勧められた。ここが気に入った点である。少し値引きもしてもらって、お買い物終了。このお兄さん、gackt氏に似ておられる。よく言われるそうだ。表情は少ないが、日本語に笑えるところ多し。家人など「兄貴」と呼ばれる。「ヒョン」のつもりかな。今時アニキって。。彼の商売・営業トークに乗せられるのも面白いかもしれない。

最後に朝食。南大門に食堂が固まっている路地がある。別に安い訳ではないが、何となく。家人はピビン麺を、ワタシはあずき粥。あずき粥にはお餅も入っていておいしい。
また、同じ番号のバスで旅館に帰った。荷造りをして早めに出ることにした。アジュンマはまだ早いじゃないと言われたが、空港に早く行く事に。また、来ます。チョウシムハセヨ〜。

空港バスはすぐに来た。1時間もすれば空港に到着する。空港でも飴や韓国伝統茶などを購入。
搭乗口にも早めに行き、早い順番で飛行機に乗れるようにした。関空に向かう飛行機は既に日本の空気が一杯でげんなりで疲れるな。せめて「大長今ダイジェスト」を見よう。
久々の韓国旅行、とても楽しかったな。次はいつ行けるかな。

2007年03月05日 (月)

久々の韓国旅行・五日目(その2)

12:35 AM

ソウル市内に戻ってから、すぐに南大門に向かった。最近は南大門の下を通る事ができると知ったからだ。これは行かねば。下を通らなければ。南大門はソウルを代表する建造物の一つであるのだから。昔はただただ離れたところから見るだけだったのだから。行かねば。が、最寄りの地下鉄「会賢駅」で降りて南大門に向かおうと歩いていたら、ソウル駅の方に出てしまった。あぁ、ショック。昔なら迷わず言っていただろうに、ソウルの道を忘れている。。。一度地図で確認してから南大門へ。きれいに整備され、見に来る人もちらほら。こんなに近づく事が出来て、ちょっと感動モノである。一度で良いけれど。。
その後は南大門市場に行き、家人とは21時に旅館で落ち合うことにして別行動。ワタシは市場でお土産を少し買うことにした。しかし、ここでまた迷ってしまいそうだった。市場にはいくつか棟があり、それぞれにある程度決まったジャンルのものを売っている。昔は目的の棟まで迷わず行けたものだが、それも分からなくなってしまっていた。あぁ、ショックだ。が、かすかな記憶を頼りに行動。家人のクッションカバーとお土産の小物入れを交渉して少しだけ安く買った。
次は「京東市場」へ。クッションカバーのお兄さんが直行のバスがあると教えてくれたけれど、渋滞していたらかえって時間が読めないので地下鉄で「祭基洞」へ。そこからすぐにその市場はある。ここは漢方薬の市場である。ここに来るのは初めてだ。もう時間も遅かったので開いている薬局は少なかった。そのうちの一軒で棗を購入。そこのお兄さんに日本に持って帰るのは大丈夫かと尋ねると、大量だと問題だけれど、少量なら大丈夫ということだったので600gだけ購入。五味子も購入したかったが、高かったので断念。お兄さん曰く、日曜日だから開いている薬局が少ないのだとか。棗も中国産と国産があり、勿論中国産の方が安い。が、韓国でも中国産は余り良くないというのがあるらしい。この近くの「健康百貨店」にも行ってみたが、人がおらず高そうだったので、すぐに出てしまった。この市場にはもう一度明るいうちに来てみたい。
さて、その次は「ロッテ百貨店」。地下の食料品売り場にでお土産用キムチを購入。お店の人が飛行機持ち込みでも問題ないようしっかり包装してくれる。おまけも一つもらった。あとは「ヘパラギ・チョコレート」(ひまわりの種をチョコレートコーティングしたもの)を箱買い。これは何社が出しているが、ロッテ社のものが一番おいしい。その他調味料の「タシダ」なども購入。コチュジャンなども買おうかと迷うが、物価の高さと日本円の弱さで案外高く、荷物の重さを考えると日本で買っても大差ないと判断。そして、インスタント韓国茶の「サンファ茶」と「五味子茶」も購入。韓国では百貨店やコンビニなどではレジ袋は有料でそれに備えて袋も持って来ていたが、重さでそんな余裕もなかった。まだ、時間はあったが荷物が重く疲れたので早めに旅館に帰ることにした。その前にデパ地下でマンゴージュースで一休み。旅館までは十分歩ける距離である。
あ、旅館に帰る前に鐘路の「missha」にてお土産も兼ねてパックなど3万弱ウォン分購入。3万ウォンで膝掛けが付いて来ると言われ、更に多めに買い、膝掛けもゲット。
旅館に着いて、家人を待った。家人はホットックを仁寺洞で並んで購入したらしく、お土産にしてくれていた。このホットックは有名屋台らしい。
その後、二人で仁寺洞で夕食。ククスにピビンパプ、チジミ。味は普通。夜も遅く、希望のお店はなかなかなかったので仕方ない。値段も高い。これで3万ウォンくらい?? 旅館に帰ると「親切なクムジャさん」をやっていたのでちょっとだけ見て就寝。今日も疲れたな。

2007年02月25日 (日)

久々の韓国・五日目(その1)

11:36 PM

今日は一路、仁川へ。家人が何でもない海辺に行ってみたいということで、近場の仁川を選択。仁川でなく、船で渡った永宗島にひなびた感じがあるかもしれないというので選んだ。もしかすると、適当に電車に乗り、海沿いで降りた方が家人の希望には沿えたのかもしれない。
仁川は地下鉄1号線に乗れば最終駅であるので楽だ。仁川は国際港でもあるので大きな町かと思いきや、駅もちょっとひなびた感じ。妙なキャラクターも迎えてくれる。駅隣の観光案内所で地図などを貰う。そういえば、ここはチャジャン麺発祥の地らしく、小さなチャイナタウンもある。しばし、チャイナタウンを見て回り、高台に行き、港を上から見てみた。ふむ。港だ。実はここで時間を取りすぎたのかもしれなかった。短めにして、早く行動した方が良かったかもしれない。
チャイナタウンを後にして、バスで港のある月尾島に向かう。そこには刺身や魚介類を食べさせるお店が並んでいた。が、そこではなく永宗島で昼食をとる事にしていた。島には割と大きなフェリーで行く。15分くらいかかるだろうか。永宗島に着くとすぐに魚介類を売っている市場がある。そして、そこの各店はそれぞれ料理屋さんとチームになっていて、そこで買った魚などをお店で調理してくれる仕組みになっている。市場には様々な魚介類が並んでいた。中には見た事もないような、これを一体どうやって食べるのだろうかというグロテスクな生物もいる。我々は結局良くわからないので、お任せにしてしまった。結構な量で、2万ウォン。ヒラメはお刺身にしてもらう。
お店に着くと、さっきさばいてもらったお刺身を早速食べてみる。周りの韓国人に倣ってコチュジャンたれで食べてもみる。が、せっかくの魚の味がすべてコチュジャンで消えてしまうので、お醤油とわさびで食べていった。やはり、日本人だなぁ。お刺身は醤油とわさびに限る。それでも、日本で親しんだ刺身とは違う。何が違うのか。包丁だ。食べ慣れている刺身は切れ味の良い包丁できれいに切ってあるものだ。が、これは出刃包丁で大雑把にさばいた様な感じで、おいしさが半減しているのだ。うむ、残念。それでも、ヒラメで結構お腹が満たされてしまい、メインのメウンタンが来ても食が余り進まなかった。ダシはおいしいし、シャコだっておいしい。こんなに魚介類を食べる事なんて日本ではない。それなのに、それなのに。お腹が受け付けない。あぁ、魚介類達にも調理して下さった方にも申し訳ないが、もう食べられない。大量に残してしまった。無念。調理代8000ウォンを払って外に出た。今度は勝手が分かるから、食べたい物だけを買うことにするよ。
本当ならこの島を少し探検して、家人の希望である「ひなびた港町」を探すつもりだったのだけれど、魚介類に疲れ、目の前には帰りのフェリーが接岸していたので切符を買って早々に帰ってしまった。
月尾島に帰って「月尾島ランド」を見に行く。遊園地なのだけれど、見事な場末の遊園地で、哀しい様な、懐かしい様な、いかがわしい様な物を感じる。来ているお客さんはとても楽しそうなのだが。バスに乗って仁川駅に帰る。そして、また列車でソウルに戻る。仁川、また来ることがあるだろうか。もっとひなびた何にもない海に行ってみたいな。

2007年02月04日 (日)

久々の韓国・四日目(その2)

11:29 PM

次の場所とはオリンピック競技場。そこで「the bud rock concert」というジョイントコンサートが行われるのだ。紫雨林も出演する。紫雨林は今では家人が好きなバンドの一つということに我が家ではなっているが、元々はワタシが十何年も前の韓国旅行で彼らの1st アルバムをジャケット買いしたことから始まっている。今では家人の方が大幅に熱心である。今回の韓国旅行は、ワタシが連休と絡めて何とか休みが取れた日程で行く事にしたので、決してこのコンサートがある日を狙った訳ではない。だから、彼らの演奏が聞けるのは大変、幸運なことだ。この日程の中でたまたまこんな幸運で、家人にも本当に良かった、良かった。
場所はフェンシング競技場。五輪公園はコンサートも多く行われるのか、別の競技場でも何かの公演があったようだ。そういえば、初めて韓国旅行した10年以上前、今回もお世話になっている友達と初めて会った時、誘われて何故かサンタナのコンサートを観に五輪公園に行ったな。。。
今回のコンサートはジョイントコンサートで、何組かが出演する。この公演ことをその友達に話すと、紫雨林以外はもう余り人気がない過去の人みたいなことを言っていた。が、会場は多いに盛り上がっている。どのバンドも人気が凄い。見た目の感想だけ言えば、学生のバンドのようなノリで、プロ臭さがないというか。それでも人気が全国的にある/あったというのが不思議な気もする。出演バンドはネル、トランスフィクション、デイリースパイスなど。他にパワーメン5000。トランスフィクションはその風貌からか学生バンドのような感じはなく、パフォーマンスしているバンドで印象に残る。ほかにもコミックバンドみたいなのも、いろいろ出て来る。疑問が残るバンドもあったが、それでもみんな盛り上がっている。
さて、お待ちかねの紫林雨。最近、日本に来ないので、とんと観る機会がなかったので、久々の生演奏体験である。他のバンドに比べて、出て来た時の歓声もひときわ大きい。新しいアルバムが出て間もない、タイムリーなコンサートである。次がリスト。
1. You And Me
2. Hey, Hey, Hey
3. Oh, Mama!
4. Magic Carpet Ride
5. HAHAHASONG
あぁ、未だに「hey,hey,hey」をやっているなんて。「magic carpet ride」をやっているなんて。もうこれらの曲はやらなくても良いのではないかと思うのだが。それよりはもっとロックな曲をやって欲しいものだなぁ。しかし、新譜はなかなか良かった。前作はつまらなかった。日本で活動を始めて、日本語の曲を出したり、日本語訳を付けて販売したり。分かる。が、日本語の曲には魅力が少なかった。わざわざ日本語にしなくても、オリジナルの韓国語の方が遥かにカッコいいのに。今回のアルバムはそういう姿勢がなくなったし、紫雨林らしさが出たのではないか。どの曲もどこかで聞いたような気はするものの、久々会心の作ではないか。それでも、最高傑作は「恋人」であると思うが。
ユナ氏も結婚されたのだが、どうもマダムっぽい空気が全身から漂ってきていた。
また、日本ではちょっと気負った感じがユナ氏にも見受けられたりするが、韓国ではそれもないので気持ちが良い。でも、たまには日本に来てコンサートをして欲しいなぁ。久々の公演体験も喜ばしいことではあるが、5曲ではやはり物足りない。ユナ氏も家庭があるとなかなか難しいかもしれないが。
紫雨林がお客さんも一番盛り上がっていた。その証拠にそれまでかなり緩かった撮影チェックも途端に厳しくなった。会場に入る前にカメラチェックもないのだが。紫雨林が終わるとお客さんの多くが帰って行った。うむ、妙にほっとしたりして。
最後はファランのpower men 5000 というバンドでセッティングにも時間を取り、スペシャルゲストの模様。残念ながら我々は知らない。折角の紫雨林の余韻が台無しになるといけないので、早々に会場を出て行った。
また地下鉄で宿の辺りに戻り、夕飯。が、お酒を飲む訳でもなく、軽い食事をしたい我らにちょうど良いところがなかなか見つからない。結局24時間開いているような食堂に入った。期待はしていなかったが、案外味は良かった。
明日はちょっと郊外へ。今日も疲れたな。

2007年01月28日 (日)

久々の韓国・四日目(その1)

今日はソウルに宿を移すことにしていた。家人も待ちに待っているコンサートもあり、帰りが遅くなると、やはり友達にも悪いと思う。また、竜仁市とソウル間の移動は2時間くらいは掛かってしまうので時間が勿体ないのだ。
いつものように友人宅にあるものを適当に冷蔵庫から出して朝食を食べる。出かけるその前に友人からの頼まれ事をした。友人は娘に韓国語以外に英語も日本語も学んで欲しいらしく、平仮名とカタカナのカードを作って欲しいという。泊めてくれたお礼も兼ねて家人と作っていった。

いつものバス停まで旦那さんが送ってくださる。友達と娘とはお家でお別れ。本当に感謝へ〜。また来るよ。その頃にはもう娘も話せるようになっていることだろう。ペンパルから始まった友人だが、手紙だから書けることもたくさん書いて来た。会う事はなかなか出来ない友達だけれど、かけがえのない友達の一人だ。次に会えるのはいつだろう。彼女と家族の幸せと健康をいつでも祈っている。。。

バスで一路ソウルへ。YMCA前で降りて、歩いて旅館「新進荘」へ。ここは家人が独身の時に利用したことのある旅館で、二人になってからも利用したことがある。ちょっとした定宿でもある。ワタシが独身のときは他の旅館に一人で泊まった事もあるが、大抵は友達の所にお世話になっていたので、韓国に行ってもソウルであるならば、余り旅館経験はないのかもしれない。

韓国の物価は思いのほか高くなっており、それは宿泊費もそうである。新進荘も以前は1万5千ウォンだったが、今回は2万5千ウォンにもなっていた。以前とは経営者も変わったようだけれど、今のアジュンマはとても愛嬌のある人で、鍵を貰って部屋に向かうとすると、呼び止めてミカンをくれたりする。それに、普段はあるはずの宿帳への旅券番号書き込みも何もない。良いのかな。

荷物を部屋に置いて出かける。まずはお昼ご飯。「チヤボル」というマンドゥのお店に行く。水マンドゥとククスを頼み、二人で半分ずつ食べてみた。水マンドゥが大変おいしい。ククスは普通。ククスは案外普通の粉食で食べた方がおいしいのかもしれない。この店は人気なのか、お昼過ぎにも関わらず、ひっきりなしにお客は入ってくるし、日本人客も多かった。

興礼門この日の第一目的地は「景福宮」。
守門将交代式があるというので、まずそれを見に行った。興礼門の前に行くともう既に終わりかけていた。式が終わり衛兵の格好をした人が門の所で警備に付くと、人々がその横で記念写真を撮ろうとする。その間も衛兵役の人は微動だにしない。さぞかし、うっとおしいのだろうかと考えながら、ちょっと離れたところから撮影。これでは同じだ。。

興礼門ところで、この交代式が行われるところは、以前旧朝鮮総督府庁舎があったところだ。初めてワタシが韓国に行った時にはまだあり、博物館であった。まぁ、その10年以上も前にすでに美術品の移動は始まっていた。日本帝国時代の建物であるから解体も普通のこととワタシは思っていたが、それを今回友達に話すと、彼女はそれも韓国の歴史の一つであるから、あっても良かったのではないかという意見であった。なるほど。しかし、庁舎がないとだだっ広いですな。

景福宮興礼門を抜けると勤政殿がすぐに見える。荘厳ですな。石畳に並ぶ石碑の様なものは官位を表すものでそこに整列したのだとか。以前行った時には知らなかったが、今回は「長今」の豆知識で分かっていた。分かってみると感慨深いものである。
その後も広い景福宮を歩く。どこにも人が多い。水原の宮殿とは大違いだ。。この日は他にも行くところがあったので、全部を見るのは無理と判断。が、今回絶対に見たいものがあった。それは景福宮の中の乾清宮である。そこは閔妃が日本公使らによって殺害されたところだ。閔妃については長くなるので割愛するが、その場所をちょっと見てみたかったのだ。だが、そこは残念ながら工事中であった。うむ、また次回に繰り越しか。。。
本当は他の宮殿も家人に見せたかったが、時間がない。今回はこれだけになってしまった。時間がないのが本当に残念である。

三清洞広い宮殿を抜け出て三清洞に向かう。この辺りは近年人気があるところだという。以前も韓国の伝統的家屋が多いところなので、ふらふらしたことはある。そこが、今、オサレなカフェやお店がある場所として若者に人気があるのだ。我々も行ってみた。が、残念なことに行き過ぎていた。日本でも町家などを改造してカフェなどにしているところが多いが、行き過ぎると悲壮感にも似た残念なことになるのだなと感じた。韓国の若者もこぞって集まっている。人でいっぱい。写真を撮る人も多い。しかし、これで良いのだろうかと疑問に思ってしまう。昔からの家屋は美しい。できたら、そのままであって欲しい。が、それも外側からの感傷でしかないのだろうか。

次の目的地に行く前に休憩しようということで、仁寺洞に行く。ここも人でいっぱいだ。伝統茶を飲もうとするが、人が多くて、入られるお店を探すのにも時間がかかった。「伝統茶院」に席を見つけ入る。伝統茶を人でいっぱいの、がやがやした中で飲むのは何だか寂しい。棗茶と五味子茶、そしてお菓子を頼む。一杯6000ウォンくらいだ。あぁ、高いなぁ。一杯700円以上の飲み物なんて。
時間がない。次の場所に急がなければ。

2007年01月20日 (土)

久々の韓国・三日目

suwonこの日は割とゆっくり。前日も夜遅かったので、少しゆっくりして夕飯は友達と一緒にすることにした。
遅めの午前中に竜仁市のお隣、水原市に。水原市は世界遺産の華城があるところだ。友達の家の前のバス停からバスに乗り込み、水原駅に向かう。バス停辺りの風景を頑張って覚えようとするも、何だか覚えられない。バスで行くと割とすぐに城郭が見えて来た。水原駅まで行くつもりだったけれど、駅まで行くとまた引き返すことになるので途中で降りて歩くことにした。城郭に沿って歩く。すべて歩くと3時間は掛かるそうだ。城郭がずうっと続くのだけれど、それだけでも重厚な感がある。城郭の外には遥か遠くまで近代的なビルが立ち並び、水原市も郊外に大きくなっている都市なのだなぁと思う。また何年か後にか来たら、もっと遠くまでアパート群が建っているかもしれない。

suwon更に歩いていると、料金所の中から「水原市民の方ですか〜」と女性の声。写真撮影しながら歩いていた家人を待ってから料金所に行くと、1万ウォンとのこと。もしかして城郭の外を歩いていたら呼び止められないのであろうか。ここは市民の憩いの場所、散歩の場所でもあるので、多くの市民が散策・運動していた。市民は無料なのであろう。我々観光客は世界遺産を維持するためにも料金はちゃんと払わなければなりませぬな。ついでに、そこで華城行宮への近道を教えてもらう。

suwon華城行宮はこれまた「大長今」が撮影された場所でもある。ここにも例の撮影シーン説明文が各所にある。そこで知ったのだが、子チャングムが試験を受けたいから一晩中水桶を持って立っているシーンはここで撮影されたそうだ。うむー、結構、このことに感動。あのシーンが思い起こされる。ここにはドラマで使われた衣装も展示してあり、間近でみることができる。画面では良く分からなかったけれど、生地には同色の刺繍が施してあり、なかなか良い布が使われている。この発見もちょっとした収穫である。この場所には華城の古い写真も展示されていた。恐らく、朝鮮戦争後ぐらいの写真ではないだろうか。荒れ果てた華城の様子が見て取れる。現在はとてもきれいに整備されており、随分修復を重ねたのだなということが分かる。

suwonそろそろ城郭から出ようかと歩いて行くと、まだ城郭を出ていないのに民家やお店が現れて来た。城郭の中に生活があるとは何だか面白い。スリランカでも遺跡群の中に民家を発見した時は感動したものだが、それにも似ている。八達門はちょっとしたロータリーにもなっているし、世界遺産と同居しているみたいな。

銀行で両替を済ませて昼食へ。水原はカルビで有名だとあったのでガイドブックに載っていたお店に行こうとする。地図で見るとそんなに遠くもなさそうなので歩くことにしたのだが、すぐに迷ってしまった。この地図は噂通りに当てにならない。どうも距離感が違うのだ。途中で市民に聞いたのだが、二人目に聞いたお兄さんなどはお店に電話までして場所を確かめて下さった。本当に感謝ハムニダ〜。

やっと目的のお店「カボジョンカルビ」に着く。15時頃になっていまったのでお客さんはいない。我々の後に二組入って来たが、どちらとも日本人で店内は日本人ばかりになった。恐ろしやガイドブックの力。我々は一人分1万6千ウォンの定食を頼んでみた。韓国料理には様々なキムチや箸休めみたいなものがたくさん出てくるのだけれど、味は今ひとつ。キムチは家庭のキムチがおいしい。特に友達のお母さんのキムチは最高においしいので、お店のものとの差を強く感じてしまう。肝心のカルビ。うむ...。我々が年に2回くらい気合いを入れて行く近所の焼き肉屋さんの方が数倍おいしい。これは予想していたことではあるが、ちょっと哀しくもある。

昼食を終えて家路に。お店でバス停を教えてもらってからバスに乗り込む。帰る時にはもう降りる場所も何となく分かってきた。
バスを降りてから家の近くてホットック屋台を発見。一人一つ買って食べてみると大変おいしい。なかなかない味である。食感といい、味といい、申し分ない。こんなにおいしいホットックはない。特に家人は気に入った様子。残念なことにここ以上においしいホットックに出会うことはこの後なかったのだが...。

友達の家に着くとメモ書きが。「子供が熱を出したのでクリニックに行ってきます」。携帯電話に連絡しようとしたが、公衆電話が壊れていてどうにもならない。近所をうろうろしてから家の前で座って待っていたら、やっと帰って来た。子供も少し落ち着いたみたいだ。
家に入ると、家人は疲れたのか眠ってしまった。友達が夕飯を準備してくれる間、ワタシは子供のお相手。友達曰く人に懐かないらしいが、柿を一緒に食べていたら何だか懐いて来た。ワタシの韓国語でも理解してくれるのが大変嬉しい。絵本を読んでとも言ってくる。かわいいなぁ。
家人を起こして一緒に夕食。今日も疲れたな。

2007年01月14日 (日)

久々の韓国・二日目(その3)

05:23 PM

Yangju, Koreaチャングム・テーマパークを後にしたものの、バス停に行ってみると何となくバスが行ったところの気配。待っても待ってもくる気配はない。本数が少ないので、行かれる人はテーマパークの入り口でアジョッシにバスの時刻を聞いてから、バスの時間を考えた上でテーマパークを楽しむのが良いと思われる。
バス停にいるのは家人とワタシ二人だけ。始めはそれでも太陽があったので良かったが、日暮れも近く次第に寒さも増して来た。バス停は自動車整備屋さんみたいなところにある。家人は近くのお刺身屋さんでバスの時刻を聞いてきたようで、まだ時間はたっぷりある。あぁ、寒い、寒いと身を震わせていると、整備屋のご主人が事務所に入りなさいと声をかけて下さった。あぁ、ありがたい、感謝ハムニダ〜。最近はテーマパークに行く人も多いようでだが、シンガポールや香港の人とは何だか違うから交流しにくいけれど、日本人は似ているから良いなど仰る。世間話をあれこれしていると、バスがやって来たことを息子さんが知らせて下さった。我々がバスに乗ったのも見届けて下さり、本当に感謝ヘヨ〜。

Uijeongbu, Koreaさて、バスに乗って「駅までいくらですか?」と聞くと、日本語で運転席の後ろに座りなさいとのこと。「?」。すると、運転手さんは日本で働いていたことがあるとかで日本語も大変上手。堺にいたことがあるとか。後日、検索してみるとこの運転手さんのことを書かれた方もあり、この運転手さん、日本人と見れば後ろに座らせて会話しているようだ。が、これまた親切な方で駅までずっとお話して、駅に着いたら、本来は後降りなのに前から降ろして駅がどちらにあるかまで教えて下さった。そして、この運転手さんはなかなかの男前さんであった。

Leeum Museumそこから電車を乗り継いで、サムソン美術館「leeum」へ。ここは家人が行きたかったところである。普段は予約制らしいが、木曜日の夕方以降は予約なしで良いらしい。韓国伝統美術と国内外の近現代美術もある。けんちくも有名だそうだ。建築家は余り詳しくないので家人にこちらは任せることにして...。韓国伝統美術の方が見応えがありましたな。朝鮮王朝末期の企画展も良かったですな。建築のことはよく分かりませぬが、韓国伝統美術館の建物が気に入りました。何だか、巻貝の中にいるような気持ちになりました。気持ちよく観ることもできました。時間が余りなかったのでざっと観ましたが時間があればゆっくりと観たいところであります。

美術館を出て家路に。この日は地下鉄とバスを乗り継ぐことに。プンダン線のミグム駅でバスに乗り換え。しかし、このルートは初めてなので花屋のお姉さんにバス停の位置を尋ねる。バスにも乗り、降りるところがまだ把握出来ていなかったので、運転手さんに「××に着いたら教えてください」と頼んでおく。Yongin, Korea夜間の初めてのルートではあるが、昨夜友人の家に行く途中に見たものを発見。そろそろであることが分かる。が、降ろされたところは正しいバス停の一つ手前。うむ...。

バス停一つ分を歩き、友人の家に。夕飯もまだだったので途中にあった屋台でマンドゥとトッポッキを買って帰る。この屋台のお姉さんはなかなかの美人であり、また親切であった。帰りは23時頃になってしまった。今日も疲れたな。

2006年12月31日 (日)

久々の韓国・二日目(その2)

大長今テーマパーク「チャングムテーマパーク」はソウルの北、楊州にあるMBCの撮影所にある。チャングムの撮影が行われたところがすっかり観光地化されているのだ。そこに向かうにはまず地下鉄1号線の議政府北部駅で降り、そこからバスなどで行く。歩道橋を渡ってバス停に行く。30番のバスで行くという情報だけ知っていたのだが、どうやらそのうちの数少ない数本しかMBS方面には向かわないそうだ(「ゴルフ場行き」に乗ればよかったようだ。そこまで覚えていなかった...)。バス停には日本人らしきカップルが一組おられ、ちょうどそこにタクシーの技師さん(韓国ではこういう)が15,000ウォンでどう?と来られた。うーん、と考えていると、ワタシと家人、そしてもう一組のカップル二組一緒に乗って、一組7,000ウォンで良いと言い始めたので、4人で合意してタクシーに乗り込んだ。が、今思うとせめて12,000ウォンに交渉しておくんだったと後悔。。。

撮影所に着くと、ゲートで一旦停止。料金所のアジョッシがどこの国の人か聞いて来る。技師さんに日本人と聞くと、料金と交換に日本語のパンフレットを手渡してくれる。車に乗ったまま料金支払いができるのですな。入場料は5000ウォン也。

大長今テーマパークさて、降りると、あら〜♪あるではないですか。まずは出演者の手形で作られたレリーフのようなものがお出迎え。それをさらに行くと宮殿の正門みたいなところから入って行く。おぉとハン尚宮様が駆け寄り、抱き合うシーンの場所ではありませんか。様々な場所に代表的なシーンの写真パネルがあり、説明文もある。こんなに狭いところで撮影していたのだなぁ。水刺間なんて本当に狭い。また、同じ場所で様々なシーンが撮影されているのだなと分かる。建物の裏側は勿論暗い。が、そうした場所でもいろんなシーンが撮影されている。ライトというのはありがたいものだなぁ。狭くても広く見えるように工夫もされている。例えば、例の長今とハン尚宮様がそれぞれ母の親友・親友の娘であることを知り駆けて行くシーン。勿論セット内ではあっと言う間だが、様々な場所をつないで広い宮中を駆ける感じがある。

大長今テーマパーク王様とミン・ジョンホが弓を射る場所も驚くほどに狭い。こんなところで弓を射っては弓が木々に当たるではないかと思うほどだ。木の下に隠された甘酢がある東屋の柱には日本語を始め、中国語、アルファベットで落書きがしてあり大変に残念。中にはタイ語の落書きまであった。ここでは酢のことばかりが気になり、長今がお母さんの手紙を隠したところをチェックし忘れてしまった。

見て回った後にはお土産屋さんへ。本当は扇子が欲しかったのだけれど、店員に聞いてもなかったので、書物型メモ帳1500ウォンを購入。余り期待していなかったのだけれど、開けてみたら、韓国語、中国語、平仮名の3種類で「オナラ」の歌詞が書いてあったので、ちょっと感動。ただし、メモ帳として使えそうにもなくなった。

大長今テーマパーク撮影所を見て回り、現在日本に帰って思うこと。行った時には「あぁ、こうなっているのか」「こういう感じか」「ここがあれか」という気持ちが強かった。が、今日本に帰りまた「大長今」を見ると、「あ、ここはあそこだ!」と感慨が一層深い。実際に撮影所を見ているので撮影した場所や角度などがよく分かる。よく分かった今、もう一度撮影所に行き、一日掛けて撮影の時のカメラ位置で写真を撮りたい、家人に正しい位置に立ってもらって撮りたい。などなど、ドラマを見ながらより一層また行きたいなどど思ってしまうのだ。撮影所はいつかは壊されてしまうであろうから、この願いが叶うかどうかは分からない。

この日はもう一つ行く目的地があったので、撮影所も名残惜しいが帰ることに。
あぁ、もう一度、もう一度行きたい。

2006年12月17日 (日)

久々の韓国・二日目(その1)

友達の家にはカーテンがない。サンスクリーンのような薄い物はある。が、我が家のように完全遮光の中で眠る我らには光が眩しくて目が覚める(本来はこうして太陽と共に目覚めるのが健康的なのかもしれないが)。昨夜は夜だったので周りが見えなかったけれど、改めてアパートの周辺も見てみると、ベッドタウンだというのがよく分かる。畑の真ん中に乱立するアパート群。この辺も以前は田園地帯だったようだが、ベッドタウン化が激しい。韓国にはこうして同じような高層アパートがいくつもいくつも建っている。昔から韓国らしいと思って見て来たが、それがさらに郊外へと広がっている。

2日目は楊州のMBC撮影所に早速行くことにしていた。今回の目的をまず果たさなければ。友達の家を早めに出ようとしたけれど、ラッシュアワーだからと諭され、遅めに出かけた。竜仁市からソウル中心部までバスで1時間半。途中、バスの中で地図を広げっていたら、ネット新聞社に働くという紳士に声を掛けられた。しばし歓談・互いに写真撮影しているとバスに酔ってしまった。友達の家にいると甘えてしまって英語の方を多用していまうが、外に出ると韓国語だけ。実は韓国に出かける前に少し韓国語をやっておこうとしたのだが、結局やらなかった。何年も話す機会はなかった。が、話してみると案外忘れていたような韓国語も浮かんでくる。おぉ、気がつかないうちに頭が韓国語仕様に変わっているみたいだ。自分にちょっと驚く(笑)。

楊州に行く前に鐘路の「永豊文庫」に寄って、「the bud rock concert」のチケットを購入しておく。今回、これを狙った訳ではないのだが、幸運にも紫雨林も出るジョイントコンサートが旅行期間中にあったのだ。あぁ、(家人のためにも)良かった、良かった〜。
無事チケットも確保し、食堂で家人はキムパプ、トッポッキ。ワタシはチョルミョンを食べて今回の第一目的地「チャングムテーマパーク」へ向かう。

2006年12月10日 (日)

久々の韓国・一日目

11月末、久々の韓国旅行。23日が祝日で25、26日はお休み。金曜日と月曜日にお休みを貰って海外旅行に行くことにした。が、短いので、家人と話し合い、今回は韓国ということになった。また、このごろ我が家は「大長今」で盛り上がっており、人気も下火になれば「大長今テーマパーク」は取り壊されるので行くなら今なのだ。

航空券は18900円。関空使用料2650円、仁川空港は3400円(!)、燃料費は4600円に保険料600円。航空券以外が高いな。が、希望の時間帯で取ることもできたのでまずまず。

さて、仕事を1時前に終えて急いで関空へ。電車で行くと途中岸和田城なども見えてくる。機内では「大長今ダイジェスト」をやっていたのでそれを楽しむうちに、あっと言う間に仁川空港。

仁川空港は何だかだだっ広いな。両替も済ませ、夕食を摂る。空港でキムチポックンパブやチャヂャンミョンなどを食べるけれど、高くておいしくない。。。空港で夕食を食べたのは友達の家に泊めてもらうので食事を済ませておこうという気持ちであった。
その友達は韓国人で20年来の友達である。20年も前、日本の音楽雑誌のペンパル募集コーナーに彼女の名前が載っていたのだ。それにワタシが手紙を出した。初めて会ったのは10年目くらいであっただろうか。手紙で互いのことはよく知っていたので、初めて会うのに初めての気がしなかったものだ。

友達の家は竜仁市にあり、そこまでは空港バス。友達は最近引っ越しをして初めて行くところでもあるのでバスの運転手さんに着いたら教えてと頼んでおく。が、着いてみたら運転手さんのアナウンスで実に簡単に降りることができた。
そしてバスを降りると友達の旦那さんが車で迎えに来てくれていた。旦那さんとは7年ぶりくらいに会う。お互いに「パンガウォヨ〜」と再会を喜ぶ。

韓国らしいベッドタウンみたいなアパート群のひとつにある家に着くと、友達と1歳になる娘が迎えてくれた。人見知りが激しい娘も交えながら、近況報告。友達の旦那さんと我が家人は初対面である。あぁ、久々に会えて本当に嬉しいな。友達も旦那さんも変わっていない。娘も大変に可愛らしい。あぁ、本当に嬉しいな。
明日に備えてこの日はこれでお休みなさい。

2006年11月19日 (日)

滋賀/川端ツアー

08:21 PM

新旭町もう一週間前にもなるのだが、滋賀県は高島市、新旭町の川端ツアーに参加した。

川端(かばた)とは湧き出る水を家に引き、生活用水として使っているもの。
母屋の隣にあったり、離れのようなところにあったり、各家で様々だ。川端は家の敷地内にあるので、普段は見られるものではない。が、このツアーに参加すると見ることができる。
参加費は2000円とバス代の440円。

12時半に集合してお金を払ってからツアーは開始。20数名だったのでバスはすぐにいっぱいになった。また、この日は生憎の雨であったが、雨の日に出かけることは余りないので、雨の琵琶湖を見る機会にも恵まれたと言える。

まず、驚いたのは別荘群である。ログハウス風の別荘がたくさん建っているのだ。土地も売却済の札が立っている。その様子はまったく異様で、その土地と自然を荒らしているとしか見えないのだ。ガイドさんも言われていたように、琵琶湖にはびこる外来種が陸にもやって来たようなものである。あぁ、誰が土地を売っているのだ。町はこれを止められないのだろうか。百歩譲ってもあのくだらないログハウス風はやめてほしい。琵琶湖に合った建物にしてほしい。条例でそういうものを作れば、そこを別荘にして買おうなんて人もいなくなるかもしれない。もうこれ以上別荘は増えてほしくない。誰が買うのだ。何を考えて荒らすのだ。

川端そして川端。ざっと10軒くらい見ただろうか。
美しく澄んだ水が引かれている。この水は夏冷たく、冬暖かいそうで、その川端そばに蔵のような貯蔵庫を構えることが多いそうだ。それは水の温度が一定なので保存に適しているそうだ。

川端には鯉を飼っているところが多い。例えば、お釜を洗って出るご飯粒などを食べてくれる。ここに小さな共存がある。ちょっと狭いのが鯉には気の毒かなとは思うが。川端の中には瓶のようなものが置いてあり、それは引いて来たきれいな水を溜めるところ。

川端そのまわりが池のようなところで鯉が住んでいる。工夫がされているのだ。また、これがずっと生活に密着していることも素晴らしい。
町の水路には梅花藻も揺れる。鯉も住む。鯉は人が来るとエサが貰えると思い、寄ってくる。何と穢れのない鯉か。

ツアーが一通り終わると公民館の様なところでご飯が出る。ツアーに込みである。煮物や天ぷら、魚など大変おいしい。佃煮のお土産まである。食事中には葦笛の演奏もあり、至れり尽くせり。フナ寿司などのお土産販売もある。
滋賀県も何度か訪れ、このところ最も惹かれている県である。どこに行ってもゆったりできるし、暖かくなる。行けば行くほど惹かれてしまう。湖西線と琵琶湖線も行き来が簡単になったことだし、敦賀にもあっという間だ。また、行きたいな、滋賀県。

2006年10月16日 (月)

秋、行かねば、行かねば。

余所の日記にも書いたのだが、この秋はお出掛けだ。あぁ、近畿にも素晴らしいところが多いなぁ。
まず。
1・難波の宮・遺跡ツアー
   これは9月末に参加。大阪歴史博物館の地下には難波の宮遺構が一部残され、 公開されている。日に何度か学芸員さんがガイドしてくださるツアーがあり、 そのうちの一度は40分の長いもので、それに参加。 難波の宮の様子がよく分かる。学芸員さんが案内してくださるので、一人で見ても分からないことを教えてくださり。途中で質問も出来る。大阪に住んでいても難波の宮のことは府民にもなかなか知られていないのではないだろうか。 ワタシも玉造神社に行く途中遭遇し、「はて、これは」と全く知らなかった。大阪も一時首都であったわけで、その遺構は大変興味深い。このツアーは無料で、博物館に行かずとも参加可。みなさんも是非どうぞ。

2・「太閤背割下水」と「大阪城地下石垣」
 こちらはつい先日参加。公開の日が決まっていたためだ。下水道は豊臣時代に建設されたもので、現在も下水道として使用されている。南中江小学校のところで見せてもらった。 当時からなかなか立派な都市整備がされていたのですな。 下水が下に染みこまないような現代的加工がしてある以外はそのまま。これが今も残り、ちゃんと使用されているなんて なんと素晴らしいことでありましょうか。

もう一つは大阪城の地下石垣。 昭和30年頃に本丸でボーリング調査を2箇所したところ、 たまたま石垣のようなものが出て来たので 調査したところ7m下に石垣が出て来たのだとか。 その翌年には大工頭の家から豊臣の大阪城図が出て 照らし合わせると、豊臣の大阪城の石垣であることが判明。 井戸状に掘られた下に石垣の一部があり、上から覗いて来た。 普段、そこはトタンの蓋で閉められており、 以前から何だろうと思っていた井戸のようなものの下は 石垣だったのだ。おぉ〜。 一気に、豊臣の大阪城の上に立っておるのだ〜、 おぉ、時代を超えている〜と一人盛り上がってしまった。 これは一度は見ておくべきものではないだろうか。現在の徳川大阪城の地盤と石垣。そして、昭和の鉄筋大阪城(平成の修復あり)。時は流れるですなぁ。
あぁ、城が近所にあるというのはいいものですなぁ。

インターネットでお買い物

最近はインターネットでお買い物をすることもちらほら始めてしまった。初めてインターネットでお買い物をしたときは、ちょっと緊張もしたものだが。といっても、まだ5回位しかしたことはない。日用品であったり、大変重宝している山忠の足首ウォーマーだったり。
少し前にインターネットで初めてCDを買った。店頭ではなかなかないものであったので、仕方ない。最近はCD自体、余り買わなくなってしまい、店舗にもそんなに行かないこともあり、インターネットで購入するのは便利でもある。
さて、買ったのは Toyah の「warrior rock (toyah on tour)」とMarc Almond の「mother fist and ger five daughters」。どちらもずいぶん前のものである。
Toyah のは実は一度はレコードで買ったものである。Toyah は当時は奇をてらった感があったので、それほどには好きではなかったが、一応押さえておかねばと買ったライブ2枚組であった。が、そんなに聞かなかったので売ってしまったのだ。それが最近どうしたことかToyah の曲が頭の中を回っていて、ずっと店頭で探していた。が、店頭にはどこにもなく、それどころかToyah コーナー自体ないことが多かった。そこでインターネットで探してみたら輸入盤としてあった。それもかなり安い。Toyah のライブはラジオなどで何度か聴いたことがあるが、このライブ盤は割と気に入っている。ドラムのせいだろうか。
もう一方、Marc Almond の「mother fist and ger five daughters」。Marc Almond の最高傑作とも言われているらしかったので購入。これもなかなかよろしい。mambas も結構好きだったので、これはAnnie Hogan の賜か。これにも、これ以外にもmarc almond の作品にannie hogan は多数参加している。ワタシ個人では彼の最高傑作は今のところ「the stars we are」である。自分のアルバムベスト10にも入る。
あぁ、インターネットでは店頭にないものも比較的簡単に手にはいるのだな・・・。

2006年09月02日 (土)

戻れない・その2

そうして、以前の食生活には戻れなくなりつつある。
にぼしも国産の鰯に酸化防止剤がないものを選ぶと高くなる。けれど、それで作ったおみそ汁はおいしい。戻れない。
広島お好み焼きを作るとき、かわを作った上に筋根幹(以前のサイトがなくなっていた。新規制作中であろうか・・・)を振りかけると大変おいしいことを発見。戻れない。
無添加生味噌に、マーガリンよりもバター。カレーの福神漬けも国内産。ミネラル砂糖にミネラル塩。
高いのに・・、戻れない。ずっと長い長い将来への健康のために。

2006年08月31日 (木)

もう戻れない。

この歳になってようやく目覚めた。
中国産のものは食べない。煮干しなどでだしを取る。できるだけ
添加物のない、少ないものを取る。などなど。
にんにくなど日本のものはどこかジューシーで爽やかであり、
ちょっとした野菜のような感覚で食べる。が、中国産は味がえぐい。
こんなことで、食費がアップ。だけれど、この味に慣れたら、もう戻れない。
高くてもできるだけ、少しでも体に良いものをと頑張っている。

2006年07月28日 (金)

近江八幡日帰りの旅・その3

06:27 PM

ところで、かわらミュージアムには世界のかわらも展示されている。ここで、開眼モノに出会った。かわらと言えば日本のかわらだけを思っていた。が、世界には様々な形をしたかわらがあるのだった。そう言えば、タイにもあった。韓国にももちろん。行ったことはないけれど、ヨーロッパや様々なところに形を色を変えてかわらはあるのだ。そういえば、そうだったーと、ひとしきり感心。

さて、近江八幡パスポートを使うべく、最後は資料館巡り。旧西川家なども見学。時間が差し迫っていたので、急いで4箇所を見てまわった。歴史資料館は大変面白い。家の様子や道具の様子がよく分かる。家人も行器(ほかい)の文字を発見して興奮。五個荘にも行きたくなる。派手ではないけれど、大変良い資料館だ。今度はゆっくり時間を取って見学したい。

その周辺には「魚屋通り」という通りがある。家人がその名前がかいてあるプレートを例によって撮影していると、通りがかりのご婦人が「それは『うわいちょう』と読むんですよ」とにこやかに教えてくださった。あぁ、近江八幡の人は本当に和やかで親切だ。道路で車とすれ違っても自分が先にという態度がない。お互いに譲り合う感覚だ。多くの町では歩行者、自転車、自動車、みんな先に行こうとする。あぁ、近江八幡は素敵なところだ。。。

近江八幡パスポート、この日最後の使用場所は紙平老舗。ここで丁稚羊羹を購入。3本入り840円が800円に。すると、家人がここのニッキ餅を食べると言い出した。ワタシもニッキのお餅?と気になっていたのでその場で頂くことにした。ご主人は気を遣ってくださり、麦茶まで出してくださった。紙平さんの昔の写真などを見ながらご主人と話していると、ご主人が「どうして近江八幡に?」と問われた。うむ、近江八幡には水郷巡りも八幡山も八幡堀もウォーリズ建築も近江商家などいろいろあるというのに、ご主人はなぜ近江八幡に来たのかと問われた。なんと控え目、謙虚なのであろう。それも作られたものではなく、自然な謙虚さだ。そういえば、八幡山の上にあるおみやげ物屋さんでも、店員さんが「この頃は観光で来る人も多くて。何を見に来られるんでしょうねぇ。何もないのに。あるとしたら、自然(実際の自然と特に観光地化然としていない、余り手を加えていないそのままの感じということだと思われる)だけなんですけどねぇ」というようなことを言われた。こうした言葉は余所の観光地から出て来るだろうか。

自然も建物もお堀も良かった。が、近江八幡で最も感じ入ったのは近江八幡の人々、町の様子や日常から感じられる空気とでも言うか、そういうものであった。近江八幡に住んだら、みんな穏やかな人になれそうと思えるくらいだ。
最後にアンデケンでチーズケーキを食べて雨宿り。自転車を返却しに行くと、あのにこやかなおっちゃんがまだおられた。長い勤務時間だな。
あぁ、また行きたい、近江八幡。

2006年07月23日 (日)

近江八幡日帰りの旅・その2

10:01 PM

お腹も空き、場所も水郷巡りの豊年橋から近かったので、昼食へ。食事はやはり近江牛。が、専門のレストランなどだと我々にはちょっとお高い。いろいろ調べてみると、「あきんどの里」という観光所や食事どころなどが入っているところがあり、そこに「千里庵」という近江牛を出すお店がある。そこは他に比べて安価で、我々でも何とか食べられる。この日の午前は大変暑かったので(船頭さんも気の毒なくらい暑そうであった)、近江牛冷しゃぶにした。うむ。冷しゃぶのタレがちょっと多く、味が濃いのが少々哀しいが、近江牛はおいしいな。シジミのおみそ汁もおいしいな。家人がボソッと「このシジミも琵琶湖で獲れるのかな」と言うと、お店の方がすかさず「琵琶湖のは今はシーズンでなくて、また、大きさももっと大きいんですよ」と教えてくださった。レンタサイクルでも水郷巡りでもそうだったが、みなさんフレンドリーで気持ち良い。

近江八幡パスポートを使えるところに、近いところから行く。ヴォーリズの建築物の外観を見ながら、町並みを見ながらNO-MAギャラリーへ。ここは昭和初期の町屋をギャラリーにしたもので、大変気持ちが良い。二階の窓際に座ってお茶を頂くと、そこの住人になったような気分になる。こんなお家、いいなぁ。

次は八幡山にロープウェー。城跡であるから、石垣を見て歩く。こぢんまりしたお城に思える。それに好感が持てる。琵琶湖も見渡せるし、安土城跡も見える。下にはさっき乗った水郷巡り辺りも。これで大体の位置と土地の様子が分かる。頂上には村雲御所瑞龍寺がある。

八幡掘その後は瓦ミュージアムを訪れて、そのまま八幡堀へ行く。なかなか風情のあるところだ。昭和40年代くらいは堀もゴミであふれかえり、雑草なども生い茂っていたらしく、埋め立ての話もあがったそうだ。が、「埋め立てた時から後悔が始まる」と再興した。今では大変きれいになっており、町の風情を象徴しているようなところだ。そこには舟があり、観光客は堀を往復できる。しかし、これがエンジンボートなのが少々いただけない。これも手漕ぎであったならなぁ。
堀に面する家からは裏口が掘に降りられるように石段がある。堀が生活の一部であったのだなと分かるものだ。今も使われていたら素晴らしい。けれど、こう観光化していると人は出づらくもあるし、水も生活用水には適していないかもしれない。

2006年07月19日 (水)

近江八幡日帰りの旅・その1

12:10 AM

水郷めぐり先日、家人と近江八幡に日帰りの旅へ。これで、どこかに行きたいーも少し収まっただろうか。こうした日帰りの旅は18切符期間中に行くのが常であるが、18切符は20日からだし、金券ショップで昼得切符を買うと18切符1回分より安くなる。せっかくの3連休である。行かねば。
近江八幡が気になったのは暇つぶしに見る旅行パンフレットを見て、良さげな風景であったこと、水が豊富なことなどからであった。また、去年行った安土→彦根→長浜の城めぐりの旅ですっかり滋賀が気に入ったのだ。

9時過ぎに近江八幡駅に着いて、すぐにレンタサイクル屋さんに。一日500円と安く、一日といっても翌日の10時までに返せば良いとのこと。そして、受付のおっちゃんもこれまたフレンドリーでほのぼのとしてしまう。次にその隣の観光所で「近江八幡パスポート」1000円を購入。これがあれば、資料館やロープウェーなどが大変お得になるし、いくつかのお店や水郷巡りも安くなる。

まずは水郷巡りに行く。10時の定期便に乗るために急いで脇目もふらず(のつもり。家人は写真をとりながら(^^;)、乗り場に自転車で疾走。早速、先ほど買ったパスポートを使い、2100円の乗船料を1800円にしてもらう。船頭さんにお金を払って、6人乗りの舟に乗り込んだ。我々が乗った舟は大当たりで、72歳の船頭さんはベテラン中のベテラン、職人のような大変粋で格好いい方だった。葦が青々と生える中を舟は進む。船頭さんは場所によって櫓を竹竿を使い分ける。船頭さん曰く、竹竿も使えないと早く進めないそうだ。が、竹竿は使うのが難しく、慣れない人は使いたがらず櫓だけで行こうとするので遅れてしまうそうだ。風が強かったりすると、進むことができずモーター付きの舟に迎えに来てもらうのだとか。もちろん、この船頭さんにはそんなことはない。熟練されている方なので、時代劇にも出演される。水郷に棲むカイツブリやカモ、ウシガエルの鳴き声、生い茂る葦、水辺から見る安土城跡。みんな良かったけれど、船頭さんとそのお話が一番良かった。素晴らしい船頭さんが漕ぐ良い舟に乗った。それが一番価値がある。70分のコースだったが、あっという間で30分もなかったように感じられた。

奉納 龍神のよしまた、この日はここで刈った葦を天神祭がある大阪天満宮に奉納する日らしく、乗り場にはすでに刈った葦が置いてあり、トラックに積まれていた。自由に生えているように見える葦にも所有権があるそうで、奉納するものだからと好き勝手に刈ってはいけないのだ。コース途中に「よしの大龍神」様があり、そこで奉納するための葦も刈られるそうだ。あの葦はここから来ていたのか...。今後は天神祭を見る目も変わりそうだ。
我々が乗った「近江八幡和船観光協同組合」は手漕ぎにこだわっている様子。が、若い漕ぎ手が少ないと船頭さんは言われた。
名残惜しい気持ちで次の場所に行く。

2006年07月14日 (金)

今年のドリアン

最近、タイ食材屋さんが閉店したり縮小しているので、ちょっと困っている。調味料などタイ食材屋さんでなければないものもあったりする。そして、何より、冷凍ドリアンがなくなったということなのだ。「チャイタイ」に置いてあった冷凍ドリアンはいつもおいしかった・・・。
先日、家人がジャスコで生ドリアンを買ってきてくれた!!!良い匂い〜。たまにはずれもあるけれど、今回のは熟し頃もちょうど良い。開けてみると、4個しかない。普通、ドリアンは一房に5つの部屋があるのだ。タイで買ってきたドリアンの本にもそう書いてある。
食べてみると、おいしいな。タイ産らしいハホハホした食感。今年のドリアンはこれだけかもしれない。今年も無事にドリアンを食べることができて良かったな。

2006年07月10日 (月)

辛いもの

それが夏だからなのかどうかは分からないけれど、最近、辛いものが無闇に食べたくなる。
このところ、家人が辛いものに弱くなってきたので、以前ほどに辛いものを作っていない。が、そこに優れものが登場! 先日、生徒さんに頂いた「芙蓉朝天椒」なるニンニク入り辛み調味料だ。激辛と書いてある通り、これを少量入れるだけで辛くなる。一人で炒め物や、和え物にもちょっと入れて、辛いもの食べたい欲に対応している。
また、みそ汁にはトムヤムのペーストを溶いてもおいしい。
ただし、辛さも慣れがあり、当初に比べて、その調味料の辛さが緩くなってきた。

2006年07月09日 (日)

岩盤浴

この頃はちょっと体を温めようと意識的にしている。家でお風呂に入るときはゲルマニウムなどなどの石セットを入れて入浴したり(本当にこれは効果があるのかな)。月に一度は温泉か何かに行く。先々月は近所にできたゲルマニウム温浴が初回500円というので行ってみた。手と足をゲルマニウムが発生するお湯に付けて20分。汗をしっかりかいた。温泉後のような疲れもない。なかなか気に入った。
そして、先日は歴史博物館に行く途中で見つけた岩盤浴に行ってみた。30分1000円。着るもの、タオルはすべて持参(レンタルすると500円)。暖かくなった岩盤・石の板の上に寝ころんでいると大変気持ちが良い。汗もゲルマニウム温浴以上に出てきた。30分があっという間で、時間になったときも石から離れたくない〜と思ったものだ。そして、これで出た汗はクリーム効果があるらしく、シャワー設備もあるが、浴びずに拭くだけで帰宅した。帰宅してからも体はさっぱりで、お肌もすべすべ。これも温泉のような疲労感がない。また、ワタシはサウナが息苦しくて100数えるのが精一杯なのだが、そんな苦しさは全くない。
すっかり気に入った。ゲルマニウム温浴よりもワタシはこちらの方が合っているかもしれない。ゲルマニウム温浴の方が入り方がお手軽なので、その辺は使い分けると良いかもしれない。

2006年07月07日 (金)

おいしいかもしれない

最近は気候も暑くなってきたので、食欲が余り湧かない。タイ料理などの登場が多くなる。
で、先日の夕食は素麺。何となくおいしそうに見えて、キムチを買っていたのだが、ふっと思いついた。素麺にキムチと納豆をまぜて食べる。うーん、想像しただけでおいしそう。ということで、最近献立に困っているのが、先日は即決だった。
実際に入れたのは、納豆、納豆に付いていたタレ、キムチ、そうめんつゆ少々、ニンジンの千切りなど。ヤンニョンもどきも作ってみた。
あぁ、おいしいな。納豆の量が多すぎたかなとは思ったけれど、キムチの酸味と辛みがおいしいな。
素麺の食べ方も、基本、ナームプラーつゆ、ケーンキアオワーンと、などなど、いろいろに楽しめる。もっともっと工夫すれば様々な食べ方が楽しめそうだな。

2006年06月20日 (火)

大阪歴史博物館

最近、どこかに行きたいー!気持ちが高まっている。
海外は今はちょっと諸事情で行けないし、国内は18切符の時にとつい思ってしまう。交野市の磐船神社にも行ってみたいが、雨の翌日では修行コースは入られない。そこで、大阪歴史博物館へ。本当はその横にある某売店で「大長今」グッズを買ってみたかったのだが、そこにはストラップしかなく、早々に出た。そこは、そもそも売店も小さいし、品揃えも驚くほどに少ない。

歴史博物館は難波宮に興味が出てから行ってみたかったところである。7〜10階が博物館で10階から見て降りるようになっている。10階が難波宮の時代展示で、窓からは下の難波宮跡が見下ろせる。上から見るとゆった〜りしていて、大阪にも良いところがありますねぇ〜と雅な気分になってしまう。ぼわ〜っとするには隣の大阪城よりずっと良さげだ。宮跡でダンス練習をする若者もいて、それも趣があるように見える。博物館はなかなかの見応えがあり、まじめに見たら半日は必要かもしれない。
本当は地下の難波宮遺跡を見たかったのだが、これは無料ツアーに参加しなければならないそうで、今回は遅かったので参加できなかった。また今度の機会に。

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